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富士通 FM-77AV40 本体仕様
CPU 68B09E 2MHz (FM-7では1MHzでした)
ROM F-BASIC V3.0 イニシエータ、サブシステム、キャラクタジェネレータ、第一第二水準漢字、辞書ROM
RAM メイン192KB 最大448KB グラフィックVRAM144KB サブシステムRAM 32KB
ANK文字 英数字、特殊記号など257種
文字表示 ANK文字 80x20/25/50 40x25/20 日本語 最大40字x20行
グラフィック カラー8色 640x200 2画面 640x400 1画面 64色 320x200 2画面
        4096色 320x200 1画面 パレットあり
        26万色 320x200 1画面 パレットなし
        モノクロ 640x200 6画面
直線描画専用LSI、スーパーインポーズ、パレット、ビデオデジタイズ
サウンド FM音源 PSG 各3重和音 8オクターブ
3.5インチ 640KB 2ドライブ内蔵 5インチ 320KB 2ドライブ増設可能
インターフェース RS232C、RBGマルチ、プリンタ、オーディオカセット、ジョイスティック、音声入出力
システム拡張 拡張RAM、ビデオデジタイズ各スロット I/O拡張バス

F-BASIC Version 3.0
Copyright (c) 1981 by FUJITSU/MICROSOFT allright reserved
30716 byte free

当時のシステム構成
  FM77AV2本体 漢字ROM、FM音源は標準装備 5インチFDDインターフェース増設
  日本語通信カードがほしかった RS-232Cは標準装備
  カラー熱転写プリンタ スター精密製 TR-24clf 漢字も対応
  (フォントはプリンタが持っているものに依存していました)
  純正ジョイスティック データレコーダ
  FDD Logitec LFD-550ⅡFM 5,25インチ2ドライブ
  

時代はそろそろ日本におけるPCが急速に88から98に移行しつつあった1980年代の末期、しばらくパソコンから離れてアマチュア無線に明け暮れていたわたしは、そんなことも知らずメインマシンをFM-7からFM77AV2へと変更していたのでした。このマシン、AV1とAV2の違いは内蔵している3.5インチFDDが1つか2つかの違いだけです。当時ほとんどのアプリケーションはフロッピーディスクを2枚さして使うのが一般的でした。たいては1枚をシステムディスクなどとよんでプログラムを格納し、もう1枚をその他のデータを読み書きするためのデータディスクとして使用していました。まだまだハードディスクは普及しておらず、ゲームでも途中までのデータをセーブしておくためフロッピードライブは2つ必要でした。

さて、このFM77AVシリーズといえばなんと言っても 総天然ショック というキャッチフレーズでおなじみの4096色同時発色でしょう。今日の一般的なパソコンの画面表示能力は HighColor 16ビットカラー 16万色 TrueColor 24ビット/32ビットカラー 1677万色 は当然で、リアルな3Dグラフィックも普通となりました。しかしこのころ日本の標準マシンであったNEC PC-9801 はデジタル8色のみが標準でした。光の3原色はRGB、つまり赤、緑、青、これらをそれぞれ組み合わせると8通りの組み合わせができます。それでは8色以外の色をどのようにして表現したのでしょうか。中間色 などと言っていましたが、となりあったドットごとに違う色をタイル模様に配置します。たとえば赤いドットと青いドットを細かくタイル模様に並べてみてください。これを油絵を眺めるかのようにすこし目を離して見てください、あ~ら不思議、なんとなく紫っぽく見えませんか。
こうして2色と言わず3色とかいろいろ色を重ねて、新しい色の組み合わせを発見していたのでした。そんなときにこの FM77AV では4096色同時発色! 何も言う必要もなくこれはすごかった。当時、新製品のデモをやっていましたが、いかにもビデオデジタイズしましたっというような写真を、PCの画面で描写していました。このあともしばらくNECマシンは、16色ボードの追加で4096色中16色を選んで表示するというのが標準仕様でしたね。77AVシリーズではそののちAV40で26万色というあらたな境地へと達したのでした。

FM77AVというシリーズ名が示すように、このマシンではビジュアルのみならず、オーディオにも力を入れていました。といってもすでにかなり普及していたFM音源を標準で内蔵ということですが。FM音源では、原理的にはあらゆる音をシミュレートする事ができます。といっても内蔵された発信器の数には限りがあるため実際にはムリですけど。今ではシンセサイザーで演奏することも当たり前となり、NHKのど自慢など歌番組の伴奏はかなりの楽器がシンセに置き換わってますね。FM音源はまだまだそうした使用に耐えるほどの音源ではありませんでしたが、PCの音源としてはかなり良い音を実現していました。YAMAHAの高価なシンセにも同じ音源モジュールが搭載されていましたね。OPMのYM-2151というチップやOPNのYM-2203などといえば覚えておられる方もいらっしゃるでしょうか。その後MIDIをつかい、「MIDI楽器」と呼ばれる、シンセからキーボードを外したような音源が徐々に市民権を得てゆきます。Roland MT-32 がまずは標準音源となりましたね、さらにCM32/64、SC-55のGMゼネラルMIDIといった規格が次々と普及してゆきました。

この当時、コンピュータのアプリケーションには互換性という物がまるでありませんでした。たとえばPC-9801用のソフトはFM77では全く動きません。フロッピーディスクの読み書きやフォーマットも同じではありませんから、同じメーカーのコンピュータでも機種が違えばプログラムどころかデータの受け渡しすらできません。そのためさまざまな機種でデータの受け渡しができると称する当時のあるゲームでは、異機種間のデータ受け渡しは長文のパスワードでした。後にこの辺が改善されたのは、MS-DOSとwindowsが一斉に普及し始め、ワープロ専用機でもDOSの文書が読めるようになったころでしょうか。というわけでこのFM77AVというマシン、いくらいい機械でも、ソフトハウスが77AV用にその能力を生かしたソフトを開発してくれなければその能力をいかすことはむつかしかったのです。ですがFM77AVがでた当時の日本の標準パソコンはNEC PC-8801mkⅡSRという規格、そしてのちにはPC-9801が標準規格として普及します。それでソフトを開発する方も、当然ユーザーの多い機種で開発し発売しますから、まずは88や98版がリリースされます。その後はFM-7、シャープX1、X68000などでしょうか。77AVでもFM-7版のソフトを使うことができますが、AVの能力は生かされていません。ただし、数少ない77AV専用のアプリケーションはどれもとても完成度の高い物が多かったように思います。

右の写真のテトリス 有名な落ち物パズルですね、ぷよぷよなどと共に一世を風靡したものです。わかりにくいかもしれませんが、これは数少ないAV専用ですから、画面が98版などとは比べものになりません。これはもう一目瞭然。ちなみに左の写真は懐かしいですね~FM-7版のパンチボールマリオです。これはファミコンでかなりやりこんだ方も多いかもしれません。

PCの創生期、ユーザーが伸びないためソフトをなかなか移植してもらえないマシンがたくさんありました。そうしたマシンの多くが独創的であったり、他にないすばらしい機能を実現したゆえにかえって使ってもらえないというジレンマに直面していました。シャープのすばらしい伝説のマシン superMZ それにこの77AV、またNECのPC-100などもそうかな。のちに日本語通信をしたかったのと、このマシンのバックアップにとおもい、中古で77AV40もしばらく置いていました。