『祥子さまに叱られたい』

風見由大



「祐巳っ!!」

 祥子さまの声が薔薇の館の一室に響く。
 祐巳ならずとも、思わず竦んでしまうほどの凛とした声である。

 祥子さまは祐巳の持ってきた原稿用紙を机に叩きつける。
 バンッ。
 良い音がする。
「なっ、なんなのよ、これは」
 お美しい。
 祥子さまの端正な顔立ちは、多少怒りを露わにしたところで歪むようなものではない。
 否。
 むしろ、際立つ。

「こ、こんなの書いてきて。どうしようと言うのよ」
「まぁ、落ち着きなよ。祐巳ちゃんが怯えてるじゃないか」
 白薔薇さまが仲裁に入る。
 その祐巳はと言えば、実のところ怯えていると言う様子はあまり無い。顔を真っ赤にして俯いている。
「だいたい、祥子は何をそんなに怒っているんだ」
 そう言って、祥子さまが置いた紙を手にする。
「あっ」
 慌てて祥子さまは白薔薇さまから紙を奪い返そうとするが、もう遅い。
「いけません。それは……」
 祥子さまの抗議も聞き入れず、白薔薇さまは原稿に目を通す。
「構わないわよね。祐巳ちゃん」
 いまだ俯いたままの祐巳は、こくこくと顎を上下させて返事をする。
「ほら、祐巳ちゃんも良いって言ってるんだし。どれどれ、ちょっと拝見」
 いちいち行動を口にするから、白薔薇さまは親父くさい、と言われるのだ。



/


 さて。冒頭のシーンよりも一週間ほど前。
 卒業式を間近に控えた、二月も半ばのこと。
 祐巳たちは、全校的に行われる「卒業生を送る会」とは別に、山百合会の内輪として「薔薇さまを送る会」を企画していた。
 当日まで秘密に銘々が用意する隠し芸のようなものもあったが、他に下級生の五人がひとりずつお話を書こうということになった。
 ちなみに発案は小説好き(嗜好は正反対だが)の黄薔薇のつぼみ姉妹。
 薔薇さま方も、それは面白いと賛同した。

 何か当てがなくては書きにくかろう、と。テーマを決めることにした。
 折角だからそのテーマは薔薇さま方に決めて頂き、その要望に従って五人が書くという形を取ることになった。
 
 翌日、薔薇さま達によって発表されたテーマは、

 『叱られ』

 それは──あんまりだろう。
 まだ「何でも良い」と言われた方が書きようのあるくらいだ。


「なかなか決まらなかったのよ。そうしたら聖がアレを作ってきたの」
 紅薔薇さまが指す部屋の隅には、大きな正六面体が置かれていた。
 祐巳は知らなかったが、何でも有名なトーク番組に使われているサイコロを真似したものらしい。
 一面ずつに「別れ」とか「恋の話」とか「最近あった面白いこと」などと書かれている。そのうちの一面に「叱られ」もある。
「一日がかりで作ったんだ」
 満面の笑みを浮かべる白薔薇さま。
「で、こうやって使ったわけだ」
 白薔薇さまは、そのサイコロを両手で抱える。
「何がでるかな♪ 何がでるかな♪」
 節をつけて口ずさみながら、サイコロを高く放り投げる。
 何回か部屋の固い床を跳ねてから、
 『叱られ』
 サイコロはそう書かれた面を上にして、止まった。
「おや、やっぱり『叱られ』になった。これは君たちにこのテーマで書け、というマリア様の思し召しだね」
 白薔薇さまによれば、先ほどお三方で投げたときも、こうなったとのことだった。

「そしたら江利子が、また凄い乗り気になったのよ。あの、江利子がよ」
 紅薔薇さまの言葉に、黄薔薇さまが頷く。
 普段は気だるそうにしていて、そこがまた魅力の黄薔薇さまがあまり見せない表情を浮かべる。
 愉快極まりない、という顔だ。
「だって、面白そうじゃない。こんなお題で皆が何を書いてくるか」
 どこかうっとりとした目をする黄薔薇さま。こうなってしまっては、誰も止められない。 
「私は止めたんだけどね」
 紅薔薇さまはそう言って笑った。……怪しいものだ。


「分かりました」
 祥子さまが告げる。今回の企画を纏めているのは、主に祥子さまである。
「では、テーマは『叱られ』。一週間後までに各々書いてくること」
 他の四人も異論は無い。あろうはずも無い。
 困ったお題であるのは確かだが。薔薇さま方が決められたのであれば。

 解散後、
「祐巳さんはどんな風にするつもりなの?」
 由乃さんが尋ねてくる。
「大体はもう決まったかな」
 自信あり気な祐巳の態度に「じゃあ、負けてられないね」と由乃さんは笑った。



/

 そして、シーンは冒頭に戻る。
 白薔薇さまが、原稿用紙を黙読している。

「うーむ」
 頷く。
「ほう、ほう」
 少し興奮している。
「これは、これは」
 にやけている。

「ちょっと、聖。私にも見せなさいよ」
 白薔薇さまの様子を見て、ついに我慢できなくなった様子の黄薔薇さま。
「まぁ、待て待て」
 白薔薇さまは顔を上げると、一同を見渡す。
 そしておもむろに咳払いをすると、


『「佐知子さま、お許し下さい」』

 白薔薇さまが如何にもか弱いな女子生徒と言った趣を装って甘い声を出す。
 疑問符を顔に浮かべる一同。除く祥子さま。除く祐巳。
 すぐに白薔薇さまは言葉を続ける。

『「由美、あなたはいけない子ね」
 佐知子さまの白く細い人差し指が由美の頬をそおっと撫でる。
 ひどく、冷たい。
 その指が由美の唇にぴたと触れて止まる。
「そんな子には」
 佐知子さまが微笑む。由美が好きな、佐知子さまの笑顔。
「お仕置きが必要ね」
 佐知子さまの紅に色付いた唇の端が僅かに上がった。
「いけない子には、どんなお仕置きが相応しいかしら」
 佐知子さまの指が由美の唇から、更に下っていく。
 顎をなぞり、制服のタイに絡む。
 由美の心臓がどくん、と撥ねる。
「由美、あなたは本当にいけない子ね」
 もう一度、佐知子さまが愉快そうに口にする。
「は、はい。すいません」
「今、私が言ったのは先ほどのことではないわ」
 佐知子さまが由美の瞳を覗き込む。
 ぐぅっ、と近づく。
 まるで今にも接吻をせんとばかりに。
「私が妹であるあなたを指導しようと叱っているのに」
 きっ、と睨む。
「あなたが、嬉しそうな顔を見せたからよ。私の指導など受けられないとでも言うのかしら」
「とんでもありません」
 由美は慌てて横に首を振った。
「どうしたものかしらね」
 そう呟く佐知子さまは、まるで悪戯を考える子供のように無邪気な顔をしている。
 だからこそ、由美は恐ろしい。
 この胸の高鳴りは、果たしてこれから起こることへの不安か──。
 それとも──期待ゆえか。
 タイに絡まった佐知子さまの指がさらに動く。
 由美の決して豊かとは言えない胸に辿り着く。
 たとえ制服の上からとは言え、佐知子さまがその頂に触れた瞬間、由美はこれまで感じたこともないような痺れを覚えた。
「ひっ」
 思わず、声を漏らす。
「あらあら、どうしたのかしらね」
 言いながら、佐知子さまは続けて同じあたりをゆっくり撫でる』

 情感たっぷりに読み上げる白薔薇さま。
 ノリノリである。
 が、

「白薔薇さま、いい加減にふざけるのはおやめ下さい」
 ついに強い口調で諌める祥子さま。
「……祥子に叱られてしまった」
 全然懲りていない様子の白薔薇さま。
 一同は、呆けたまま。
 口を開く余裕も無い。
「これは、"叱られ"と言うより。"責められ"だね。祐巳ちゃんにこんな趣味があろうとは。私なら、何時でもお相手してあげるのに」
 白薔薇さまの誘いに、祐巳は小さい声で、
「……すいません。私は祥子さまじゃないと駄目なんです」
 と答えた。
「そう……そいつは残念」

「白薔薇さまっ、祐巳っ」
 祥子さま、また大声。
 さすがにはしたないと思われたのか、口に手を当てる。
「由乃なんて、なかなか上手い話を書いてきたのに」
 祥子さまは溜息をつく。
 ちなみに由乃さんは、令さまと些細なことで喧嘩をして、でもやっぱりお互いを大事に思っていることに気付いて仲直りをするというお話を書いてきた。
 素敵なお話だ。
「なのに祐巳、あなたの話は……まるで、まるで」
 その続きを口にするのは祥子さまの沽券に関わる問題。
「うちの妹はどうしてこんな風に……」
 終いに絶句する祥子さま。
 
 祥子さまの冷たい視線を感じ、祐巳は妄想を始める。

(“祥子さまに叱られたい”って“祥子さまに叱られ隊”みたいだわ)
 徒党を組んで、祥子さまに叱られるのだ。
 ひとり、またひとりと。
 一列に並んだ少女達の顔は、皆が皆、祐巳である。
 ひとりずつ、違った方法で祥子さまに叱られるのだ。

「祐巳ちゃんがひとりで百面相をしているんだけど」
 なんか身悶えていた。
「書き直しなさい、と言いたいけれど」
 祥子さまが祐巳を見る。
「むしろ悦んでしまいそうね……」


(“隊”という漢字は“豚”に似ているわ。……“祥子さまに叱られ豚”っ)
 祐巳は妄想を続ける。
「豚! 祐巳、あなたは豚よ。ほら、ぶぅとお鳴きなさい」
 鞭を振るう祥子さま。

 嗚呼!!


あとがき