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終章 月下の再会




 秋津国建国からすでに四十年が経過していた。今は三代目国王の治世である。
 かつての杉森国、現杉森領を一望に見渡せる小高い丘の上に、杉森国歴代君主の墓所がある。
 初夏の爽やかな風が吹き抜ける夜、一番新しい墓の前に一人の男が立っていた。
 銀糸と見紛うほどのみごとな白髪を背中に垂らし、墓に向かって語りかける。
「昨日、塔矢殿が逝きました。もうお会いになりましたか? ずいぶんしわくちゃのおじいちゃんになってるので、すぐにはわからないかもしれませんね」
 そう言って男はクスリと笑った。
「私も、もうじきお伺いすると思いますが、多分すぐにわかると思いますよ」
 再び笑った男の顔を、雲間から姿を現した満月の光が明るく照らし出す。煌めく銀色の髪を夜風になびかせて、月光に照らされたその顔は紗也と別れた時のまま少年のような和成の顔だった。
 和成は髪を両手で掴んで苦笑する。
「髪は色が抜けてしまいましたけどね」
 和成が伝説のように語り継がれているのは、偉業のためだけではない。年を取らないその容姿が語り草となっていたのだ。
 六十を過ぎた頃にはさすがに自分でも薄気味悪いので政治の表舞台から身を退いて、人目を避け山奥で隠遁生活を始めた。
 和成を知る者は、もう誰もいない。塔矢で最後だった。
 慎平は数年前に病で逝った。右近は和成が君主に就任した翌年佐矢子と結婚し、一子をもうけたが、五年後に戦で命を落とした。
 紗也の初陣の時、右近に借りた手ぬぐいを彼の棺の中に入れた。今際の際に見せてやると言った、手ぬぐいに書かれた言葉を右近が目にする事はなかった。
”おまえの友達でよかった”
 生きている時に見たら「なーんだ」と言われそうな言葉だ。
 佐矢子は子供を連れて実家に帰り、その後は会っていないので消息はわからない。
 ずっと長い間、誰にも会わない生活をしていると、和成は自分が生きているのかさえ不確かになっていた。
 数日前、生きている塔矢に最後に会った時の事だ。すでに意識や記憶が曖昧になってきている塔矢が不思議な事を訊いた。
「迎えに来たのか?」
 和成は微笑んで首を横に振る。
 少し笑って和成を見つめた後眠りにつき、塔矢はそのまま目を覚まさなかったらしい。
 二人の愛娘たちに看取られての大往生だった。
 月を見上げていた和成は、弾かれたように後ろを振り向く。紗也と別れてからこれまで、何度も和成は振り向いた。そこに紗也がいるような気がして。
 今まで紗也がいたことはない。いつもがっかりとしてため息をついた。
 だが、今日はいた。やわらかな光に包まれた、紗也の姿がそこにあった。
 和成は驚いてしばらく紗也を見つめた後、目を細めて声をかける。
「やはり、そこにいらしたんですね」
 紗也は微笑んで、ゆっくりと両手を広げた。
 それを合図に、和成は駆け寄って思い切り紗也を抱きしめる。抱きしめる事ができた。
 きっと塔矢は気付いていたのだろう。和成がすでにこの世のものではない事に。そんな事はもうどうでもいい。
 あの日以来、夢の中でしか会う事のかなわなかった紗也に、こうして再び出会う事とができたのだ。残っていた約束を果たしたい。
「ずっと、お会いしとうございました。あなたにこの世界を献上いたします。一緒に海を見に行きましょう」
 腕の中で和成を見上げながら、紗也は嬉しそうに笑って頷いた。



(完)




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