Tanzanight

『Long way Home』 第二章(1)

2.

 私がまひるのマンションに越して来てから2週間が過ぎた。

 その間に私はこの部屋にいくつかの家具を入れた。前のままではあまりに何も無さ過ぎて生活するにも困ったからだ。実際、まひるとひなたはどうやって生活していたのだろうと驚く。この何も無い広い部屋では、ひとりがふたりになったところで空間を持て余すだけだっただろうに…。

 結局、私はふたりが帰ってきたときのことも考えて、この1LDKの部屋にも基本的な生活ができるくらいには物を揃えることにした。寝るところが無いので寝室にベッドを置き、居間にはカーテンやカーペット、そのほか細々としたものも入れた。食器や調理器具も揃えてキッチンのテーブルには4つ、椅子を置く。

 それでも、まひるが居た頃の…この部屋の雰囲気は無くさないように気をつけて。

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 最初の日以来、透は数日に一度の割合で部屋にやってきていた。電話は使わず直接やって来るのは私が電話嫌いなのを知っての事なのか、それとも自分の眼でまひるが居ないか直接確かめたいからなのか。

 そして来るたびに現在までの調査状況を聞かせてくれるが、どうやら今の所あまり大きな成果は出ていないようだ。

 透の話によると、真っ先に「プエルタから飛び立った天使」の目撃証言を探したという。

 けれど新聞のほか雑誌、ネット、噂話、どこを探しても最近はそういった情報は無かったらしい。それで透は天狗の出る森、天使・天女の伝説、羽のある妖怪…。平行してそういった伝承を片っ端から調べ、人の近づかない下地のある場所を特定しようとし始めた。

 しかし最初にまひるの事を調べたときとは状況が違う。前と違って近所だけに絞らず調査範囲を広げたせいで数が膨大になり、その上いざ現地に行ってみても既に開発が進んで伝承しか残っていないケースも多いと言っていた。.

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 「情報と違う所も有るってこと?」

 「ま、そーゆーことだ。」

 その日も透は部屋に来ていた。その時進めていた調査の中間報告だったのだが、その合間の質問へ透は簡単に答える。当然、と言うようなその口ぶりに、思わず私の返事にもため息が混じった。

 「人の住んでない辺りって、やっぱり調べるの難しいんだ…。」

 自分で思っていた以上に気落ちしているように見えたのだろう。透の顔に苦笑が浮かぶ。

 「そうだな…。森の情報なんて、ころころ新しく入るもんじゃないしな。古い情報を頼りにするしかないから、行ってみると話と違うなんてことはザラにある。山全体が住宅地になってたり、砕石場になってたり、スキー場だったりゴルフ場だったり…。まあこの前のは特殊なケースだったが。」

 「特殊なケース?」

 「ちょっと北の方になるんだが、昔ながらの森が残っている場所があるって聞いて行ってみたんだ。調べに森の奥まで入ったんだが結構いい環境だったぞ。国道からも住宅地からも離れた場所でな、辺りは静かで水も緑も多い。」

 「じゃあ、何か手がかりでも…。」

 私が期待を込めてそう聞いた時だ。

 「ジャン♪ ジャン♪ ジャンララランラ♪ ラララララーーーーーー!!」

 突然大声で叫びだした透にギョッとする。ついに壊れたか? と一瞬思ったが、いやいやコイツは元々おかしかったと自分に言い聞かせる。

 私がそんな事を考えていると知ってか知らずか、透はぼそっとひと言、言った。

 「…パチンコ。」

 「パチンコ?」

 どういう意味かと思い聞き返す私。

 「着いた時は朝だったから、まだ静かだった。だがな…昼過ぎになった頃か。いきなり近くのスピーカーが、音割れしまくりの大音量で軍艦マーチ垂れ流し始めたんだ。後で地元の人に聞いたんだが、数年前に森の裏手にパチンコ店が出来たらしくてな。近所に民家が無いのをいいことに、それから夜までエンドレス。つまり…鳴りっ放し。」

 …げんなりした。いくら森が静かで人が居なくても、そんなやかましい物が傍に有ったんじゃ、まひるに限らず野生動物だって生活できるわけが無い。おまけに、どうやらさっきの奇声は軍艦マーチのつもりだったらしい。一瞬、錯乱して祈祷師の真似事でも始めたのかと思ってしまった。…なぜか頭に浮かんだイメージは、ウマの着ぐるみを着て踊りながらシンバルを打ち鳴らす透だったが。

 そんな事を想像してしまった自分に絶望し肩を落とす私だったが、それに構わず透はケロッと言った。

 「腹立ったから、ちょっとやって勝ってきた。」

 「やったんかい!! …って、ちょっとアンタ未成年でしょ!?」

 「気にするな。今日び、あんなの制服でも着てない限りバレるこたない。本来は店内の様子を見にちょっと入ってみただけだったんだがな。やってみたら台に違法ロム使ってるのがわかったんで、遠慮なく裏ワザ使って勝たせてもらった。」

 「アンタって人は…。」

 「まぁ、違法ロムについてはそのスジに密告入れといたし。それで返してもらう貸しが1つ増えたんだ。後々役に立つツテが出来たんだからいいだろう?」

 「もう…知らん。」

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 コイツの臨機応変さにはついていけない。知り合ってから何度も感じたその感想をまた深く感じた時。ふと、壁の掛時計が目に入った。話をしているうちにいつの間にか時間が経っていたらしい。

 「あ、もうこんな時間…。とりあえず何か食べる? 簡単な物なら作れるけど。」

 「いや構わんでいいぞ。自分の食い扶持は自分で持ってきた。」

 私の言葉にそう返し、バックの中からコンビニ袋を取り出す透。中に入っているのはいつもどおりカップラーメンだ。

 「またそんな不健康なものを…。」

 頭を抱える私だったが、透が気にする気配は微塵も無い。

 「要はとりあえず腹がふくれる事が目的だからな。腹が膨れれば、悩みの八割は解決する。何だかんだ言って、人間誰でもそんなもんだ。」

 「この場合、残り二割が深刻なんだけどね…。」

 私の口から言葉がこぼれる。

 だが、その言葉に透の眼がスッと細くなった。嫌味を言うつもりは無かったのだがそう聞こえてしまったのかもしれない。最近、気が回らなくなっているのが自分でも辛い。

 「ごめん。変なこと言った。」

 謝る私だったが、透はすでに普段の表情に戻ってカップラーメンのフィルムをはがし始めていた。そして、「別に。確かにその通りだからな。」という返事が返ってきた。

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 それからしばらく経って、透の前にはカップラーメンが出来上がっていた。

 一方、私の前には自分用に入れた紅茶とクッキーがある。

 紅茶を飲む私の前で、ラーメンをかき混ぜながら何気なく透が言った。

 「そういや…学園の方はどうなってるかな。夕凪辺り、まひるの事気にしてるだろうに。」

 誰へとも無くつぶやく透。

 その言葉に、私は小さく答えた。

 「夕凪さん……来たよ?」

 下を向いてクッキーをかじりながら言う。眼は、透から見えないはずだ。

 「来た!? ここにか! いつ?」

 全く予想してなかったのだろう。透の声は妙に高かった。

 「おとといの昼間…、あと昨日。でも…たぶん、もう来ないと思う。」

 「来ない…?」

 「うん…たぶん。」

 ほんの少しだけの間を置いて、声が聞こえた。

 「言ったのか? まひるの事。」

 「言わないよ!」

 思わず顔を上げ叫んだ声に、私自身が驚いた。慌てて顔を逸らし、声をのトーンを押さえる。

 「言うわけ…ないじゃない。いくらあっけらかんとしてる様に見えたって、まひるはいつも周りの人の事を考えてたんだ。まひるがあの事を言うまで、私達に言うまでどんなに悩んで苦しんだか…。あれは、まひるの口から言うものよ! 私が言って…いい事じゃない。」

 「まぁ…機会が無かっただけとも言えるのだが…。相手が夕凪なら、まひるもいずれ言ってたかもしれないしな。」

 「それでも…言えない。言えないよ。」

 「情けない顔をするな、香澄。わかってるさ、もし立場が同じだったら俺だって言わないだろう。変な話して済まなかった。」

 ゆっくりそう言うと、透はそれ以上この話題には触れずに別の話に移り、しばらくして帰って行った。

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 透を見送り玄関から戻った私を、誰も居ない部屋が出迎える。透が帰った後のこの部屋は、妙に広くて寒々としていた。そう、きっとここはひとりで住むような所ではないのだ。部屋の入り口に立ち、そう思う。暖房のおかげで室温は高いはずなのに、妙に寒気を感じる。私は身震いして「今日は、早く寝ようかな…。」そう、ひとりつぶやいた。

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 布団に入ると、一昨日の午後のことを思い出した。

 久々に出かけた食料品の買い出しから帰り、腰を降ろして間も無く。突然玄関の呼び鈴が鳴ったのだ。しかも続けて何回も。やれやれやっと落ち着いたところなのに……。私はそう思いながらも腰を上げた。こういう鳴らし方をするのは、たいてい透が本や資料の荷物を山のように抱えて来た時だ。そんな時、透は早く開けろという気持ちを呼び鈴の鳴らし方で表現する。

 もっとも…この部屋を訪れる者は透くらいしかいないから他に考えられないのは確かなのだ。と言うのも、知り合い以外の可能性は無いのだから。

 新聞の勧誘は私が来てからしばらくして、直接全ての販売店に「来るな!」と脅しをかけたので来るはずが無い。人がひとりで落ち込んでいる時に次から次へとのこのこやってきて、しつこく能天気に勧誘するのが勘に触ったからだ。結局、二人程軽く締めて、それぞれの販売店に突き出したら他の所も来なくなった。どうやらその業界のブラックリストに載ったらしいが…気にしない。二度と来ない方が静かでいい。

 宅配便や郵便も来ないと思う。家の人間にはこちらから連絡入れるまで放って置いてとクギを刺しておいたし、まひるは住所変更する間もなく居なくなったから、郵便局も宅配業者も『この部屋に広場まひるという人間が居たこと』すら知らないのかもしれない。

 また、まひるの実家からこの部屋に何か送る事も考えられない。一応まひるの家には数日に一度電話を入れているのだが、その様子から見て可能性は限りなく少ないと感じていた。そういえば昨日電話した時に聞いたまひるの母さんの声は、また力が無くなっていた気がする…。

 そんなことを考えながら玄関までの短い廊下を歩いた。限りなくワンルームに近い間取りだがこの部屋自体はなかなかに広い。だからちょっと歩くとまひるの事を考える時間が出来てしまい癪に障ることがある。今もそんな時だ。

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 「透…。まーた何か沢山買い込んできたの……!?」

 言いながら扉を開ける私。しかしその扉の向こうにいたのは、荷物を沢山抱えてふらついている透――ではなく、不機嫌な顔をした夕凪美奈萌の姿だった。

 「な…、なんで、夕凪さんが…?」

 「それはこっちのセリフ。なんで桜庭さんがまひるの部屋に居るの?」

 「あ、えっと、居るって、あの…。え? え? いやだから何で夕凪?」

 思いがけない来客に思わず返答に窮する。しかし夕凪さんはその返事が誤魔化しに聞こえたのか、不機嫌な顔だけでなく語気も荒くなった。

 「あたしは! まひるの家でここを知ったのよ。まひるが居なくなってすぐ、学校であったことの説明にも行ったし、それ以来たまに様子も見に行ってる。」

 「まひるの…お父さんかお母さんが教えてくれたの?」

 あの二人が言うはずは無いと思いながら。まひるに関した一連の出来事と仕事との板ばさみになって疲れ切っていた父親。そして、娘が2人同時に居なくなったことに混乱して悲しむばかりだった母親。父親は仕事を理由に家に帰る事が減り、母親は既に過去の思い出の中に逃げ込み始めていたはずだ。

 「まひるのお母さんすっかり落ち込んじゃったのよ。それで私たまに顔出してて…この前まひるの部屋にも入れてもらったの。そしたら妙に片付いてるのよ。信じられる?あのまひるが部屋を綺麗にしている訳無いじゃない!」

 そこまで熱く断定しなくても。あのコはあのコで世話好きな面も持っているのだから…と思ったが、すぐに昔まひるの部屋に入った時のことを思い出した。

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 初めてまひるの家へ遊びに行った時だ。妙に整然と片付いた居間のテーブルで、まひるの母親からお菓子とお茶をもらってしばらく喋ったあと、あのにこやかな顔で

 『ほら香澄〜、入って入って〜♪』

と招くまひるに連れられてあのコの部屋に入った時の衝撃。私は思わず、それまでいた居間や廊下を振り返って見比べた。

 その過剰なまでに整頓され切った生活感の希薄な居間に対し、目の前に広がった光景はすさまじいものだったからだ。

 まず眼に入ったのが本やマンガで埋め尽くされた棚と机。そして当然のように床に散りばめられた沢山の服。加えて3分の2近くが本と服に埋まり、布団の端が見える事からかろうじてその存在を認識できるベッド。さらに…ずっと以前に閉める事を放棄したらしく、閉じる事など想定していないのが確実な開きっぱなしの押入れ。それ以外にも何が入っているのか、壁際にダンボールが積み重なっている。

 …早い話、足の踏み場も無いとはこの事だと思った。

 もっとも、私が顔をしかめているような事態はこの部屋の住人にとっては全く意に介さない事なのだろう、床で山となって折り重なっている服をかき分けかき分け中に入って行く。

 そして、大体の見当をつけると『えいっ!』という掛け声と共に服の山へ手を突っ込み、そこから座布団を引っ張り出した。

 

 『えへへ〜、見つけた〜。』

 一発で掘り当てたのが相当嬉しいらしく、満面の笑みを見せるまひる。その笑顔に私は頭を抱えた。

 『あ〜わかったわかった偉い偉い。で、偉いのは分かったから、私はどこに座ればいいの?』

 そう言う私に、まひるは『ちぇ〜、難しいのにな〜。』とブツブツ言いながら床の服を片っ端から放り投げ始めた。床にあった服はじきに無くなったが、同時にベットの上で服が山を作る。…これか原因は。そして結局、床に作った二人がギリギリ座れる空間で色んなことを話したのだ。

 『だって香澄ぃ、服だらけの床の中から座布団見つけるのって難しいんだぞ〜。』

 『あ〜そうね難しい難しい。』

 『うぬ〜あからさまに聞き流しやがってぇ…。ならば香澄クン、そーゆーキミはこれが出来るのかね?できたら座布団探し免許皆伝の称号をつかわそう〜。』

 『そんな称号要らんわーーー!!』

 『ああ!香澄!!そんな大声出しちゃダメェ!!』

 『え?うわぁぁ!?服が!服の山がぁぁぁぁ!!?』

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 『………………………………大丈夫?香澄。』

 『………何で、部屋の中で雪崩に遭わなきゃならないのよ。』

 『だから言ったのに〜。』

 『言ってない! 断じて言ってない!!』

 『ああ! またそんな大声出すと!』

 『あああああ! またぁ!?』

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 「………確かに……、あのコの部屋は片付いてなかったわね……。」

 あの時の情景を思い出しながら、ぼそっとつぶやく。

 「やっぱり。そう思ってたら帰りに電話の前にコルクボードが有ってさ、張ってあった紙に『まひる』って名前とここの住所が書いてあったのよ。もしかしたらと思ったんだけど、まさか落ち込んでるお母さんに『これ何ですか?』って聞くわけにもいかなくって、それ覚えて直接来てみたの。…誰もいなかったけどね。」

 「私…買い物に出てたから。」

 もっとゆっくり帰って来れば良かったと、後悔しながら言う。けれど、それに気づくことなく夕凪の話は続いた。

 「それで何の返事も無いから仕方なく帰ろうとしたら、あなたがマンションに入って行くじゃない。しかも至って普通にこの部屋の鍵開けて入るし。ここ、まひるの部屋じゃないの?驚いたのはこっちよ。」

 「あ…、うん。そう、ここまひるの部屋…。」

 そう答えながら、私は何と言って説明したらいいか考えていた。今までこんな状況想定してなかったから、言い訳なんて何も用意していなかった。それに残念ながら、突然の言い訳が出来るほど機転が利くタイプでない事は自分が一番よく知っている。

 ふと、こんなとき透なら適当に言いくるめるか話をそらすかして上手くあしらうんだろうな…と思ったとき、夕凪の声にやっと気が付いた。

 「……ないの?」

 「え…?」

 声は耳に入っていたのだが、考え込んでしまって言葉を認識していなかったらしい。

 「中、入れてくれないの? 外……、寒いんだけど。」

 見ると通路にいる夕凪は、両手で自分自身を抱きしめるようにして小さく震えていた。

 「 あっ、ごめん!!」

 慌ててドアを大きく開けると、私自身は玄関の中に引っ込む。その脇を夕凪が慌しく入って来た。私はそれを横目にドアを閉める。閉める前にドアの外を見たが、視界には私を安堵させてくれる要素は見つからなかった。

 扉を閉めて身震いする。気が付けば、戸を開けていたせいで玄関も結構な寒さになっていた。夕凪が居た通路はもっと寒かっただろう。

 一息ついて振り返ると、中に入った夕凪はまだ廊下で震えていた。

 「ゴメン、奥の方は暖かいから。お茶入れるから先行って待ってて。」

 そう言い置いて、私は台所へ。お茶を入れるためだが、同時に今後の対応を考えたかったからだ。

 結局…、私はその後お茶を入れ終わるまで台所から出ることが出来なかった。

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