第十八則 洞山三斤

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僧が聞いた。「仏とは何か」和尚が答えた。「麻三斤」

無門和尚の解説:この和尚は蛤の禅を体得し、殻を開いて胎の底まで見せている。 では言ってみよ。この和尚の提示したものは何なのか。 更に詠って言う。価値判断をする人は善悪の二元の価値しかない人だ。


仏とは何か、達磨がはるばるやってきた理由は何か、などと本質を問う質問に対し、 禅の和尚達は様々に応えています。糞掻きべらだ、と言ったり、いきなり顔をなぐった和尚もあります。
この無門関の中にも類似の一見奇妙な答がいくつか現れます。

解説書でも、必ずしも麻三斤でなくともよいとする解釈がほとんどです。 これを正しいとか否定するとか考えるものは自分自身が是非の判断のレベルに留まっているものだという無門和尚の解説は、 麻三斤をとやかく言うものはだめだ、とも解釈されています。しかし、私は敢えてその意味を解釈してみます。

これは、麻三斤というものをここにもたらしている全てのもの、全ての関連を示している、と解釈したいです。 種が生まれ、土壌に根をはって育ち、麻が実り、取り入れられて、そして計られて三斤というものになります。 その全ての過程、事象の中に仏が宿ります。

私の小さいころは、お米の一粒ひとつぶにはお百姓さんの心が入っているのだよ、と言われました。 それを思えば粗末にはできないよ、と。一本いっぽん手で植えられ、手で刈り取られ、千刃こきやとうみで籾を落とし、 手で編み上げた俵に詰められた米には本当にそれを作り上げていく人々の努力が感じられました。

半ばが自動化された今でも、種から稲となり穂を実らせる自然の働きはそのままです。 麻の実も命の繰り返しの中から生まれ、収穫という人間の働きを経て、三斤という目方を与えられます。



しかし、全てを結んでいる自然の連鎖、大きな時の流れの中でほんの僅かづつ変化を積み重ねてきた自然界には今、 これまでとは桁違いに大きな変化をもたらす人間の介入が始まっています。

最近の遺伝子組み替えの技術はまず植物から実用に供され、作物の中には虫が食用に出来なくなったものが産み出されています。 意図的に組み替えられたのではない自然の植物の中にも遺伝子変化がみられるようになったということです。 貴重な蝶の食草が影響を受け、滅亡の恐れがあるとも言われます。

それが遺伝子を組み替えられた作物とどのように関連しているのかはまだ不明ですが、 人間が手を付け出した遺伝子操作の影響であることは間違いないようです。それを考えると、 もはや麻三斤と言って澄ましてはおられなくなっています。

今目前にある麻三斤は、自然界の大きな流れを示すものであると同時に、人間とも強く結びついたものでしょう。 今は育て収穫するだけでなく、本来あるべき姿にまで人間がかかわってきています。

前の二則にて無門和尚は、物事をただあるがままに受け流していてはいけない、 また同じことに同じ反応をする決まりきった自動人形になってしまってはいけない、と諭してきました。 物事の本質とは、それが変化してゆく過程、自然界の全ての働きの中にあります。

麻三斤、とは、自然界の移り変わりゆく現象の本質、そしてそれに関わる人間の働き、 それらの全てを理解し受け入れる大いなる心の働き、それが仏なのだ、と言っているものと思います。 その理解を可能にするのが禅の心であり、禅の道なのでしょう。

遺伝子組み替えに限らず、今後人間はもっともっと自然に関わってゆくでしょう。 やがては著名なSF作家の描く未来の地球のように、今見られるような「自然」は 特別に保護された公園のような区域だけにしか見られなくなるでしょう。

その時代になっても麻三斤の公案は残るでしょう。 そしてその麻三斤は新しく変化し産み出されてゆく自然の連鎖を現すものとして、 この公案に向かう者に感銘をもたらしてゆくと思います。



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犬足:麻三斤は、それをもたらしている自然の繋がり、と解釈しました。 しかし今人間は膨大なエネルギ消費によって自然のサイクルを確実に破壊しつつあります。 子供のころ、石油資源はあと数十年だと言われました。不思議なことにそれは今でも変わっていません。 でも例え原子力であっても、地球の資源は無限に続くわけはないのです。 私はその代替エネルギは、人工光合成によって解決されるのではないかと思います。

植物の光合成は地球の生命を支えている基本です。 日光を利用して水を分解し水素と酸素を得、炭酸ガスを用いて生命体の元となる炭水化物を合成します。 全ての動物はその連鎖の中で植物の光合成に頼っています。 これを人工的に効率よく作用させる装置が出来たら、究極の無公害エネルギとなるでしょう。

水素と酸素はまた結合させてエネルギとして使え、炭水化物は合成原料として、 また食物として利用し、排出されるのは元の水と炭酸ガスだけです。 消費されるのは太陽からの日光エネルギで、地球全体のエネルギと分子構成のバランスは崩れません。

人間はエネルギ資源が枯渇する前に人工光合成を完成させているでしょう。 更に生物組織、生物そのものの直接合成も可能にするでしょう。 エネルギ資源の枯渇は叫ばれても、皆本気で心配はしていないようなのは、 人間の知恵の力、新しいエネルギサイクルの開発の可能性を信じているからかもしれません。 問題は、間に合うかどうか・・・