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番外編・一期一会(いちごいちえ)


1.



 傍らで眠るロイドを見つめて、結衣は小さく微笑んだ。
 指先で鼻の頭をチョンとつついてみたが、起きる気配はない。よほど疲れているのだろう。完全に爆睡状態だ。結衣は思わず、クスリと笑った。
 ロイドと共に日本からクランベールに戻ってみると、すでに真夜中になっていた。日付は変わっていなかったが、ロイドが出発したのが夕方だったというので、また時間がずれていたようだ。
 二人が現れたのは、人捜しマシンのガラスの筒の中だった。
 すぐにローザンが嬉しそうな顔で、筒の側まで駆け寄ってきた。彼は夕方からずっと、ロイドの帰りを待ち続けていたという。
 元々王子と二人で、ロイドの時空移動を見守っていたらしいが、夜遅くなっても帰ってこないので、王子には休んでもらったそうだ。
 帰ったら結衣と共に王の元へ挨拶に行く予定だったが、真夜中だったので、ローザンに礼を言ってロイドの部屋に直行した。
 後で聞いたが、三ヶ月という短期間で時空移動装置が完成したのは、装置を一から作ったのではなく、人捜しマシンに時空の穴を開ける機能を追加しただけだからだという。
 それでもロイドは、科学技術局の仕事と平行して、ほとんど休みなく装置の開発に力を注いでいたのだろう。結衣が風呂から上がってみると、彼はソファに座ったまま、居眠りをしていた。
 声をかけても薄く目を開いて返事をするだけで、すぐにまた目を閉じてしまい、動こうともしない。
 ここまで無防備なロイドは初めて見た。
 寝るなら寝室まで行って欲しいのだが、動いてくれない。かといって、彼をここに放置したまま、自分だけベッドに寝るのも気が引ける。
 結衣は少しの間、どうしたものかと考えあぐねて、ロイドの側に立ち尽くした。
 ふと、以前ロイドが見せてくれた機械の事を思い出した。もしかしたら、まだポケットに入っているかもしれない。そう思い、ロイドがソファの背に引っかけた白衣のポケットを探った。
 はたしてそこには、目的の携帯用パワードスーツが入っていた。
 それを使えば、結衣でもロイドを持ち上げる事が出来ると聞いた。
 結衣はポケットから金属で出来た棒状の機械を取り出すと、記憶をたぐり寄せて、そこに付いたボタンを押す。以前見た時と同じように、金属の棒は、蜘蛛の足のように四方に広がった。
 確か、手足に装着すると言っていた。長い方が足で、短い方が手に着けるのだろう。だが、どうやって着けるのか分からない。
 結衣は機械を両手に持って、隅々まで眺め回した。
 細長く伸びた金属は柔軟性に富み、自由自在に折れ曲がる。ふと、四つの先端に小さなボタンがある事に気が付いた。
 試しに押してみると、そこから薄い金属のベルトか現れ、輪を作った。もう一度ボタンを押すと、ベルトはスルリと元の位置に引っ込んだ。どうやらこれで装着するらしい。
 結衣は早速、両手足にそれぞれベルトを装着した。
 ロイドサイズだったら、すっぽ抜けるんじゃないかと思ったら、ベルトは着けた者の手足の太さに自動的に調整されるらしい。
 さて、これで本当にロイドが持ち上げられるんだろうか。
 結衣は半信半疑のまま、とりあえずロイドの腕を持ち上げてみた。
 思わず目を見張る。ロイドの腕が、まるでラップの芯でも持ち上げたかのように軽いのだ。これなら本当に持ち上げられそうだ。
 呆れた事にロイドは、腕を持ち上げられたまま、すでに熟睡モードに突入していた。
 持ち上げた腕を左右に振ってみたが、なすがままで反応もない。
 顔に落書きでもしてやろうかと、ちょっと考えたが、後が怖いのでやめておいた。
 結衣はとりあえず寝室の扉を開け、再びロイドの元に戻ってきた。
 彼の靴を脱がせ足をそろえて、ひざの裏側に腕を添え、側にしゃがんだ。反対の腕を背中に回すと、ギリギリ向こうの脇の下に届いた。
 ロイドの頭を自分の肩にもたれさせ、ゆっくりと持ち上げてみる。腕一本の時よりかなり重いが、何とか持ち上げられそうだ。
 力を込めて、ゆっくり立ち上がる。腕の中で胎児のように丸くなって眠るロイドが、なんだかかわいくて、結衣は思わずクスリと笑った。
 だが持ち上げる事は出来たが、かなり重い。ロイドは確か、二〜三倍の力が出せると言っていた。
 自分の弟が身長百八十センチで体重六十五キロだと聞いた。ロイドは弟より大きく筋肉質なので、七十キロくらいあるんじゃないだろうか。三分の一にしても二十三キロはあることになる。
 このまま歩くのは、背中に回した腕がすっぽ抜けそうで怖い。
 結衣は一旦ロイドを下ろすと、今度は彼に背を向けて、足の間にしゃがんだ。腕を引いて身体を背中に乗せ、両足を持って立ち上がった。こっちの方が随分楽に運べる。
 結衣はロイドをさっさと寝室に運んで、ベッドに寝かせた。その間ロイドは、一度も目を覚まさない。
 マシンを外して白衣のポケットに戻すと、結衣はロイドの隣に潜り込んだ。
 目を閉じて眠ろうとするが、ちっとも眠くならない。当たり前だ。結衣は朝起きてから数時間しか経っていない。まだ寝る時間ではないのだ。
 しばらくゴロゴロしていたが、眠れそうにないので諦めた。
 隣のロイドに視線を移すと、幸せそうにスヤスヤ眠っている。
 結衣の父も弟もイビキがうるさいので、男はみんなイビキをかくものだと思っていたが、ロイドは本当に静かに眠る。時々寝返りを打つだけで、寝言も歯ぎしりもない。
 基本的にうつ伏せが好きなようだが、横向きになった時、結衣を抱き寄せる。それがちょっと嬉しかった。
 最初は目を覚ましたのかと思ったが、どうやら無意識らしい。普段は布団の端でも抱き寄せているのかと思うと、おかしかった。
 眠るロイドを観察しながら、結衣は今後の事を色々と考えた。
 ロイドのおかげで、自由に日本とクランベールを行き来できるようになったとはいえ、またしても着の身着のままやって来てしまった。近いうちに日本に帰らなければならない。
 咄嗟に書き置きは残したものの、あれが誰かの目に触れたら『クランベールってどこだ?』と物議を醸すだろう。ワイドショーの格好のネタだ。
 ロイドと結婚するにしても、当分先の事だろう。なにより彼の存在を、両親に理解してもらうのに時間がかかりそうだ。
 いっそ盆休みに、ロイドを連れて実家に帰ってみようかと、ふと思った。
 しかし今まで浮いた話の一つもなかった娘が、いきなり金髪の大男を連れて来て、パニックに陥る両親の姿が目に浮かんだ。おまけに彼は異世界人です、と言われたら、思考が停止してしまいそうな気がする。
 しばらくは週末に遊びに来る生活が続くだろう。そのためには、時間がずれないように改良してもらわなければならない。
 そんな事をとりとめもなく、繰り返し考えている内に、空が白み始めてきた。
 そしてようやく、結衣がうとうとし始めた時、隣でロイドがいきなり布団をはねのけて飛び起きた。
「しまった! オレとした事が!」
 叫びながら両手で頭を抱えたロイドを見て、結衣はひじで半分身体を起こし、何事が起きたのかと思わずうろたえた。
「な、何?」
 問いかけると、ロイドは振り返り、真顔で結衣を見つめた。
「今からでも、いいか?」
「え? だから、何が?」
 何か急用を忘れて眠ってしまったんだろうか? ロイドの真剣な表情が不安を煽り、再び問いかけると、ロイドはいきなり結衣を押し倒した。
「相変わらずニブイな。この間の続きに決まってるだろう」
 結衣は一気に脱力した。
 何か重大な事でもあるのかと思えば、このエロ学者は!
 いや、重大な事には違いないのだが――。
 口づけようと顔を近づけてきたロイドの額を手で押さえて、結衣はキッパリと拒否した。
「絶対、イヤ」
 ロイドは不服そうに、目を細くして結衣を睨む。
「なぜだ。あの時、泣きながら迫ってきたのはおまえの方じゃないか」
 痛いところを突かれて、結衣は一瞬絶句する。だが、ここで譲るわけにはいかない。
 こんな唐突に、慌ただしく、半ば奪われるように、ではムードもへったくれもあったものではない。
「今はイヤなの。だってあなた、ゆうべお風呂に入ってないじゃない」
 今度はロイドが絶句した。少しの間、思い詰めたような表情で結衣を見つめた後、意を決したようにベッドから下りた。
「わかった。風呂に入ってくる。すぐに戻るから、待ってろ」
 そう言ってロイドは、寝室を出て行った。
 結衣は身体を起こし、ロイドがはねのけた布団をかき寄せて、再び横になると、ひとつため息をついた。
(何も今じゃなくても……。もう、いつだって会えるのに……)
 半ば呆れながら目を閉じると、結衣はそのまま眠りに落ちていった。



 しばらくして結衣は、突然目を覚ました。どれくらい時間が経ったのだろう。辺りはすっかり明るくなっている。
 身体を起こし周りを見回してみたが、寝室の中にロイドの姿はなかった。
 結衣は慌ててベッドから下りると、寝室の扉を開いた。
 リビングのソファに座り、新聞を読んでいたロイドが、もの言いたげな視線をこちらに向けた。
 結衣は笑顔を引きつらせて、とりあえず挨拶をする。
「お、おはよう」
 新聞を折りたたみながら、ロイドは結衣をジロリと睨んだ。
「……ずるいぞ、おまえ。オレを追い出した隙に熟睡するなんて」
「ごめん。なんか時差ボケしちゃってて、やっと眠くなったとこだったの。それに、あなた唐突だし……」
 結衣の軽い調子にカチンと来たのか、ロイドはローテーブルの上に新聞を叩きつけると、声を荒げた。
「三ヶ月ぶりなんだぞ! やっと会えたんだ! すぐにでも、おまえを欲しいと思うのは当然じゃないか!」
 あまりの剣幕に、結衣はビクリと身体を震わせて、身を硬くした。同時に三ヶ月という時間の重みがのしかかる。
 自分は、ほんの数分で会えたが、その間にロイドの時間は、三ヶ月経っていたのだ。
 本来なら何年かかるか分からないと言っていた事を、ロイドはわずか三ヶ月で成し遂げた。
 三ヶ月の間、ロイドはひとりで頑張ってきた。
 全ては結衣に再び会うため。結衣を長く待たせないために。
 あまりにもすぐに再会できたせいで実感が湧かなかったが、自分の時間がロイドと同じように三ヶ月経っていたなら、きっと不安と寂しさで押し潰されそうになっていただろう。
 結衣は肩を落として項垂れた。
「ごめん。私、すぐに会えたから実感が湧かなくて、あなたの気持ち、考えてなかった」
 足元を見つめて立ち尽くしていると、小さなため息が聞こえ、ロイドが静かに結衣を呼んだ。
「来い」
 結衣は俯いたまま、とぼとぼとロイドの側まで歩み寄る。ロイドは、結衣の手を引いて自分の隣に座らせ、抱きしめた。
「そんな顔するな。ケンカするために、おまえを迎えに行ったわけじゃないんだ。怒鳴って悪かった。先に爆睡したのはオレの方だしな」
「ううん。疲れてたんでしょ? ごめんね。私のために無理したんじゃないの?」
「いや。確かに睡眠時間は削ったが、無理はしていない。おまえに会えたら、安心して気が抜けたんだ」
 ロイドは結衣を更に抱き寄せ、額に口づけた。そして不思議そうに首を傾げる。
「だが妙だな。どうやってベッドに行ったのか覚えていない」
 結衣はクスリと笑い、種明かしをした。
「私が運んだの」
「おまえが?」
 一瞬目を見開いて驚いたものの、ロイドはすぐにピンと来たらしい。
「あぁ。アレを使ったのか。よく覚えていたな」
「うん。赤ちゃんみたいに丸くなってるあなたが、かわいかった」
 結衣が微笑むと、ロイドがうろたえた。
「ちょっと待て。横抱きにして運んだのか? 無茶するな。よく落とさなかったな」
「無理っぽかったから、運ぶ時には背負ったの。落とさなかったから安心して」
「落とされてたら、いくらなんでも起きてる」
 そう言ってロイドは、結衣の額を叩いた。
「まずは顔を洗って着替えてこい。飯食ったら陛下のところへご挨拶に伺う。洗面所にラクロットさんが用意してくれた服と化粧品が置いてある」
 ロイドに背中を叩いて促され、結衣は立ち上がった。そして、ふと疑問に思い、問いかける。
「化粧品? 王子様になるんじゃないの?」
 ロイドは結衣を見上げて、ニッと笑う。
「おまえはもう殿下じゃない。オレの恋人だ」
 結衣は微笑んで頷いた。
「……うん」
”恋人”という響きが、なんだかくすぐったかった。




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