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2. 用意されていた服に着替えて、約一ヶ月ぶりに化粧をする。首筋に付いた赤紫の跡も、念入りにファンデーションを厚塗りした。 ラクロット氏が用意してくれたという淡い空色のドレスは、胸元や袖口に上品なレースをあしらい、足首の辺りにチラリと見えるペチコートの裾にもレースが使われていた。 貴婦人のようなヒラヒラとしたドレスを初めて着た結衣は、鏡に映る自分を見て、何だか気恥ずかしさを覚えた。 「うーん。もう少し胸があったら少しは様になるんだろうけどなぁ。胸が開いたドレスじゃなくてよかった」 ぼやきながら、ドレスと同じ空色のパンプスを履いてリビングに戻ると、ロイドと王子が立ち話をしていた。王子はテラス経由でやって来たらしい。 結衣に気付いて、二人が同時にこちらを向く。 二人に注目されて、女装しているのが照れくさくなった。女なのに。 「ユイ。おかえり」 王子が笑顔で声をかけてきた。 側まで行くと、ロイドが目を細めて髪をサラリと撫でた。 「よく似合ってる。少し髪の色素を抜いてもいいか?」 「うん」 王子が女装しているように思われてはマズイので、髪の色を変えようというのだろう。 「ごめんね、ユイ。王宮のみんなは、もう見慣れた頃だと思うけど、街の人はまだ、あんまり見慣れてないからさ」 申し訳なさそうに苦笑する王子を見て、ハタと気付いた。 「あれ? レフォール、髪切ったの?」 結衣と同じように、腰まで届くほど長かった王子の髪が、耳も首も露わになるほどバッサリと短く切られている。 王子は腰に手を当て、不敵に笑う。 「僕もいい年だからね。そろそろ世を忍ぶ仮の姿は返上しようと思ってさ。来月にはジレットとの婚約を正式に発表するんだよ」 (十七歳で”いい年”って言われても……) 結衣は思わず苦笑した。 王子は来年、十八歳の誕生日を待って、ジレットと結婚するそうだ。最近では、王の執務の補佐も務めているという。 「大丈夫なの? 帝王学が疎かになってるって、叔父さんがイヤミ言ってたわよ」 揶揄する結衣に、王子はおもしろそうに笑う。 「叔父上にそう思われてたなら大成功かな。僕の演技力も捨てたもんじゃないね。僕は叔父上に王位を譲るつもりはないよ」 どこが無邪気で陽気な少年だ。今さらのように、結衣は王子の正体を悟る。 こいつの本質は、とんでもなく狡猾で、したたかだ。王もロイドも手玉に取られるのも頷ける。 「……あなた、二重人格でしょう」 結衣が指摘すると、王子はサラリと言い返した。 「今頃気付いたの?」 そして王子は、淡い笑みを湛えてロイドと結衣を見つめた。その面差しにはどことなく、王と同じ威厳が漂っている。 「ロイド、ユイ。即位した後も友人として、今と変わらず私を支えてくれないか」 ロイドは返事をして、恭しく頭を下げた。 「御意、承りました」 ポカンとして見とれる結衣の背中を、ロイドが軽く叩いた。結衣はハッとして、慌てて返事をする。 「あ、ぎょ、御意」 王子は頷いてにっこり笑うと、いつもの調子に戻った。 「なんてね。即位なんて、まだまだ先だよ。父上はあの通りピンピンしてるし、僕ももう少し自由でいたいしね」 返上するんじゃなかったのか、と呆れつつも、本来十七歳の少年とは、そういうものだろうと納得する。 「じゃあ、三ヶ月ぶりの再会を、あんまり邪魔しちゃ悪いし、また後でね」 そう言って王子は手を振りながら、テラスへ出て行った。 ロイドは王子を見送った後、ガラス戸を閉めて戻ってくると、テーブルの上に置かれた三十センチくらいの白い棒を手に取った。 「それ、何?」 物珍しげに見つめると、ロイドは結衣の髪を一房掴んで、棒をかざして見せた。 「色素を抜く装置だ。ほら」 ロイドが棒をよけると、そこだけ髪の色が明るい栗色に変わっていた。 結衣は思わず感嘆の声を上げる。 「すごーい! これ、頭皮とかは大丈夫なの?」 「毛髪にしか反応しない。向こうを向け」 「うん」 結衣が背中を向けると、ロイドは指先で髪を梳いたりほぐしたりしながら、装置をかざした。首筋やうなじの髪をかき上げられ、結衣がピクピク反応するたびに、ロイドはおもしろそうにクスクス笑う。 気を紛らわせるために、結衣はロイドに話しかけた。 「ねぇ。王子様が、ああいう性格だって知ってた?」 「あぁ。ご幼少の頃からそうだったな。おもしろいだろう?」 なるほど、と納得する。どうもロイドの判断基準は、何につけても、おもしろいかどうかのようだ。 「じゃあ、あなたはどうして王様やエライ人たちの前だと、態度が豹変するの?」 「そんなの当たり前だろう。だが、強いて言うなら、陛下や殿下のネックにならないため、かな?」 「どういう事?」 「オレはお二人が何をやるのか、側で見ていたいだけだが、どこの馬の骨ともつかないオレを、側に置くだけで気に入らない輩もいる。オレが礼儀知らずだったり素行が悪かったりしたら、何かあった時、陛下や殿下の失脚を目論む口実にされかねない。そんな事で動じるような方々じゃないとは思うが、わざわざ種を蒔く必要もない。お二人が親しく接して下さる事は嬉しく思うが、オレの方からは、なれなれしくしないように心がけている。おまえはもう殿下じゃないんだ。今後はオレと無関係でない以上、殿下にタメ口きいたりするな」 「うん……」 結衣は素直に返事をした。 言われてみれば、王子は元々雲の上の人だ。彼の人懐こさにごまかされて、普通の少年と同じつもりで接していた。 王も王子も、隙あらば引きずり下ろしてやろうと考えている人々の中に身を置いている。そんな彼らに気に入られているのなら、せめて足を引っ張るような事はしないようにしようと思った。 「後は前髪と眉だ。こっちを向け」 言われるままに、結衣は身体を反転させる。目の前がちらつくので目を閉じた。 少しの間前髪をサラサラと撫でた後、ロイドは結衣の肩を軽く叩いた。 「もう、いいぞ」 目を開くと、ロイドが白い棒を左右に振って、おどけたように言う。 「ついでに下の方も、やっとくか?」 結衣は思わず眉間にしわを寄せて、ロイドの肩を小突いた。 「必要ないでしょ? もう! 隙あらばエロいんだから!」 ロイドはクスクス笑いながら装置をテーブルに置き、改めて結衣の姿を眺めた。 「これで誰が見ても殿下と区別がつくな。挨拶を済ませたら街に買い物に行くぞ」 「買い物?」 「あぁ。おまえのものを色々。そのドレスだけ着てるわけにもいかないだろう?」 思わず心が弾んで、結衣は笑顔になる。 「街へ行けるの?」 ロイドも微笑んだ。 「あぁ。午前中に買い物を済ませて、どこかで昼食を摂ったら、街を案内してやる」 「きゃあ。嬉しい!」 結衣は飛び跳ねて喜んだ。ずっと王宮内、というより、ロイドの研究室に閉じこもっていたので、いつもテラスから見下ろすだけだったラフルールの街に行けるのは嬉しい。 それにこれは、いわゆるデートだ。 何度もキスして、プロポーズもされたのに、今まで一度もデートをした事がない。ロイドとの初デートが、何より嬉しかった。おまけに結衣にとっては、人生初のデートだ。 キスやプロポーズより後、というのが妙な話だが――。 「あなたと一緒に行くの?」 「あぁ。だが、買い物は遠慮しとく。オレは本屋にいるから、適当に欲しい物を買ってこい」 結衣は眉をひそめる。それじゃ、一緒に行く意味がない。 「なんで?」 「女の買い物は無駄に長いからな。買わないのに見て回ったりするし」 「いいじゃない。見てるだけでも楽しいんだもの。あなたは、そんなに早いの?」 結衣が口をとがらせて抗議すると、ロイドは大真面目に反論する。 「オレはそんなに早くはないぞ。どっちかというと、たっぷり時間をかけてじっくり味わう方だ」 どうして、そっちに話を持って行くのだろう。結衣はガックリ肩を落として、大きくため息をついた。 「そんな事、訊いてないわよ」 だがロイドは、かまわず話を続ける。 「もっとも三ヶ月お預けを食らってるからな。最初は早いかもしれない」 「だから、話を下げないで! あなたがついて来てくれないと、私、困るじゃない。値札も読めないし、相場だって分からないのよ?」 結衣が苛々しながら訴えると、ロイドは笑って答えた。 「心配するな。パルメに助っ人を頼んだ。おまえと親しくしてただろう。彼女にはこれまでの事情も全て話してある。薄々感付いてはいたようだがな。一緒に行ってこい。買い物は女同士の方が楽しいだろう? どっちにしろオレだって、女物の相場はわからない」 確かにロイドの言う通りかもしれない。一緒に買い物をする楽しみはなくなってしまったが、考えてみれば、この男に服を見立ててもらったら、とんでもないエロ装束になってしまう可能性がある。 毎日ケーキを作るため厨房に通っている内に、パルメとは冗談を言い合うほどに仲良くなっていた。王子としてではなく、女同士で彼女と接する事が出来るのは、ちょっと楽しい気がする。 「わかった、そうする」 結衣は承諾して、ロイドと共に初めて一般用の食堂へ向かった。 |
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