nostalgiPCトップページ > システムアガワ

CPU MN1088A(6502相当) サブCPU MN1544 クロックは書いてない
メモリ ROM 16Kバイト実装 RAM 32Kバイト実装
  ビデオRAM 2Kバイト実装  キャラクタRAM 2Kバイト実装
キーボード サブCPU転送方式  64キー、英数、グラフィック、カナ、ファンクションモード切替
ディスプレイインターフェース RGB同期分離方式
  コンポジットビデオ方式 カラーモノクロ切り替え RF変調方式
画面構成 32文字 X 24行
色指定 文字、バックともにキャラクタ単位で任意に色指定可能 黒、青、紅、マゼンダ、緑、シアン、黄、白8色
文字構成 6x7ドットマトリックス文字 192種 8x8ドットセミグラフィック文字 64種 8x8ドットユーザー定義文字64種
グラフィック 64x48ドット ドットごとに8色で任意に色指定
ミュージック仕様 5オクターブの音域で3種類のメロディを同時に演奏
カセットインターフェース FSK方式 1200Hz スペース、2400Hz マーク ボーレート600ボー 2400ボー切り替え
プリンタインターフェース セントロニクス標準 専用プリンタJR-P01またはEPSON MP-80Ⅲシリーズ使用可能
ジョイスティック アドコム電子製ジョイスティック 2端子
プログラム言語 JR-BASIC 5.0

JR BASIC 5.0 (C) 1982 by Matsushita System Engineering Free Bytes 30716
Ready ■

 これをみて なつかし~とお感じのあなた、もしかして同世代ですね~ ^_^;
1980年代、まだまだ家電量販店などがいまほど幅をきかせていなかった当時、なんといっても絶大な影響力を持っていたのはナショナルショップ販売店網でした。あのベータ対VHS戦争で決定的だったのは、ナショナルがSONYのベータマックスではなく、はたまた身内の松下寿が開発販売した「ドカベン」VX2000でも東芝三洋のVコードですらなく、VHSを採用したことでしたね。もっとも当時たしかVHSを開発したVictorは松下の傘下にあったのですが。しかし当時のパソコン市場は、NECのPC88とシャープMZ、X1が独走状態で、あとは国内メーカーでは富士通FM-7シリーズと東芝パソピアくらいでしょうか。日立S1、カシオもFPシリーズがあったかな~。おもちゃのトミー(ぴゅう太TP1000)とかバンダイ(RX-78ガンダムという名前のパソコン)、タカラ(ソードM5にジョイパッドを追加して「ゲームパソコン」という名前で販売)なんかもパソコンを出していました。でも家電ではあれだけ絶大なる影響力を誇ったナショナルが、パソコンはほとんど出しませんでしたね。まともにパソコンを開発したのはMSXの時代になってからかなぁ。その松下電器がだした唯一のパソコンがこのJRシリーズでした。「さあこいホームコンピュータ時代」というコピーのおどった広告はすでに記憶に新しくはないですけど。白黒で消しゴムキーボードのJR-100に続き、その上位機種として発表されたのがJR-200でした。はじめて手に入れたパソコンでしたからうれしかったですね~。

なかなか市販のソフトが発売されていないぶん、純粋にコンピュータ遊びを楽しんだマシンでした。マイコンBASICmagazineの記事なんかを見て、ゲームをしたいためだけにひたすらLISTを打ち込んでバグ取りに励んだついでに、BASICを勉強させていただいた懐かしいマシンです。さてこのJR-200、前作のJR-100から進化した点としては、まずカラー8色が使えるようになったこと、PSGの3重和音が出るようになったことが大きな点でしょう。ほかにも当然メモリも増えていますし、ジョイスティックも使えるようになりました。たしかファミコンかセガマークⅢかなにかのジョイパッドがつながったので、それを利用して単純なカーレースのゲームを作ったようなかすかな記憶が・・・・。もっともそう大きなメモリ空間もありませんし、補助記憶装置はカセットテープだけですから、あまりにサイズの大きなプログラムを組むとまともに動かすことすら大変です。せいぜい数KB程度のプログラムを組んで遊ぶくらいです。

カタログには本体よりも高価な5,25インチフロッピーディスクドライブや、声で入力するパナボイスというような商品も掲載されていましたが、実際にどのくらい販売実績があったのでしょうか。おなじ町内のナショナル電器店でもJR-200を使っておられたのですが、そこも含めて結局実物のJR用FDDを見たことはありません。JR-200にお金かけてFDDつけるよりは他のマシンに乗り換えるでしょうから。それにJRを使っていた頃はそれほど大きなサイズのプログラムも組んでいませんでしたから、テープでもせいぜい何分か待てばLOADできててそれほど不自由は感じていませんでした。ただ2400ボーのカセットテープはかなり転送が早かったですね。それにロードしているキャラクタかな~文字が画面の右上にでるので、だいたいリードエラーを起こしそうな場所の文字も見当がついたりしました。使っていたのは純正データレコーダ(ただのカセットテープレコーダですけど)RQ-8100 ころころAIWAだったと思いますが、波形補正回路入りのDR-2というようなデータレコーダもありました。たぶんシュミットトリガかなにかを組んでいたんでしょうか。今となっては知るよしもないこともありませんが・・・。

 このPCの特徴としてまずあげられるのは、64個のユーザー定義文字でしょう。キャラクタ単位でのアニメーションがまだまだ主流だった当時、キャラクタ、つまり文字のデザインそのものをユーザーが変更することで、よりゲームのキャラクタにふさわしい図形を、BASICでもかなり高速で動かせるというので、これはとても使える機能でした。LOCATE X,Y:PRINT "A" とやって、Aのキャラクタのデータをゲームっぽく書き換え、あとはxとyの値をいいように変えていくプログラムを組んじゃえば、BASICとはいえ結構楽しめるスピードで動かせました。ちなみに、シャープのパソコンテレビX1でも同じような機能を256文字分も使えるようにしていましたけど、JR-200でも、キャラクタのすべてをRAMでもっていたので、そこを書き換えることも簡単でしたから、それを全部使えば、256x192のグラフィック静止画を書くこともできたような記憶があります。