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いま、手元に残っている最も古いマイコン雑誌 マイコンBASICマガジン 1983年8月号。「ベーマガ」という略称で親しまれ、多くのプログラマを育てた雑誌。83年8月号のサブタイトルは 「43機種のパソコン用ソフト56本一挙掲載」

まだまだホームコンピュータというものの姿が固まっていない当時、家電メーカ、コンピュータメーカがそれぞれ独自のアーキテクチャでそれぞれに全く互換性のない「マイコン」を発売していました。同一メーカーの発売したものでも、機種ごとにプログラムの互換性のないものがほとんどでした。そしてマイナーな機種のユーザ、お金のない貧乏学生ユーザーにとってこの雑誌は唯一のソフト入手手段だったのです。(テープ版ソフトをダブルラジカセでコピーする 等の意見は却下)

 2003年5月号 マイコンBASICmagazine 休刊

はじめは確か、電波新聞社の月刊「マイコン」の別冊として始まった雑誌だったのではないかな?(訂正 ラ製の別冊だったみたいです) そののちベーマガは独立し、ペーパーソフトマガジンという新しいジャンルを築きました。ペーパーソフト 今の膨大なデータを駆使するPCしか知らないひとには、何のことかわからないでしょう。DOS時代以前のPCのメモリはせいぜい数十KB 多くても128KB ビジネスマシンとしてスタートしたPC-9801やマッキントッシュでさえも初めはやはり128KB。でもたとえ10KBのプログラムリストでも、手で打ち込むのはすごく大変なことなんです。ペーパーソフトというのは、簡単に言えば、そのプログラムリストをプリンタで打ち出してそれを印刷したものです。そしてそれをたくさん集めて月刊誌にしたものが、ペーパーソフトマガジン。一部の市販ソフトウェアのプログラムリストが丸ごと掲載されることさえありました。

ペーパーソフトマガジンと言えば、ほかにも工学社の「Pio」あとはテクポリもそうかな?「テクノポリス」っていうのがありました。それぞれに特徴を出していましたね。ベーマガは、だいたいリストが1ページに収まる程度のもので、しかもゲーム性の高いもの。一方Pioはすごかったね~ PCのメモリをいっぱいに使った力作ぞろいで。そのかわり打ち込んで動かすだけでも大変ですけど。たいていはオールマシン語。チェックサム使っても、サム自体のチェックサムがほしくなるくらいだったね。テクポリはちょっと路線に問題が・・・(;-_-X;)あそこは早くから、プログラム改造とかエッチとかに走って・・・。

さて、このペーパーソフトマガジン、貧しい学生ユーザーなどはとにかく安くゲームをしたい一心で、毎月買うわけです。そしてせいぜい数KBか、数十KBのリストを打ち込む。しかしたかだか100~200行のプログラムでも、一発で動くことはまずありません。時間をかけてプログラムをとにかく打ち込んで期待に胸を膨らませて RUN リターン!
      ピッポ~ん     syntax errer
どうですっ?当時のユーザーさん このエラーメッセージをいったい何十回?何百回みました? NECユーザは s/n errer かな?しかしゲームをしたいので、一生懸命プログラムを解析し、エラーの原因を調べる。そして印刷された、読みにくい文字のリストと照合。打ち込みミスを発見し修正。たまにはリスト自体もまちがってることもあった。なんのことはない、ようするにプログラムのデバッグを自然に覚えてたんですね。でもあらためておもいだすと、むしろゲームをして遊ぶことより、まともにプログラムを動くようにするまでの方が楽しかったかもしれない。まともに走るようになったゲームでゆっくりそのまま遊ぶことはあまりなかったかも。むしろちょっとした改造をして、たとえばキャラクタを入れ替えたり、背景の絵や色を変えたり・・・・。そうして知らず知らずのうちに、自分の機種のBASIC言語を覚える。わたしはJR-200ユーザでしたので、JR-100のプログラムも、すこし改造すれば動きましたね。JR-100は白黒だったので、色指定を考えるのと、LOCATE分のXとYの値を入れ替えて、・・・・なんてね。
 ペーパーソフトマガジン すでにそんな時代ではないとわかっていますが、それでもあの雑誌がなくなるというのは、さびしいですね。