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富士通 MB25010 1982年発売
CPU 68B09E 1MHz
メモリ ROM 40KB RAM 64KB
画面構成 80x25 640x200 256 色
サウンド PSG 3重和音
インターフェース RS232C、デジタルRBG、プリンタ


当時のシステム構成
  FM-7本体 漢字ROM、FDDインターフェース、FM音源カード追加
  カラー熱転写プリンタ スター精密製 TR-24clf 漢字も対応
  (フォントはプリンタが持っているものに依存していました)
  純正ジョイスティック
  FDD Logitec LFD-550ⅡFM 5,25インチ2ドライブ
  ディスク一枚320KBだったと思う
  あるソフトハウスは400Kフォーマットなどでむりにディスケット一枚にたたき込んでいたのでは・・・

F-BASIC Version 3.0
Copyright (c) 1981 by FUJITSU/MICROSOFT allright reserved
30716 byte free


どうです?かつての7ユーザーさん なつかしいオープニングでしょ?いまにも ぴっポ~ん という音が聞こえてきそうですね。富士通は FM-8 に続いてその下位機種と言うことでFM-7を開発したようですけど、実際にはバージョンアップした内容でした。FM-8からはずされたのは、アナログポートとバブルカセットくらいです。アナログポートはともかく、バブルカセットは使うところもなかったし。これはまだフロッピーディスクが高価で使えなかったために、かわりについていたものですが、まだまだ当時はカセットテープにプログラムを記録するのがあたりまえで、とくにそれで不便だとは思いませんでした。もっとも友人のPC-8801につながったフロッピーディスクで、ものの数秒でプログラムがLOADされるのをみて、すごいものがあるなぁと思っていましたけど。
カセットテープでは、ちょっとしたゲームをコンピュータにLOADするのに20分くらいは普通に待ちました。のちにFM-7にFDDインターフェースカードとFDDをつないで、うちのFM-7もこれで無敵だな~などと感動したものです。写真に写っているFDDはLogitec製のLFD-550ⅡFMです。これは同じモデルでLFD-550ⅡPCというNECマシンむけの設定も販売されてたように記憶しています。ソフトはFM-8版のものでも一応動いたのですが、そもそもFM-8版のソフトというもの自体があまり発売されていませんでした。それにクロックが上がったため、シューティングゲームなどはあまりに早すぎて使えなかったような記憶が・・・もしかしたら他のマシンだったかも。
FM-7に変わって追加されたのは、パレット機能、マルチページ機能。これらの応用で、一枚の絵を数秒かけて書いていたPCでもアニメもどきやら、一瞬で一枚の絵を描いたかのように見せかけることができたのでした。あらかじめグラフィックを描いたあとで、色だけをきり変えるいうパレット機能を使い、一部の絵の色を背景の色と同じにしておくんです。そしたらその絵は見えないでしょ?そんなふうにして、みせたい時だけそのグラフィックの色を、予定通りの色にすれば、一見、一瞬で絵を描いたように見えますね?画面の一部にでもアニメっぽい動きがあればそれだけでも雑誌の記事になったりしましたよ。WILLとかね~。(^^ゞ
さらにplay sound といったPSGサウンドを操作する命令も追加。これにより家庭用PCでも音楽を鳴らせるようになります。といっても今のMIDI音源をならすようなリアルなものではなく、sound blaster16すらまだない頃でしたので、サイン波の音しか出ないので、エンベローブといって、音量を細かくコントロールすることで、違った音色らしく聞かせていたんです。たとえばはじめに大きい音をポンっ とだして、そのあとはすこしづつ音を小さくするようなエンベローブパターンでPSGを鳴らせると、アタックの聞いたピアノのような音に聞こえました。それでもmkⅡSR以前のPC-8801や、VM2以前のPC-9801よりは、はるかにましでしたよ。なんといっても初期のNECマシンでは音楽を使えなかったんですから。BEEPというブザーのおとが唯一の音源だったので、なんとかそれを使って、音階のようなものを鳴らす試みが繰り返されてましたね。でもあれは・・・音楽っていうより、「これは音楽に聞こえるね」という強力な思いこみが要求されます・・・そのため初期の98版のソフトはゲームなのに音が出ないのでした。(>_<)
さてほかにもFM-7で始めてサポートされた機能としては、llist lprint などプリンタ制御コマンドの追加、二つのプログラムを結合させるcommon chain といったコマンドです。でもこの当時のBASICのプログラムというのは、上から順にダラ~っと行番号をうって、ジャンプする先の指定なんかもみんな、この行番号が頼りという作り方だから、単純にCHAINしても動かないこともけっこうあります。はじめから、あとで結合させるようなサブルーチンを考えて全体のプログラムを作らないといけなかった。
さてさて、このマシンをハード面で見ますと、68B09 CPU をふたつという贅沢なつくり。ひとつは画像処理専用です。これを2Mhzのフルスピードで動作させていました。さらにさらに、オプションのZ80カードを使えば、CPUそのものをZ80にすることができるという、今では考えられない発想・・・さまざまなプロトタイプが現れては消えた当時のパソコン市場の様子を垣間見るようですね。
もともと漢字は使えなかったのですが、漢字ROMカードを追加することでJIS第一水準の漢字が使えるようになります。当時CANCAN(カンカン)という安価なワープロソフトがあって利用していました。FM-7版はCANCAN7。これはまだFDDも漢字ROMも装着していなかった頃、とにかくテープベースで漢字ROMも漢字プリンタもなくても、プログラムリスト打ち出し用の9pinシリアルドットプリンタさえあればパソコンが実用的なワープロとして使えます、というのが売りのソフトでした。もちろん変換はすべて単漢字変換といって、漢字を一文字づつ変換することしかできません。学習機能も文節変換もなし。printerはMB27409でしたが、9ドットの2重打ちで一応18ドットのフォントを印字できます。明朝などのフォントを出すには最低でも24ドットの印字能力が必要で、18ドット印刷では独特のゴシックのような印字しかできないのですが、とにかく漢字仮名交じりの文書を作成できるというので、結構使っていました。のちにFDDと漢字ROMを追加してからは、キャリーラボが発売してかなり売れていたJETというシリーズのワープロに乗り換えました。JETの最強バージョン JET77aエリーというソフトがよかったですね。

 拡張スロット用カードとして、漢字ROMカード(JIS第一水準のみ搭載)、FDDインタフェースカード、RS-232Cカード、Z80 CPUカード、FM音源カードなどが発売されていましたが、いかんせん拡張スロットはFDDインターフェースが専用スロット、あとは2つしかないので、困ったのは漢字ROMとFM音源をさすと、RS-232Cがさせないこと。電話の受話器を載せて使う音響カプラーなどをつかってパソコン通信をすることもそろそろ始まりかけていた頃なので、そろそろ不自由になります。そのためもうその頃にはFM77AV2に乗り換えました。これならはじめからRS-232Cも漢字も入っています。それでダムターミナルという一番単純な通信のプログラムを組んで、使っていました。通信ソフトで漢字を読めるようプログラムを組むのにいきなり苦労しましたが。
 FM-7発売ののちFM-new7がすぐに出たのですが、どこがどう違うのかもわからず、そろそろべーマガでもパソコンの中古業者が広告を載せ始めた頃で、中古PCをあさっていたので、まよわず少し安かったFM-7を購入して愛用していました。