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11.



 翌朝いつもより遅い朝食を摂り、リビングでテレビをつけた。朝のワイドショーでは昨日瑞希が言った通りに、辺奈商事が大規模システム障害で臨時休業だと大げさなほどに騒いでいた。
 テレビ画面には見慣れた本社ビルが映り、二階のカフェへ直通のエスカレータも止まり封鎖されているのがわかる。
 来なくていいと言われたが、瑞希の様子を見に行こうと思っていた。でもこの様子じゃ行かない方がいいだろう。
 テレビ画面を見つめたまま、シンヤが独り言のようにつぶやいた。
「なんとしても今日中に社内システムとハルコを切り離さないと。明日まで延びたら、よけいに騒がれそうだ」
「うん」
「課長、もう来てるよね?」
「ていうか、帰ってないと思う」
 もしかしたら、瑞希は寝てないかもしれない。そう思うと、少しだけとはいえ、自分だけぐっすり寝てしまったのが申し訳ないような気がした。
 シンヤは瑞希に連絡を取って対策を実行するため、部屋に戻った。
 今日はシンヤもゆっくり昼食を摂っている暇はないかもしれない。真純は大きめの弁当箱に二人分のサンドイッチを詰めた。
 簡単に掃除を済ませ、弁当とお茶を持って二階に上がる。部屋に入ると、シンヤはすでに作業を開始していた。
 昨日見えたと言っていた対策は、実行に移せるということだろうか。瑞希の様子が気になったので、真純は昨日から置いたままになっている自分の椅子に座りながら尋ねた。
 瑞希はやはり、昨日からずっと会社にいるらしい。仮眠は取ったと言っていたらしいが、ほとんど寝ていないのではないだろうか。
 自分で考えるコンピュータとしてハルコは全国的に知れ渡っている。辺奈商事のシステム障害というだけで、ハルコに何かあったのだろうと勘ぐられ、マスコミが勝手な憶測で騒いでいる。
 その対応も瑞希が担っているはずだ。ダッシュの調査もある。早く解放してあげたいのに、自分には何もできないのがもどかしかった。
「ダッシュの居場所はわかったの?」
「居場所っていうか、アクセス元は特定できたみたい。前と一緒だった」
 という事は、大学の工学部研究室ということか。シンヤが言うには、足がつくから普通は立て続けに同じマシンからアクセスはしないものだという。
 マシンが特定できたので、ダッシュの個人情報を収集していたらしい。
 ダッシュはいつも真夜中に活動していた。学生や研究者だとしたら、昼間は講義や研究で忙しく、周りに他の人もいるので怪しい動きができない可能性も高い。
 ダッシュの動きにくい昼間を狙って、シンヤは情報収集と共に罠を仕掛けたらしい。
「電源入ってたの?」
「うん。研究で使ってるマシンみたいだから、ずっと入りっぱなしみたいだよ」
 収集した情報はすでに瑞希の元へ送られた。個人の特定は瑞希が行う。程なくダッシュが誰なのか判明するだろう。
 本人が特定できたなら、捕まえてウィルスを削除させるとか警察に突き出すとかすれば、ハルコが何か危険な事をするのを阻止できるのではないかと真純は思った。しかし、それは無理らしい。
 ダッシュの犯した罪は色々ある。不正アクセス行為禁止法違反、不正指令電磁的記録作成および提供罪、業務妨害罪、等明らかだ。
 だが、それを堂々と警察に証明できる証拠がない。あの掲示板の記事は削除されているし、何よりハルコが前科者なので警察の心証は悪いのだ。
「まぁ、こっちも同じような事やってるしね。それに今捕まえに行って逃げられたら、その方がやっかいだし。まずはダッシュからハルコを奪取しないと」
「それを言うなら奪還でしょ。変なダジャレ言ってないで真面目にやりなさい」
 へへっと笑ってシンヤはコマンドを入力し始めた。
 表示されたのは昨日見たハルコの接続画面だ。シンヤはその画面に引き続きコマンドを入力していく。
 ダッシュがいないと思われる今のうちに、ハルコのアクセス履歴ファイルを入手するのだ。とはいえ、ダッシュが絶対に見ていないという保証はない。
 なるべく早く作業を終わらせるために、ファイルのありかとファイル名を瑞希から教えてもらったらしい。
 手早く作業を終えたシンヤは、ハルコとの接続を切った。
 ハルコに繋がるようになった事は、こちらにとって有益な事だが、真純は少し不思議に思っている事がある。
 ハルコがシンヤのパスワードを変更したのは、ダッシュの手に落ちる前だ。判断力を奪われたハルコに、ダッシュは全ユーザの利用権限を停止する命令を下した。
 どうしてシンヤのユーザIDだけ、停止されなかったのだろう。
 首をひねる真純に、シンヤは笑って答えた。
「ダッシュの命令ミスだよ。ユーザ管理テーブルの項目定義を見て安易な命令を下したんだ」
 ユーザIDの利用状況は0か1しか設定できない仕様になっているらしい。0が使用可で1が使用不可だ。
 実際にはセキュリティ上の観点から、使用不可になったIDは削除されていた。ダッシュは全ユーザの権限を停止するため「利用状況を反転させろ」と命令したのだ。
「なんで0を1に変えろって命令しなかったの?」
「確実を期するなら、そうするんだけどね」
 そう言いながら、シンヤは机の上に十円玉を数枚並べた。
「これ、全部裏にしろって言われたら、ひとつずつ裏か表か見なきゃならないよね。でも全部ひっくり返せって言われたら、見る必要ないでしょ? ハルコの持ってる十円玉は何万枚もあるんだ」
 スーパーコンピュータのハルコが持つユーザデータは、辺奈商事とその子会社、関連企業、そして協力会社の社員を含む膨大な量だ。
 反転させる方が早く済む事をハルコは知っていた。ダッシュがそういう命令を下す事を予測して、シンヤのIDだけパスワードと共に利用状況をわざと不可に書き換えておいたのだろう。
「ハルコ賢ーい。でもそれならパスワードまで変えなくてもよかったんじゃないの?」
「ID使えなくなったらみんな騒ぐじゃん。そして自分のはどうだろうって確認するでしょ? その時、僕のだけ使えたら、ダッシュにすぐ見つかっちゃうよ」
「なるほど! そこまで見越してたなんて、ハルコすごいよ」
 つくづく敵には回したくないコンピュータだと思う。命令されなければ動けない状態でよかったと思った。
 ひたすら感心している真純の横で、シンヤがため息をこぼす。
「てか、ダッシュが間抜けなんだよ。あいつ頭はいいんだろうけど、場慣れしてないっていうか、詰めが甘いっていうか。多分こういう事するの初めてなんじゃないかな」
 おまえが場慣れしすぎなんだよ、とは言わずにおいた。
 ハルコへの反転命令もそうだが、アクセス元を隠していなかった事も、そこへあっさり侵入を許した事も、あまりに初歩的なミスだという。
 シンヤは入手したファイルをコピーして真純に示した。ハルコのアクセス履歴を解析し、ダッシュの出没時間を探るのだ。
 昨日の停電以降、ハルコにアクセスしたのはダッシュだけなので、履歴に残るダッシュのユーザIDはすぐにわかった。それを元に、ハルコが感染してからの一週間分を調べる。
 全体量は膨大な量だが、シンヤがダッシュの履歴だけ抜き出してくれた。それでも一週間分となると、二人がかりでかなりの時間を費やした。
 ダッシュの出没時間は、夜の十時から翌朝三時までに集中している。
「よーし。その時間にダッシュをおびき出して、朝になったら閉め出しちゃおうっと」
「閉め出すって、どうやるの?」
 シンヤはニヤリと笑って拳を握った。
「ダッシュのパスワードを盗むんだよ」
 ハルコに対する絶対的な権限を持つマスタ管理者は、ひとりしか設定できない。そしてそれを変更できるのは、マスタ管理者だけだ。
 元々のマスタ管理者瑞希は、普段めったにハルコにアクセスしない。ところがハルコが感染した後は、調査のため頻繁にアクセスしていた。
 それをダッシュに嗅ぎつけられ、パスワードを盗まれたのだろう。
 マスタ管理者を瑞希に戻すため、今度はこちらがダッシュのパスワードを盗むのだ。
 朝、シンヤがダッシュのマシンに仕掛けた罠は、このためのものだった。
 ダッシュの出没時間を瑞希に報告した後、シンヤは椅子の背にもたれて大きく背伸びをした。
「後は夜まですることないし、おなかすいちゃったー」
 パソコンの時計を見ると、一時を回っていた。真純がベッドの上に置いた弁当を取りに行こうと横を向いた時、いきなりシンヤが抱きついてきた。
「何?」
「今から真純さんを食べてもいい?」
「何を言ってんの、昼間から」
「昨日も昼間だったよ」
 それを言われると痛いが、いつでも昼間でいいというわけではない。
「とにかく全部終わってから。じゃないと落ち着かないもん。おなかすいたんなら、お弁当食べなさい」
「ちぇー」
 不服そうに口をとがらせて、シンヤは真純から離れる。しかしすぐにニッコリと笑った。
「ま、いっか。真純さんのお弁当久しぶりだし楽しみ。お花見以来だよね」
 花見の時も弁当と言えるようなものではなかったが、喜んでもらえるのは嬉しい。こういうところは、お手軽でよかったと思う。
 機嫌が直ったようなので、ノートパソコンを机の端によけて弁当を広げる。二人でサンドイッチを食べながら、シンヤがクスリと笑った。
「なんか部屋の中でこういうお弁当食べてると、遠足が雨で中止になった時みたいだね」
 窓の外は明るい冬の日差しが降り注いでいる。いつもと変わらない平和なクリスマスを迎えられるかどうかは、シンヤに託されていた。
 そしてそれはまだ、真純と瑞希以外、世界中の誰も知らない。このまま誰にも知られる事なく、無事に終わってくれることを願った。真純にはそれしかできないから。
 食事が終わると、シンヤはツールを立ち上げた。ダッシュに動きがあるとアラームが鳴るらしい。
 それを監視しながら雑談をして時を過ごす。夕食も真純が作った弁当を食べ、交代で風呂を終えても、アラームは鳴らなかった。
 やがて時計はダッシュの活動時間帯、夜の十時を回った。
 シンヤはもうひとつのパソコンにコマンド画面を立ち上げる。
「そろそろあいつもパソコンの前に腰を据えたんじゃないかな。こっちから動くか」
 ハルコに接続し、なにやらコマンドを打ち込むと、画面にアルファベットの羅列が現れた。どうやら何かのプログラムのようだ。
「何するの?」
「どうせなら見つかりやすいように派手に動こうと思って。前に作ったプログラムなんだけど、これをちょっといじってハルコに負荷をかけてやろうかなって。ハルコにとっては大した負荷じゃないだろうけどね」
 プログラムの中にある数字を少し変更してファイルを閉じ、またいくつかコマンドを打ち込む。
「はい、実行」
 かけ声と共にシンヤがリターンキーを叩いた。カーソルは次の行に移動し、初期画面と同じREADYの後ろで点滅している。画面上は何も変わらない。
「終わったら終わったってメッセージが出るんだけど、これ終わらないプログラムだから」
 放っておいたら永遠に動き続けるが、ハルコの機能として五分経ったら自動的に強制終了されるらしい。
 ゆっくりと点滅するカーソルをぼんやり見つめて少し経った時、突然真純の前にあるもうひとつのパソコンがけたたましいアラームを鳴り響かせた。
「釣れた!」
 嬉々として叫んだシンヤは、真純の前に手を伸ばす。エスケープキーを押すとアラームは鳴り止み、ツールのウィンドゥに文字が表示された。
 数秒後取得した文字をテキストにコピーし、シンヤは両手の拳を天に突き上げた。
「やったーっ! 任務完了ーっ!」
「終わったの?」
「うん」
 ふと見ると、ハルコの画面は数行のアルファベットが表示され、カーソルが消えていた。
 プログラムは強制終了され、ダッシュによってシンヤのIDが使用停止になったので、強制的に回線が切断されたらしい。
 シンヤは真純を抱きしめ、耳元で静かに告げた。
「ありがとう、真純。そばにいてくれて」
「お疲れさま」
 ホッとしたようにゆったりと包み込む温もりに頬を緩めて、真純はシンヤの背中をポンポン叩いた。
 少ししてシンヤは取得したダッシュのユーザIDとパスワードを瑞希にメールで送信した。それを報告するため、携帯電話で瑞希に連絡を取る。
 笑顔で話しながら、シンヤは真純にピースサインを送った。少ししてシンヤの表情が硬くなる。そして「わかりました」と答えて電話を切った時には、すっかり気落ちして項垂れていた。
 やっと終わったと思ったのに、また失敗だったのだろうか。シンヤのIDは停止されてしまった。もう後がない。不安に胸が騒いで、恐る恐る尋ねる。
「何かあったの?」
 シンヤはこの世の終わりでも来たのかというほど、絶望的な表情でつぶやいた。
「DDOSアタックの時仕込んだ爆弾を速やかに回収するようにって言われた。今夜徹夜かも……」
「え? ダッシュの方は?」
「そっちはOK」
 あとは朝になってダッシュがいない時に、瑞希がマスタ管理者情報を書き換えることになっている。
 ダッシュが作ったウィルスは、まだハルコの中にいた。学習用記憶領域をロックした後眠っているウィルスを見つけ出し駆除しなければならない。
 これはダッシュを閉め出した後、瑞希がハルコに命令して行うらしい。シンヤのすることはもうない。今夜徹夜だとしても、何をそんなに気落ちする必要があるのか、真純には分からなかった。
 真純の指摘にシンヤはムキになって反論する。
「だって全部終わったのに、お預けになったんだよ。楽しみにしてたのに」
 それか。真純はガックリ肩を落とす。なにも今夜にこだわらなくてもいいじゃないか。
「まだ全部終わってないからでしょ。夜食作ってあげるから頑張って」
「はぁい」
 ふてくされたように返事をして、シンヤは作業を開始した。
 真純もしばらくは側で見ていたが、気がつくと夜が明けていて、シンヤと一緒に布団の中にいた。
 シンヤは明け方まで作業をしていたらしく、連日の寝不足も手伝って、昼過ぎまで爆睡していた。
 しかも夕方から瑞希に呼び出され手伝いに出かけたため、真純が起きている時間には戻れず、またしてもお預けになってしまった。




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