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2.



 このところ、ほとんどマシンルームにこもっている辺奈課長が、珍しく課内に戻って来た。課長がこもっているのは、ハルコの調子がおかしいからだろう。
 確かにおかしいと、システム開発課では囁かれていた。あまりにもおとなしすぎるのだ。
 以前は、とにかくうるさかった。業務に関わりのないサイトの閲覧に警告を発したり、開発中のプログラムソースにケチをつけたり、うっとうしいくらいだった。
 それ以外にも、毎朝社内メールを送っていたのが、三日ほど前からパッタリと来なくなった。
 このメールは社内報などの公式なものではなく、ハルコが人の手紙を真似て自主的に送っているものだ。いわば遊びのようなもので、業務にはなんの関わりもない。
 ハルコがネット上で拾ってきた文章や記事をつなぎ合わせ、時には自身の言葉も交えて文面を作成している。
 そのため日本語としてはどうだろうという文章や、前後の文章に全く脈絡がなかったりとか、意味不明でちぐはぐな仕上がりになっている。
 だが、それが案外おもしろいと、社内では評判がよかった。中には、それこそ業務に関わりのない事だろうと指摘する者もいるが、ハルコの思考エンジン強化のためにもなるという事で、黙認されていた。
 あちこちからかけられる「お疲れさま」の声に軽く応えながら、課長はまっすぐ進弥の元へやって来た。
「舞坂くん。ちょっといい?」
「はい」
 進弥は今、高木リーダーのチームで仕事をしている。リーダーではなく自分に直接話してくるという事は、仕事とは関係のない話かもしれない。
 もしかして、真純に何か――?
 少し不安に思いながらも、進弥は席を立ち、課長と共に会議室に向かった。



 会議室の扉を閉めて席に付いた途端、課長は唐突に切り出した。
「あなた、最近アンダーグラウンドを覗いた事ある?」
「いいえ」
 ハッカーである事がばれて真純の家を追い出された後、進弥は一度も怪しいサイトはうろついていない。
 進弥は辺奈商事への入社に当たって、会社とは別に課長と個人的に誓約書を交わしている。そこには主にネット犯罪に関して、事細かく取り決めがなされていた。アンダーグラウンドは覗く事すら許されていない。
 もちろん個人のパソコンでこっそり覗いて、黙っていれば発覚する事はまずない。証拠を隠滅する事くらい、”シンヤ”にとっては造作もない事だ。
 けれど進弥は、真面目に取り決めを守っていた。
 背く事は、自分の素性を知りながら入社を許した課長を裏切ると共に、再び真純を泣かせる事になるからだ。
 進弥の返事を聞いて、課長は分かっていたかのように頷いた。
「でしょうね。あなたが真純を泣かせる事はしないって信じてるわ。それとなくあの子に探りを入れてウラは取れてるし」
「何かあったんですか?」
「例の掲示板にね、”シンヤ”が現れたのよ」
「……え?」
 ハルコがいう事を聞かないので、課長は調査をしていたらしい。そして、質の悪いウィルスが侵入している事を発見した。
 ハルコには元々自浄システムが備わっている。体内に侵入した異物を取り除く、人間の持つ免疫機能のようなものだ。
 自立思考エンジン搭載のハルコは、未知のウィルス侵入を感知すると、自身で分析判断を行い処理する。
 ネット上に飛び交っている単純なウィルスなら侵入すら許す事はないのだが、よほど質の悪いウィルスなのか、駆除に手間取っているらしい。それで挙動不審になっていたようだ。
 ハルコ自身が感染はしたものの、このウィルスがハルコから二次感染した形跡はない。とはいえ、ハルコがウィルスの外部流出を抑えるためにか、おとなしく診察を受けようとしないので、ウィルスの性質など詳細は不明だ。
 現在ハルコはネットワークから切り離され、社内システムはこれまで使用されていたバックアップのコンピュータが、社外のセキュリティ事業もハルコの構築したセキュリティプランを元に別のコンピュータが担っている。
 今のところ業務に支障はないが、長引けばいずれ破綻するだろう。特に社外のセキュリティ事業は、ハルコが監視するという事が売りになっているので、いくらハルコの構築したプランでも、ハルコ抜きでは詐欺のようなものだとそのうち苦情が来るかもしれない。
 ウィルスの感染経路を探る過程で、課長は以前”シンヤ”が出没していた掲示板にたどり着いた。課長が命令したわけではないが、ハルコが時々巡回していたらしい。
 そして”シンヤ”が再び現れた事を知ったという。
 久しぶりに現れた”シンヤ”に掲示板の常連たちは、病気だったのかと心配する者や、警察に捕まってたんだろうと揶揄する者や様々だったが、おおむね歓迎されていたようだ。
「昔の”シンヤ”と同じような事してたわよ。ウィルスを売ったり、ハッキングを請け負ったり。だからあなたじゃないって思ったの」
「はぁ……。で、そいつがハルコにウィルスを?」
「多分ね。クリスマスに派手な花火を打ち上げるとか、今準備中だとか意味深な事言ってたのも気になるのよね」
 会社からアクセスしていたのもあるし、ハルコによる護衛も当てにならなかったので長居は出来ず、課長はもやもやした謎を抱えたまま引き上げたらしい。
 クリスマスまではあまり時間がない。課長はハルコだけに関わっているわけにもいかないだろう。
 課長が進弥をまっすぐ見据えて命令した。
「特別に許可するわ。ハルコと会社を守るため、あいつの事を調べて」




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