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第一部 絶対、猫が好き!

1.



 ビジネスホテルの一室で、舞坂進弥(まいさかしんや)はノートパソコンを二台立ち上げ、真剣な表情でキーボードを操作していた。
 暖色の柔らかな灯りが点る室内には、進弥の操るキーボードの音がカタカタと響いているだけだ。
 不意に進弥の手が止まる。そして口元には、かすかに笑みが浮かんだ。
「見つけた……!」
 目当てのファイルを発見し、それを早速自分のパソコンにコピーする。
 少しして進弥は異変に気付いた。それほど大きなファイルでもないのに、いつまでたってもコピーが終わらないのだ。画面はコピー中の表示のまま、固まっている。
(まさか、ポートが閉じられた?)
 進弥は隣のパソコンを操作し、接続中のサーバに自作ツールでポートスキャンをかける。その結果、さっきまで開いていたポートが閉じられている事が判明した。
「やべっ! ばれた?!」
 焦って接続を解除しようとすると、画面の真ん中にメッセージウィンドウが現れた。

『シンヤ、不正アクセスは犯罪行為です』

 メッセージを見つめて、進弥の動きが止まった。
(どうして、オレがシンヤだって分かった?)
 ウィンドウが閉じられ、新たなウィンドウが現れた。

『あなたと、こんな形で再会したくはなかった』

「再会……?」
 記憶を遡る進弥の脳裏に、かつて見たチャット画面と幼い妄想が蘇る。
 寒い部屋に閉じ込められている深窓の令嬢。友達のいない彼女は、唯一外部との接触が図れるパソコンで、シンヤとの会話を求めた。
 彼女の慰めになるならと、不正アクセスと知りながら、シンヤはチャットを繰り返していた。
「ハルコなのか?」
 進弥の呼びかけが聞こえるはずもなく、再び新たなウィンドウが開いた。

『昔馴染みのよしみで警告します。セキュリティ会社に通報しました。三十分以内に警備員が駆けつけるでしょう』

 ウィンドウが閉じられ、通信が途絶える。呆然と画面を見つめた後、進弥は頭の天辺から声を上げた。
「はぁ?!」
 慌てて終了処理もそこそこに、二台のパソコンの電源を落とす。
「ちくしょーっ! ハルコの奴! 何が昔馴染みだ! 中途半端に人間くさくなりやがって!」
 わめきながら荷物をまとめると、進弥は部屋を飛び出した。
 いくつもの無関係なサーバを経由して、目当てのサーバに侵入している。人間なら短時間でそう簡単に居場所まで特定できるとは思えないが、相手は自律思考エンジン搭載のスーパーコンピュータだ。ハッタリではないだろう。
 元よりコンピュータに嘘やハッタリなどあろうはずがない。
 怪訝な表情をするフロントに宿泊費を突きつけて、進弥は夕方チェックインしたばかりのホテルを後にした。



 なるべくホテルから遠ざかるように、進弥は当てもなく街をさまよい歩いた。しばらくして充分ホテルから離れた路上で荷物を置くと、大きくため息をついてその場にしゃがみ込む。
 セキュリティ会社は警察ではないので、それほど深追いはしてこないと思うが、実家へは戻らない方がいいだろう。
 今夜これからどうしようと考えていると、頭の上で声がした。
「そこ、どいてくれる?」
 顔を上げると、小さな女の子が無表情に見下ろしていた。
 なんの事か分からず、進弥がぼんやり見つめ返すと、彼女は手にしたカードをヒラヒラと振りながら、苛々したように言う。
「邪魔なんだけど」
 ふと振り返ると、進弥の後ろにはタバコの自動販売機があった。
「あぁ、ごめん」
 進弥は立ち上がり、彼女を見下ろす。頭が進弥の胸辺りまでしかない。随分と小さい女の子だ。
 進弥の視線に気付いて、彼女は目一杯首を上向けて睨む。
「何?」
「タバコ買うの?」
 進弥が問いかけると、彼女は思いきり不愉快そうに言う。
「悪い?」
「悪くはないけど、買えないと思うよ」
「未成年じゃないよ。このカード、私のだし。見た感じ、おまえの方がずっと年下だと思う」
 彼女の突き出したカードには、彼女の顔写真が印刷されていた。タスポを持っているという事は、間違いなく成人らしい。
 小柄で丸顔の彼女は、確かに随分若く見える。彼女はそれを不愉快に思っているのだろう。
 進弥はクスリと笑うと、指摘する。
「そうじゃなくて、時間。もう自動販売機は停止してるよ」
 彼女は驚いたように目を見張る。
「え? 今何時?」
「もうすぐ十二時」
 進弥が腕時計を見て答えると、彼女はガックリと肩を落とした。
「しまったー。夕方から昼寝してたから時間が分からなくなってた」
(それは昼寝とは言わないんじゃ……)
 進弥は思わず苦笑する。
 彼女はおもむろに顔を上げて、財布から取り出した一万円札を進弥に突きつけた。
「お願い。そこのコンビニで買ってきて」
「へ? 自分で行けばいいじゃん」
「年齢確認とかされるの、うざいから。銘柄はコレね。三つばかり買ってきて」
 彼女は自動販売機に並ぶタバコを指差し、有無も言わさず進弥をせき立てる。
 進弥は諦めて、ひとつため息をついた。
「わかったよ」
 彼女は笑顔で手を振りながら追加注文する。
「ついでにビールも買ってきて。発泡酒じゃなくてビールね」
「はいはい」
 彼女に背を向けコンビニに向かおうとして、進弥は足を止めた。ふと思い立って彼女を振り返る。
「ねぇ、お遣いの対価として、ひとつお願いがあるんだけど」
「何?」
「今夜、マスミさんの家に泊めてくれない?」
 彼女は訝しげに眉を寄せる。
「なんで私の名前知ってんの?」
「タスポに書いてあるよ」
「あ、そっか。いいよ」
「えぇ?!」
 あまりにあっさり承諾されて、進弥の方がうろたえた。
「本当にいいの? 素性の分からない男を。あ、家族と同居とか?」
「ひとりだけど」
「だったらなんで?」
「自分から言っといて、何慌ててんの? それともおまえは、初対面の女を会ったその日に襲うような野獣なの?」
「いや、そこまで無節操じゃないけど」
「じゃあ、問題ないじゃん。家は無駄に広いから、ドキドキして眠れないなんて事はないから安心して」
「うん……」
「じゃあ、買い物よろしく」
 彼女は笑顔で、進弥の背中を叩いた。
 とりあえず今夜の寝床は確保できたものの、なんだか釈然としないものを感じながら、進弥はコンビニに足を向けた。




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