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番外編・真意

1.



 結衣の耳元に顔を近付け、かすれた声でランシュが囁く。
「ねぇ、ユイ。感じる?」
「ふふっ」
 耳と首筋にかかる吐息がくすぐったくて、結衣は笑いなから首をすくめた。
「先生と比べて、どう?」
「同じよ。何も変わらないわ」
「じゃあ、こっちは?」
 ランシュは結衣の手を取り、自分の身体に当てる。手の平に伝わる、温もりと鼓動。
「一緒よ」
「これで、バレないね」
 そう言ってランシュは、ニッコリ笑った。
 結衣はランシュの身体に手を当てたまま尋ねる。
「ねぇ、ランシュ。少しドキドキしてる?」
「そりゃあ、ユイに触れてるから。オレの感情や運動量に連動するようになってるんだ」
「へぇ」
 結衣が感心して目を見開いた時、ランシュの後ろからぬっと手が伸びてきて、彼を結衣から引き剥がした。
「いつまでくっついている。ユイと至近距離での会話は禁止しただろう」
 ランシュの首に腕を巻き付けながら、ロイドが不機嫌そうにわめく。
「離してください」
 ロイドの腕をすり抜けて、ランシュはムッとした表情でロイドを睨んだ。
「あなたが何も感じないって言うから、敏感なユイに確かめてもらってたんじゃないですか」
「男に囁かれて感じるわけないだろう」
 当然だとばかりに言い切るロイドに、ランシュは肩を落としてため息を漏らした。
「そういう意味じゃありませんよ。何のテストだと思ってるんですか」
 ランシュがロイドの監督の下、職場復帰を果たして三日が経った。
 精巧なヒューマノイド・ロボットであるランシュは、見た目も言動も人間と変わらない。
 ただ二点だけ、結衣に気付かれた違いがあった。
 ひとつは鼓動が聞こえない事。もうひとつは呼吸をしていない事だ。
 どちらも、よほど近付かない限り気付かれる事はないし、ランシュが意識していれば問題はない。
 たとえば医療機器で脈拍を測定されたとしても、ランシュが機器のプログラムに干渉して、ごまかす事は可能なのだ。
 ロイドが言うには、人を騙すより機械を騙す方が簡単らしい。
 人に近付かないように気をつけていれば済む事だが、それではランシュの交友関係が閉じられたままになる。
 人と変わりなく生活するために、他の改造に先駆けて、ロイドが改良を施した。
 ランシュが結衣に恋心を抱いていた事を、ロイドは本人から聞いたらしい。だからなのか、ランシュが少しでも結衣に近付くと不機嫌になる。
 ランシュ本人はというと、家族となってからはある程度吹っ切れたようで、以前のような思い詰めた様子はない。
 むしろ元々ヤキモチ焼きのロイドをからかうために、わざと結衣に近付いて楽しんでいるようだ。
 それはロイドにも分かっているようで、だから余計に不愉快なのだろう。
 過去のわだかまりも解消し、二人の間に妙な緊張感もなく、会話も以前より増えてきた。
 ランシュが免職になるまでの二人は、本来こんな感じだったのかもしれないと結衣は思った。
 未だに睨み合っている二人に、結衣は苦笑して声をかける。
「親子ゲンカもほどほどにして、みんなでお茶にしましょう」
「……え……」
 ロイドとランシュは同時に声を発して結衣を見た。そして二人とも同じように眉をひそめ、さも嫌そうに互いを見つめ合う。
 親子だと言われたのが気に入らないのだと結衣も悟った。
 結衣はため息と共に二人を諭す。
「だって住民情報の上では親子でしょ?」
 結衣の言葉に、二人はすかさず反論した。
「確かにデータの上ではそうだが、こんな母親に色目を使う口の減らない息子なんて願い下げた」
「オレだって、ちょっとでも母親に近付いただけでヤキモチを焼く父親なんて嫌ですよ」
 二人とも結衣を母親呼ばわりしている時点で、互いを親子だと認めているようなものだと気付いていないのだろうか。結衣は思わずクスリと笑う。
「やっぱり、よく似てるわね。あなたたち」
 ロイドは益々顔をしかめ、ランシュはキョトンと首を傾げた。
 三人で食卓に移動し、結衣の作ったケーキを囲んでお茶を飲む。
 ロイドもランシュも甘いものは大好きなので、先ほどまでの不機嫌はどこかに飛んで行ったようだ。結衣には分からない機械の話で、時々言葉を交わしながら笑ったりしている。
 ほんの少し前まで殺伐としていた家庭が、まるでウソだったかのように、ゆったりと流れる午後の穏やかな一時に、結衣は幸せをかみしめていた。
 ランシュが家族になって、本当によかったと思う。それと同時に、結衣にはひとつの気がかりがあった。
 人だった頃のランシュには、本当の母親がいたのだ。そしてロイドの話によると、その人は今も健在だという。
 結衣は思いきってランシュに尋ねてみた。
「ねぇ、ランシュ。うちの子になった事をお母さんにはちゃんと報告したの?」
 ケーキをつつきながらロイドと談笑していたランシュが、心底怪訝な表情で問い返した。
「オレのお母さんは、ユイでしょ?」




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