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6.



 ラフルールの街が夕日に染まる。二階のバルコニーで洗濯物を取り込んでいた結衣は、ランシュが帰ってくる姿を見つけて階下へ降りた。
 玄関を入ってくるランシュに声をかけると、いつものように笑って挨拶を返した。あまりにいつもと変わらない様子なので、余計に気になる。一体母親とどんなやり取りを交わしたのだろう。
 結衣がうずうずしている様子を察したのか、ランシュがクスリと笑って口を開いた。
「母さんがユイの事、いいお母さんだって言ってたよ」
”あの人”が”母さん”に変わっている。明らかなランシュの変化に、思わず頬が緩む。
「大先輩にそう言ってもらえるなんて光栄ね。私なんてお母さんになったばかりなのに」
 何気なくお腹に手を当てると、ランシュがその上に手を重ねた。
「ユイの言っていた事わかったよ。オレもこの子と一緒だったんだ。いた場所はお腹の中じゃなくて人工子宮の中だったけど。確かにあの感情、男には分からないかもしれないね。だけど、それほど強い愛情を注がれる事がとても幸せなことだっていうのは、男のオレにも分かるよ」
 どうやら母親と、いい時間を過ごしてきたようだ。結衣のお腹を愛おしげに見つめるランシュの横顔からも、それは窺える。
 実のところ結衣にも、確信があったわけではない。ロイドから聞いた話を総合して、ランシュの母は子どもが欲しかったのではないかと推測したのだ。
 以前ロイドから聞いた国王陛下のクローンは、生まれてすぐに急速成長させられたらしい。そういう技術は、ランシュが生まれる前からあったということだ。
 ところがランシュは赤ちゃんのまま、成長させられてはいないという。純粋に夫のクローンが欲しかったのなら、迷わず成長させているだろう。
 生まれてから発覚するまで三日あったのだ。それだけあれば少しくらい成長していてもおかしくない。
 人間だった頃のランシュを、結衣は知らない。今のランシュは、十八歳当時の姿そのままだという。
 病弱だったランシュは、成長も遅れ気味だったのではないだろうか。体つきも中性的で実年齢よりも若干幼く見える。弟の蒼太が十八歳の時には、もう充分むさくるしかった。
 結衣には技術的なことは分からない。だが人間は身体の機能が不完全な状態で生まれてくると聞いた。
 動物の赤ちゃんは生まれてすぐに立ち上がったり、数ヶ月で親と変わらないものを食べたり出来るのに、人間は一年くらい経たないと、立つことも食べることもできない。
 もしもランシュが少しでも急速成長させられていたら、筋力や内臓の機能が普通の子ども並みには強化されて、もう少し丈夫になったのではないだろうか。
 本当のところはロイドにもよく分からないらしいが、急速成長させられた国王陛下のクローンは、オリジナルの国王よりも丈夫だったらしい。
 それに比べ不妊治療の一環として、普通に生まれ育ったクローンたちは、皆ランシュ同様病弱で、中には十歳に満たない若さで亡くなった者もいるという。
 身体を成長させるための細胞分裂を繰り返す度に、元々短い寿命をすり減らすからだろうとロイドは言う。
 培養槽での急速成長は、内臓などの機能を一切使う事なく直接細胞に栄養を与えるので、臓器や体機能への負担が少ないらしい。
 皮肉にも母の愛が、かえってランシュの寿命を縮めていたということなのだろう。
 それでもランシュにとって、それは救いになったに違いない。実験動物や身代わりではなく自分自身が、母に望まれて生まれてきたのだ。
 ランシュは結衣の手を取り、穏やかに微笑んだ。
「ユイが会いに行くように言ってくれたおかげで、オレが生まれてきた理由がわかった。ありがとう、ユイ」
 少し力を加えてキュッと手を握った後、ランシュは結衣の頬に軽くキスをした。
「どういたしまして」
 誤解が解けてよかったと結衣がホッと微笑んでいると、ランシュの後ろからぬっと腕が伸びてきた。
「こら」
「わっ」
 後ろに引っ張られて、ランシュがよろめく。いつの間に帰ってきたのか、不機嫌そうなロイドが、結衣から引き剥がしたランシュの額をペシッと叩いた。
「ったく。油断も隙もあったもんじゃない、このエロ息子」
「変な言い方しないで下さい。感謝のキスじゃないですか」
 ムッとして反論するランシュの額を、ロイドはもう一度叩く。
「黙れ。ユイの国じゃ、親兄弟とキスはしないんだ。おまえもソータから聞いただろう」
「ここはクランベールで、オレはクランベール人です。あなただってオレにキスしたことあるでしょう?」
「えぇ?!」
 ランシュの言わんとすることは分かっていたが、結衣はわざと派手に驚いて見せた。案の定ロイドは、おもしろいほどうろたえて即座に言い訳をする。
「勘違いするな。こいつが子どもの頃の話だ」
 あまりに予想通りの反応に、結衣はクスリと笑う。
 ランシュは呆れたように大きくため息をついた。
「オレのキスなんて人形のキスと変わらないんだから、そんなに目くじら立てなくても……」
「都合のいい時だけロボットになるな。道具が相手と変わらないとか言って、それ以上の行為に及んだら許さないからな」
「……え……」
 結衣とランシュは同時に声を発して、次の瞬間絶句する。咄嗟に顔を見合わせた後、ランシュが気恥ずかしそうに目を逸らした。
 そして困ったように横目でロイドを睨む。
「そんな事考えてもいませんでしたよ。変な想像しないで下さい。こっちが恥ずかしいです」
 また余計な事に気付いてしまった。ランシュは恥ずかしくても赤面したり出来ないようだ。
 ロイドは涼しい顔で、ランシュの額を叩く。
「今想像しただろう。エロ息子」
「やめて下さい。ユイはオレのお母さんで、あなたはお父さんなんですよ。データの上では。なんならお父さんと呼びましょうか」
「やめろ」
 言い争っていながらも、以前のような険悪な雰囲気がないせいか、どことなく微笑ましい。
 結衣は二人に背を向けて台所へ向かった。
「ユイ、どこへ行く」
 気付いたロイドが声をかけた。結衣は振り返り、笑いながら言う。
「晩ご飯の支度しないと。あなたたちは仲良くケンカしてていいわ」
 そしてそのまま台所へ向かった。
「あ、オレ手伝うよ」
「行かなくていい」
 後ろから二人の声が聞こえたが、結局ロイドに引き止められたようで、ランシュは台所へは来なかった。
 唯一気になっていたランシュと母親の懸案が解決し、本当に幸せな日常が戻って来た。
 まだほとんど実感の湧かないお腹を、結衣はそっと撫でる。
 この子が生まれてきたら、二人は奪い合って争いそうな気がする。なんとなくそんな光景が目に浮かんだ。それはそれで益々賑やかで楽しそうだ。
 ランシュが憧れた温かい家庭。ロイドが約束してくれた幸せな家庭。そんな何気ない日常がずっと続けばいいと結衣は密かに願った。



(完)




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