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 1981年 日本ではNECの発売したPC-8001が最初のヒットPCとなっていた頃、海外においては現代にまでつながる、あるPCが発表されていました。
IBM-PC
 それまで先行していた米国最初のPCメーカー アップルが AppleⅡを販売、その全盛期にあった頃です。それまですでに大型コンピュータにおいて独占状態であった巨人企業IBMが、PC市場にも参入した瞬間でした。先行していたアップル社が、ウォールストリートジャーナル紙に全面広告で「Welcome IBM」 とやったのは有名なハナシですね。「コンピュータ革命以来のもっとも活気有る市場にようこそ! この米国の技術を世界に届ける仕事における責任ある競争を期待します!」当時余裕たっぷりだったアップルらしいですね。
 しかしこののちIBMとマイクロソフトのMS-DOSの組み合わせは、しだいにアップルのシェアを奪っていったのでした。そしてIBM-PCには Microsoft windows というOSが搭載され、爆発的な販売実績を積むことになるのです。このWindowsの特徴である、マウスを操作して特定の絵をクリックしてコンピュータを操作するGUIという考え方では、もともとアップルの方が先行していたのはご存じの通りです。
 それにしてもPC-9801あるいはFM-TOWNSなどでも走っていたMS-DOSですが、いまのWindowsとは比較にならないくらい使いにくいものでした。そこそこのバッチファイルくらいはじぶんで書けないと、まともにゲームもできない・・・(x_x;)cd rd dir/p copy さてそれぞれどんな意味のコマンドだったか憶えてますか?

echo off
cls
echo    **** welcome to our system! ****
batkey 0     番号を入力して下さい
if errorlevel 5 goto はじまり
goto はじまり

なんだかなつかしいものを書いてしまった・・・・(;^_^A …
 さて、Windowsが搭載される前、IBM-PCは発売当初から、着実に今日に至る世界標準機としての歩みを進めてきたように思えます。それは、当初から オープンアーキテクチャ すなわちその内部構造を公開し、どんどん互換機メーカーを認めるという戦術でオリジナルメーカーとしての大きな影響力を培うという考え方でした。
 こうして世界標準機への道を着々と歩んでいたIBM-PCでしたが、なぜか日本国内では、発売当初はもとよりMS-DOS全盛時代になったころでもほとんど見かけることはありませんでした。その理由はおそらく漢字の使用に関して優位に立っていた 「東洋のPC」NEC PC-9801 という存在があったためであるといえるでしょう。純粋に情報処理のための事務機器としてみた場合、日本においては最低でもカナ、できれば当用漢字くらいは使えないと、実用的とはいえません。しかし、当時の処理能力の限られたマシンでは、今のように漢字フォントをソフト上で処理することなど考えられるはずもなく、必然的に独自のアーキテクチャで漢字フォントをROMでもっていた NECマシンには太刀打ちできなかったのでしょう。FM-7(MB25010)でもオプションの漢字ROMカードを追加すれば、JIS第一水準の漢字が使えましたし、たしかFM77AVになれば標準でJIS第2水準のかなりマイナーな漢字もBASICからよんでこれたのではなかったかな。

もっとも、歴史を振り返るとなら必ずしもそれだけであったともいえないと思われます。日本における当初のIBMの歩みは、数々の迷走を繰り返し、結果として自滅していたような気がします。たとえば、日本における IBM JX の発売....あれはなんだったんでしょうね。当初日本IBMでは、マルチステーション を発売したと言うことですが、はっきり言って全く記憶にありません。しかし次の IBM JX についてはたしかに、森進一のCMは話題にはなりました。今あらためて当時のBASICmagazineを調べても、まったくメーカーの広告はおろか販売店の広告にすら載っていないJXですが、当時、新聞の全面広告にでていたのを憶えています。そのころのメジャーなソフトを一気にJXに移植していたので、それをびっちり小さい文字で書いていたと記憶しています。たしか「サラトマ」の画面が写真ででてたんですよね。あ、「サラトマ」ってわかります?「サラダの国のトマト姫」っていうアドベンチャーゲームの名作でした。わたしはFM-7版でプレイしたんですが、結局最後まで解けなかった・・・(x_x;)
このように、かなり力をいれて発売したように見える IBM JX ですが、これはIBM-PCの互換機ではなく、PC jr というさらに下位の家庭用PCを意図されたマシンの互換機でしかありませんでした。当時の膨大な海外のIBM版ソフト、そしてたくさんのオプションボードも使うことができなかったのです....しかも、何を考えたのか、JXのオプションコネクタはPC jr とも互換性がありません!加えて IBM JX の発売わずか数ヶ月後には PC jr の生産中止が決まるという....(O.;)