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6.



 ロイドは結衣の手を握り、繁華街を外れて、先ほど案内してくれた辺りへと引き返した。どうやらその辺りは、お役所関係が立ち並ぶ官庁街のようだ。
 しばらく通りを歩いたところでロイドは立ち止まり、少し先にある建物を指差した。
「あれだ」
 他の建物に比べて、やけに広い敷地は高い塀で囲まれ、二階建ての建物が建っていた。塀の影に隠れて、建物の姿は外からほとんど見えない。頑丈な金属製の門は固く閉ざされ、科学技術局は、まるで刑務所のようだった。
「どうだ。おもしろくないだろう」
「……うん」
 確かに外から見ただけでは、ちっともおもしろくない。むしろ威圧感があって、近寄りがたい気がする。
「ほら、気が済んだなら行くぞ」
 ロイドが結衣を促して建物に背を向けた時、門が開いて若い男がひとり姿を現した。
「あ、局長じゃないですか。ちょっとお話があるんですけど」
 男は目ざとくロイドを見つけて、声をかけながら、こちらにやってきた。
 当然と言えば当然な気もする。休日の官庁街は人影もまばらで、目につきやすい。それでロイドも渋っていたのだ。
 ロイドは気付かないフリをして結衣の手を掴み、スタスタと歩き始めた。
「ねぇ、呼んでるわよ」
 結衣が指摘しても、ロイドは振り返らず、そのまま黙って歩を早める。
「え? なんで逃げるんですか」
 結衣が振り返ると、男はぼやきながら駆け出した。ロイドは結衣の額をペチッと叩く。
「振り返るな」
「あきらめたら?」
 結衣はピタリと立ち止まる。繋いだ手に腕を引かれて、ロイドも渋々立ち止まった。
 男が追いつき、ロイドの側で立ち止まると、大きくため息をついた。
「勘弁して下さいよ、局長」
 ロイドは男から顔を背けたまま、不愉快そうに言う。
「オレは休暇中なんだ。仕事の話は聞かないぞ」
「違います。一応、耳に入れておいた方がいいかと思って。多分、副局長から話はあると思いますけどね。さっき、王宮に連絡したけど捕まらないって、ぼやいてましたから」
 ロイドが逃げるので、そうかと思ったが、どうやらこの人は副局長ではないようだ。
「何だ?」
「ランシュ=バージュが失踪したそうです」
 ロイドは少し目を見開いて、問いかけた。
「失踪? あいつ入院していたんじゃなかったか? 動ける状態じゃないと聞いていたが」
「そうらしいですね。私も詳しくは知らないんです。詳しくは副局長から聞いて下さい。それじゃ、失礼します」
 言うだけ言うと、彼はロイドに会釈して立ち去った。
 ロイドは少しの間立ち尽くしたまま、拳の先を唇に当てて、なにやら考え込んでいた。
「今の人は?」
 結衣が話しかけると、ロイドはハッとしたように、こちらを向いた。
「あぁ。遺伝子工学部門の主任研究者だ」
「遺伝子工学って、クローンとか?」
「まぁ、そんな事もやってるかな。行くぞ」
 ロイドは多くを語らず、結衣の手を握って歩き始めた。国家機密だらけの科学技術局内部の事を、あまり部外者に話せないのだろう。
 それでも何か思い詰めたような様子が気になる。明らかに口数も減っている。先ほど話題に上った人の事に、関係あるような気がした。
「ランシュ=バージュって誰?」
 ロイドはチラリと結衣を見た後、正面を向いて短く答えた。
「昔、オレの助手をしていた男だ」
「入院してたって、どこか悪いの?」
「……悪い。守秘義務がある。奴の事は話せない」
「わかった」
 なんだか、ワケありな人のようだ。益々気になるが、守秘義務と言われては、それ以上聞けない。
 結衣が少し不満げにしていたからか、ロイドが肩を抱き寄せ頭を撫でた。
「気にするな。多分、大したことじゃない。疲れてないか?」
「大丈夫。さっき休んだばかりだし。あなたこそ、お腹大丈夫?」
「まだ、それほど減っていない」
「そう……」
 あれだけ食べたので、お腹の調子が悪くなっていないかと、訊いたつもりだったのだが――。
 結衣は気を取り直して、ロイドを誘った。
「腹ごなしも兼ねて、一緒に歩きましょう」
「どこへ行くんだ?」
「どこでもいい。あなたと一緒に歩いているだけで楽しいから」
 結衣が笑顔を向けると、ロイドも微笑んだ。
「わかった」
 ロイドは答えて結衣の手を握り、商店街へ向かった。
 二人で商店街を歩きながら、時々店先でロイドに帽子をかぶせたり、サングラスをかけさせたりして笑った。
 散々商店街をひやかした後、街が夕日に染まり始める頃、本屋でロイドが見ていた雑誌を買って、二人は王宮に戻った。



 夕食を終えて先に風呂を済ませた結衣は、ロイドが風呂に入っている間、ソファに座って買ってきた雑誌を手に取った。
 まずは表紙の写真を、間近で眺める。昼間、遠目に見た時も思ったが、やはり人間の女性にしか見えない。
 男を誘う色っぽい笑みを湛えた表情も、しなやかで柔らかそうな肢体も。
 パラパラとページをめくると、中央に袋とじを挟んで、後半は細かい文字ばかりのページが続いている。ロイドが言っていた技術情報のページのようだ。
 最終ページの手前には、厚紙に挟まれたカードが入っていた。おまけの付録のようなものだろう。
 ハサミがどこにあるのか分からないので、袋とじを開けるのは後回しにして、前半の写真ページを見る事にした。
 改めて頭からページをめくり、一瞬ドキリとする。そこには、一糸纏わぬ女性の写真が載っていた。
 全身写真とその横に顔の表情のアップ写真が三枚、手足や胸、尻のアップ写真があり、周りには細かい説明書きがあった。全身写真には、アンダーヘアもばっちり写っている。
 モザイクなしのこんな写真が載った雑誌を、クランベールでは普通に売っているのに驚いた。
 それともロボットだから大丈夫なのだろうか。だが、とてもロボットとは思えないほど、人間にそっくりなのだ。
 口を開けた顔の写真には、歯も舌もあるし、手足には爪もある。肌の質感も、恍惚とした表情や妖艶な微笑みも、ロボットとは思えない。
 次々にページをめくると、髪型や顔の造作、胸の大きさや体型など、様々なタイプのロボットがいる事が分かった。圧倒的に女性型が多いが、二ページほど男性型もいた。
 そして中央の袋とじの手前には、数ページに渡って、表紙を飾る最新型ロボットの特集記事が組まれていた。
「おもしろいか?」
 すっかり雑誌に見入っていた結衣は、突然声をかけられ、思い切りビクリと身体を震わせた。
 顔を上げると風呂上がりのロイドが、パジャマのボタンを留めながら、こちらに歩いてくる所だった。
 結衣の隣に腰掛けると、横から雑誌を覗き込む。一緒にヌード写真を見ているのが、なんだか気恥ずかしい。
 結衣は努めて平静を装いつつ、ロイドに尋ねた。
「これ、写真を見る限りじゃ、人間にしか見えないんだけど、動きも人間そっくりなの?」
「あぁ。体温も触感も人間と変わらない。性能のいいものは、よほど細かく観察するか、言われなければ分からないだろうな」
 結衣は思わず目を見張る。
 日本のロボット技術は、世界最高レベルだと聞いた。最近作られた、人間そっくりなロボットをネット上で見たが、動きはやはりロボットだとすぐ分かる。表情もここまで生き生きしていない。
 改めてクランベールの技術水準の高さに感服した。
「動いてるとこ、見てみたいなぁ」
 結衣がつぶやくと、ロイドは困ったような呆れたような、微妙な表情で結衣を見つめた。
「その雑誌に付いてる付録のカードに動画が収録されているはずだが、本当に見たいのか? 思い切りエロ画像だぞ」
「……え……」
 セクサロイドが、何のためのロボットか考えれば、それも頷ける。彼女たちが公園を散歩している映像を、見たいと思うユーザはいないだろう。
 ひとりでコッソリと見るのなら、それでも見てみたいが、カードの映像を見る方法が分からないので、ロイドと一緒に見る事になる。そんな勇気が、結衣にはなかった。
「それなら、やめとく。その代わりハサミを貸して。ここを開けてみたいの」
 結衣が袋とじの部分をつまんでみせると、ロイドはため息と共に立ち上がった。
「そこも充分、刺激が強いんだがな」
 部屋の隅にある机の引き出しから、ハサミを取り出して結衣に渡すと、ロイドは再び結衣の隣に座った。
 結衣がチラリと様子を窺うと、ロイドもこちらの様子を、おもしろそうに窺っている。
 どんなエロいポーズの写真でもひるまないぞ、と心構えをして、切り開いたページを勢いよく広げる。その途端、目が釘付けになった。
 女性の局部のドアップ写真が、断面の写真とセットになって、ズラリと並んでいたのだ。
「何、これ!」
 不覚にも思わず叫んだ結衣を見て、ロイドが声を上げて笑う。
「刺激が強いと言っただろう」
「こんなもの、普通に本屋に売ってていいの?」
「だから買った人しか、見られないようになっている。それに、見てくれよりも、そこがセクサロイドの一番重要な部分だからな。研究と開発にも一番金をかけている。一番のセールスポイントを見せないわけないだろう」
”セールス”ポイントという事は、セクサロイドは民間の企業が作っているという事だろう。
 だが、こういう精巧なロボットを、ロイドは作ろうと思わないのだろうか。それが不思議に思えて訊いてみると、ロイドは不愉快そうに顔をしかめた。
「セクサロイドが何のためのロボットか分かってるだろう。我が子にそんな事をさせたい親がどこにいる」
「そんな目的のロボットじゃなくて、こんな風に人間そっくりなロボットよ。あなたなら、もっと高性能で人間とそっくり同じようなロボットを作りたいと思うんじゃないの?」
 ロイドは相変わらず不愉快そうな表情のまま、顔を背けた。
「そいつらは、見てくれは人間そっくりだが、人間とは決定的に違う。感情がないからだ。こちらのアクションに対して、いくら表情豊かに反応を返しても、それは内蔵プログラムと人工知能が、計算によって導き出した結果でしかない。オレはヒューマノイド・ロボットは作らない。おもしろくないからな」
 限りなく人間に近いロボットは、結衣にしてみればおもしろいのだが、ロイドのおもしろいは結衣とは基準が違うようだ。
 作り方が分かるから、おもしろさが違うところにあるのかもしれない。
 さすがのロイドも、感情を持ったロボットは無理なのだろうか。
 雑誌を閉じて、妖艶に微笑む表紙のロボットに視線を落とす。彼女をぼんやり見つめていると、ロイドが横から雑誌を取り上げ、テーブルの上に置いた。
「読書の時間は終わりだ」
 そう言ってロイドはメガネを外し、結衣を抱き寄せ口づけた。
 少ししてロイドが唇を離すと、結衣は思い出したようにクスクス笑った。ロイドが訝しげに尋ねる。
「どうした?」
「あなた、私の唇が魔性を秘めてるって言ったでしょう? あなたの唇にも魔力があったのを思い出したの」
「初耳だな」
「だって私、あなたのキスで恋に落ちたんだもの」
 再び笑い始めた結衣を、ロイドは更に抱き寄せた。
「だったら、最初から口移しにしておけばよかったな」
「あの時そんな事されてたら、嫌いになったわよ」
「ややこしい奴だな」
「口移しはキスじゃないんでしょ? あなたが言ったんじゃない」
「おまえ、そういう余計な事は、よく覚えてるな」
 呆れたように言うロイドに、結衣は静かに微笑む。
「だって、もう二度と会えないかもしれないと思ったから、あなたの事は全部覚えておこうと思ったの」
 ロイドの料理と同じように、一期一会になってしまう可能性があったからだ。
 ロイドは結衣を抱きしめて、ニヤリと笑った。
「もう覚えてなくていいぞ。いつだって会えるんだ。睡眠も足りているし、風呂にも入った。もうイヤとは言わせないからな。今夜こそ、おまえに思い出を刻む」
 日々繰り返される一期一会の中、未来へ繋がる奇跡の出会いがある。ロイドがブラーヌに出会えたように。結衣がロイドに出会えたように。
 結衣はクスリと笑って、ロイドの首に腕を回した。
「違うわ。刻むのは歴史よ。二人の、これからの未来に向けて」
「そうだな」
 ロイドは結衣を見つめて、優しく微笑んだ。そして、囁くように言う。
「ユイ、愛してる」
「私も。あなたを愛してる」
 二人は互いに微笑んで見つめ合い、まるで儀式のようにゆっくりと、再び唇を重ね合わせた。



(完)




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