第四十四則 芭蕉主杖
和尚が皆に言った。「もし杖を持っているというなら私は杖をあげよう。もし杖を持っていないというなら杖を奪ってやろう」 無門和尚の解説:杖は橋の壊れた川を渡り、月のない闇夜を村へ帰る助けになる。しかしそれを杖と言えば直ちに地獄へ落ちる。 更に無門和尚は詠う。深いも浅いも手の中に掌握している。杖は天地も支えている。 |
この則からは無門関もいよいよ終曲に入りました。ここで改めて無門和尚は復習の意味でこれまでに学んだことが本当に身についているかどうかを問うています。 ここで示す杖とは、これまでに学んできたことの全て、このテキストの本質、禅の究極の姿を認識すること、と考えます。 ここまでのことが自分のものになっておれば、それは闇夜をしっかりと導いてくれる指針となり助けとなります。 それは自分が持っているということを意識しない、自分自身そのものでしょう。 他方、杖を支えとしてそれに縋っているようではだめです。第二十八則 のように、渡された灯を吹き消されたら元の闇に戻ってしまいます。自分の眼力で闇を見とおせねばならないのです。 無門和尚は叱咤します。もしまだ杖を持っているという意識があるのなら、それはまだ完全に自分のものになっていないのだ。私の与えた全てのもの、これまでに学んできた全てのことを改めて与えてやるから、しっかりと自分の本質とせよ。 支えなどいらない、杖など持っていない、自分自身だけで立っていると思っているなら、それも誤りである。自分自身は周囲から与えられたもの全てを包含する大きなものとせねばならない。もし敢えて何も支えを持っていないというなら、お前の中に実際には既に沢山含まれている杖を全て奪い去ってやろう。また赤子の心に戻って出なおすがよい。 人間は単独では成立しません。もし自分だけでよいというなら、禅の修行など無用です。勝手にどこかで座っていればよいのです。しかしそれでも既に相当のものを杖として支えとして学び、かつ影響を受けています。 しかし自分が学び育った過程や受けた支援は、そのまま杖として縋ってゆけばよいのではないのです。それを自分のものとして取りこみ、自分を拡大し、自分を自然と一体化させてゆかねばなりません。そこには杖があるとかないとか言う段階を超えた大きな飛躍があるはずです。ここまで無門関のテキストを勉強してきて、お前自身はどうなっているのか、と無門和尚は厳しく問い詰めます。
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