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8.



「私じゃないよ! だって不正アクセスなんて、どうやるんだか知らないもの!」
 真純が慌てて否定すると、瑞希は目を伏せて軽く息を吐く。
「あんたじゃない事は分かってるわよ。あんたのアリバイは立証されてるもの。二回目の時、あんたは二階のカフェで私と会ってたんだから。カフェの従業員も証言してくれるわ」
 自分の無実が証明された事に、真純はホッと胸をなで下ろす。それと同時に、別の不安が胸の中を支配した。
 それを見透かしたように、瑞希は真純を見据える。
「あんたじゃないなら、誰だか分かるでしょ?」
 真純が留守の間、家にいたのはシンヤだ。
 だがあの日、シンヤはクライアントに呼び出されて出かけていた。その隙に誰か別の人間が、忍び込んだのかもしれない。それを話すと、瑞希は呆れたように首を振った。
「わざわざ他人の家に忍び込んで、捕まるリスクを冒すより、ネットカフェにでも行くのが普通でしょ。シンヤくんをかばいたい気持ちは分からなくもないけど、偶然で片付けるにはできすぎてるわ」
 真純は言葉もなく俯く。
 シンヤを拾ったのは三日前の夜。彼は行く当てもなく途方に暮れて、道端に座り込んでいた。
 それは不正アクセスがセキュリティ会社に発覚して、ホテルから逃げ出してきたところだったのだろうか。
 翌日同じサーバに再びアクセスしたのは、真純に罪を着せるため?
 だったらなぜ、また戻って来たのだろう。そして今も、出て行かないのはどうして?
 黙り込む真純に、瑞希は淡々と告げる。
「ちょっと調べてみたんだけど、彼ね、アンダーグラウンドじゃ結構有名なハッカーみたいよ。主なクライアントは企業人。だから産業スパイみたいな事してたみたいね。個人相手には、色々怪しいツールや新種のコンピュータウィルスをネット販売してたようよ。ハンドルネームはシンヤ。真夜中に出没するからだって。奇しくも名前の由来はあんたと同じね」
 それで名付けた時、驚いたような顔をしていたわけだ。
 瑞希が言うには、シンヤはいつも唐突にアングラサイトの掲示板に現れて、サイトのアドレスを書き込んでいく。アドレスは毎回違うようで、一定時間が経過すると繋がらなくなるらしい。
 客からメッセージがあると、必ず現れていたシンヤが、ここ三日間姿を現さないので、何かあったのではないかと、勝手な憶測で盛り上がっているのを瑞希は見たという。
「その掲示板のアドレス教えて」
 シンヤの素顔を確かめたくて尋ねると、瑞希は即座に拒否した。
「ダメよ。そういう怪しいサイトがひしめき合ってるアンダーグラウンドは、素人が無防備にうろついたら痛い目に遭うわよ。知らない間に怪しいクッキーやウィルスを仕込まれたり、個人情報を抜き取られたり、覗いただけでブラウザやマシンをクラッシュさせるサイトもあるんだから」
「でも瑞希は無事だったんでしょ?」
「私は素人じゃないもの。それにハルコのガードがあったし。ハルコの検索履歴を辿ったんだけどね」
 ハルコには不正アクセスを、厳しく禁じているという。昔シンヤと出会った時、ハルコが勝手に不正アクセスをして警察沙汰になったからだ。
 そのためハルコは、社外では誰でもアクセスできるインターネット上と、自分の監視している取引先のサーバにしかアクセスできない。
 シンヤはその筋では、名の知れたハッカーだ。それなりの腕も持っている。これまでハッキングがばれた事はないらしい。
 今回ハルコに居場所まで突き止められてしまったのは、シンヤが中継地点にしていた全てのサーバが、たまたまハルコのアクセス可能なサーバだったからだ。
「でも大胆よね。どんな用事があったんだか、一度しっぽを掴まれたサーバに、別ルートからとはいえ、もう一度侵入するっていうのも信じられないけど、自分を捕まえようとしたハルコを踏み台にしたのよ」
「どういう事?」
「あんたのマシンってハルコに直結してるじゃない。彼、ハルコ経由で二度目の不正アクセスを行ったのよ。あんたのユーザIDとパスワードで正面からハルコに接続して、ハルコから目的のサーバにアクセスしたの」
 通常、無関係の外部から、ハルコに侵入するのは容易ではない。ハルコ自身の監視の目と、ハルコの挙動を監視するシステムと、二つの監視をくぐり抜けないとならないからだ。
 だが、元々接続が許されているIDとパスワードがあれば、難なくハルコの内部に入る事が出来る。もっとも、IDごとにアクセスできる範囲は限定されている。
 ハルコから外部への不正アクセスも、ハルコ監視システムのせいで困難なはずだ。その先はシンヤが何か技を使って、目的のサーバに侵入したのだろう。
「私、パスワードとか教えてないよ」
「コンピュータの中、調べれば分かるのよ。そういうイケナイツールもあるの」
「でもパソコンを立ち上げる時にもパスワードがいるでしょ? それはどうやって調べるの?」
「それはヒミツ。あんたがハッカーになったら困るから」
 瑞希はニッコリ笑って、はぐらかした。
 不正アクセスは犯罪だ。シンヤは警察に逮捕されるのだろうか。もしも、そのために協力しなければならないとしたら、なんとなく気が重い。
 真純は俯いて、瑞希に尋ねた。
「シンヤは逮捕されるの?」
「それは無理ね。状況証拠だけで、あんたの拾ったシンヤくんとハッカーのシンヤが同一人物だという証拠はないし、二度の不正アクセスを行ったのがシンヤくんだという証拠もないもの。たとえあんたのマシンにシンヤくんの指紋が残っていたとしても、一緒に住んでるわけだし、彼は掃除係なんでしょ? 掃除の時、うっかり触ったって言われれば、それまでだもの」
「私はどうすればいい?」
「あんたのIDは使用停止にしたわ。いずれ別のものを再発行するけど、その前に彼に出て行ってもらって」
「うん……」
 真純は力なく頷く。項垂れたまま、ぼんやりと考えた。
 シンヤに渡した合い鍵を返してもらわなければ。今後勝手に入り込まれたらマズイから、家の鍵を付け替えなければならないだろう。なにしろ相手は犯罪者だ。
 もっと警戒した方がいい。簡単に人を信じるな。それは自分の事を言っていたのだ。
 あの子犬のように人懐こい笑顔に騙されて、まんまと信用した真純は、シンヤの目にはさぞや滑稽に見えた事だろう。
 真純の事を心配していたのも、好きだと言ったのも、絶対裏切らないと忠誠を誓ったのも、全部ウソ!
 ぼんやりと見つめていた、ひざの上の手が、視界の中で次第に滲んで歪んでいく。
「真純……」
 正面に座っていた瑞希が席を立って、真純の隣に座り直した。そっと真純を抱き寄せ、頭を撫でる。
「そんなにシンヤくんが好きだったの?」
「違う……」
「もう、素直じゃないんだから」
 口では否定しながらも、こんな時になって真純は自覚した。
 裏切られた事が腹立たしいと言うよりも、シンヤの言葉が全部ウソだった事が、こんなにも悲しい。
 それほどシンヤを、好きになっていたのだ。




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