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メインCPU Z-80A
サブCPU MN1800A (6802コンパチ) JR-200のサポート用
ローカルCPU MN1544 MN1542 (キーボード内)
メインRAM 64KB、JR-200 BASIC用 16KB、グラフィックRAM 48KB
グラフィック 640x200 8色 1画面、320x200 1色 3画面、640x400 1色 1画面
サウンド 8オクターブ 3重和音
プログラムキャラクター 256文字
専用ディスプレイでテレビの視聴と共にスーパーインポーズが可能
新しく強化されたJR-ZBASICは別売

ブリッジマシンとよばれ、次のつなぎのためにだけ発売されたようなマシンや、あらたなアーキテクチャの発展を試みたもののその後全くなんの進展もなかったPCは、PC-98LTや98DOなどを筆頭にさまざまなものがあります。概してそうしたマシンはハデな広告の割に販売期間はあまり長くなくそれほどヒットすることもなくひっそりと姿を消してゆきました。何台か開発されたものの、シリーズ全体がそれほど注目を浴びることもなかったような製品もありましたね。個人的には富士通FM16シリーズとか、AVがでるまえのFM77なんかはいったいいつどこで使われてたのかな~というマシンの一つです。それなりに使われていたところもあったようですが、個人的に製品を見かけることがまるでなかったので。
しかしそうしたマシンたちはそれなりにある程度の台数が製作され販売されたわけですが、このJR-300というマシン、ついにまったくその姿をほとんどあらわすこともなく、本当に一部の方の目に触れただけで消え去ったマシンという意味ではパソコン史上珍しいマシンなのではないでしょうか。わたしは当時JR-200ユーザーでしたので、正直結構期待していました。もっとも貧乏な高校生の手に届くような価格ではなかったのですが。当時の初歩のラジオ誌1983年12月号の「新登場 見れるパソコン 松下のJR-300」という記事によると、本体159000円 専用のカラーディスプレイテレビが139000円です。

さてこの同じ記事によりますと、かなりグラフィックを重視したというか、明らかにパソコンテレビX1に対抗していることがわかります。グラフィック画面は640x200 8色 1画面、320x200 1色 3画面、 さらに1色で1画面のみであるものの640x400という当時としては最高の解像度を描画することができます。ユーザー定義文字もX1と同じ256文字です。ただ、いまでこそ様々な周波数に対応したマルチシンクなど当たり前ですが、この専用ディスプレイ、このオネダンで200ラインの中解像度専用です・・・。400出しても見えにくかったことでしょう。

JR-300がほとんど実際には販売されなかった理由については様々なものがあるようで、全くそこら辺のことはわかりません。ネット上ではいろいろな説がささやかれているようですけど。カタログの請求先は松下通信工業 情報システム事業部となっています。JR-200では松下通信工業の電卓事業部だったので、電卓からは独立したのかな~。

ところでこの筐体ですが、不鮮明な写真しかないんですがみればみるほどMSXのCF-3000に似てますよね。じつはJR-300もCF-3000も実機を見たことがないのでもしかしたら大きさなんかまるで違うのかもしれませんけど。もしかしてJR-300の金型を使い回したわけでもないのでしょうが。よほどこのデザインが気に入って、ぜひとも世に出したかったのかも。キーボードの配列がそこはかとなく異なってはいるようですが。