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エピローグ |
クリスマスイヴの昼過ぎ、真純は久しぶりに辺奈商事本社ビルに向かった。 朝からどんよりと空が低く、空気は刺すように冷たい。天気予報では雪が降ると言っている。 今日は土曜日で会社は休みだが、その後の事を瑞希から聞く事になっていた。 シンヤがダッシュのパスワードを取得した翌日、ダッシュの締め出しに成功したので、バックアップのマシンを使って、システムは平常通りに運用を開始した。 今日はマスコミの姿もない。二階のカフェも開いている。いつもと変わらぬ日常が、なんだかまぶしく感じた。 七階に上がって呼び鈴を押すと、瑞希が直々に現れた。一緒に応接室に入り、事の顛末を聞く。 ダッシュは地元一流大学の工学部博士課程に籍を置く学生だった。主にコンピュータのハードウェアの面で研究を行っていたらしい。それでソフトの面では間抜けだったのかも、と瑞希は笑う。 ハルコから閉め出した後、ダッシュから事情を訊くため、瑞希は警備員を向かわせた。 休日なので自宅と大学と両方に張り込ませる。警察ではないので無理矢理押し込んで強制連行するわけにはいかないのだ。 ダッシュは大学にいた。出てきたところに声をかけて同行を求めたら、おとなしくついて来たらしい。 「何もかもどうでもよくなってたんじゃないかしらね」 と瑞希は苦笑する。 話を聞くと、ダッシュは来年博士課程を修了するらしい。だが博士号も取れず、就職も決まらなかった。 成績も申し分なく、英語も得意で海外留学の経験もある。ところが極度のあがり症のため、就職試験の面接でまともな受け答えができず、受験した数十社全て、ことごとく不採用になった。それで自暴自棄になり、企業をつぶしてやろうと考えたらしい。 そしてシンヤの予想通り初犯だった。 「辺奈商事も受けたの?」 「知らないわ。情報システム部の中途以外、人事はノータッチだもの」 辺奈商事に連れてこられた直後のダッシュは、ガチガチに緊張していて何を訊いてもろくに口をきかなかったらしい。 警察に突き出すわけではない事を説明し、なだめすかしてようやく普通に話すようになった。 「初対面や特殊な環境だと緊張するみたいね。慣れてくると理路整然と話すのよ」 のんきに笑う瑞希に、真純は心配になる。野放しにしてまた同じ事を繰り返したらどうするのだろう。今回の失敗を踏まえて、相手はより巧妙になってくるはずだ。 「本当に警察に言わなくて大丈夫なの?」 「大丈夫よ。ハルコのセキュリティも強化したし、ダッシュは来年うちの社員になるし」 「へ? 雇ったの? 迷惑かけられたのに」 「だってもったいないじゃない。ハルコの仕様を細かく理解してるハード技術者って貴重なのよ。増員要請が出てたけど、なかなか見つからなくて困ってたし」 まったく悪びれた様子もなく、瑞希はニコニコ笑う。 シンヤの時もそうだったが、危機感がないというか、懐が深いどころのレベルではないと思う。 ダッシュには損失分を給与天引きで、穴埋めしてもらうと言っていたが、辺奈商事の一日の損失額は半端じゃない。戒めを込めた罰としてのポーズなのだろう。 結局瑞希は、ダッシュの名前も性別も教えてはくれなかった。それは瑞希とダッシュだけの秘密という事らしい。 家に帰るとシンヤは出かけていた。クリスマスケーキを買いに行くと言っていたので、そのためだろう。 コートを脱いで暖房を入れる。部屋が暖まってきた頃、いつも通りに騒々しくシンヤが帰ってきた。 ケーキを持っていたからか、さすがに駆け込んでは来なかったが、興奮したように大股でドスドスと入ってきた。 「雪降り始めたよ! 寒かったー」 見ると頭や肩に溶けかけた雪が積もっている。タオルを取りに行こうと思った矢先、シンヤがプルプルと頭を振った。当然ながら頭の上の雪は、その辺に飛び散る。 「あぁ! もう、犬なんだから」 「あ、かかっちゃった? ごめん」 「そうじゃなくて……」 脱力して俯く真純の目の前に、箱が差し出された。 「チキンも買ってきたよ」 少し身をかがめてのぞき込む子犬の笑顔に、すっかり毒気を抜かれた真純は笑顔を返した。 「ありがとう」 夕食は真純の作ったグラタンと、シンヤの買ってきたケーキとチキンで、ささやかなクリスマスディナーとなった。 夕食後、先に風呂を済ませた真純は、イタリアのスパークリングワインを飲みながら、カーテンの隙間から庭に降りしきる雪を眺めていた。 雪は結構な勢いで、すでに庭は真っ白になっている。普段は真っ暗な庭が、雪のせいで薄明るい。 ぼんやり見つめていると、真純の持ったワイングラスに、カチンとグラスがぶつけられた。振り返ると、風呂上がりのシンヤがグラスを持って立っていた。 シンヤはワインを一口飲んで、真純の肩越しに庭をのぞき込む。 「もう大分積もってるね。僕、ホワイトクリスマスって初めてかも」 真純もよく覚えていないので、初めてかもしれない。けれど平和で幸せな日常を実感した今日は、忘れられないような気がした。 「ねぇ、明日早起きして雪だるま作ろうか」 真純の提案に、シンヤはなぜか渋い顔をする。 「うーん。早起きできるかなぁ」 「なんで? もう寝不足じゃないでしょ?」 「明日寝不足になるんだよ」 ニヤリと笑った黒シンヤは真純の手からグラスを奪い、自分のと一緒にローテーブルの上に置いた。 そして真純を腕の中に閉じ込める。見上げた真純の頬に手を添えて、至近距離に迫ったシンヤが囁いた。 「今夜は眠らせないから。覚悟して」 一度軽く口づけた後、シンヤはもう一度囁いた。 「大好き」 再び落とされた口づけに、真純は目を閉じる。口の中に甘いマスカットの風味が広がった。 目が覚めると目の前にパジャマ姿のシンヤが横たわり笑っていた。 「おはよ。案外早く起きたね。まだ雪残ってると思うよ」 いつ寝たのか覚えていない。なんだかデジャヴを覚える。以前もこんな事があった。 ただあの時と違って泥酔するほど飲んではいないし、ベッドに入った記憶はある。連れ込まれたというのが正しいが。あの時のようにパジャマを着ているのも不思議だった。 黙り込む真純を気にした風でもなく、シンヤは言葉を続ける。 「一年分には全然足りないのに、真純さん途中で力尽きちゃったから、案外早く寝たしね。風邪引いたらやばいから、上衣だけ着せといたよ」 どうりで下半身がスースーすると思ったら。 ふと左手に違和感を覚えて、布団から引っ張り出す。目の前にかざした薬指には、イチゴミルク色の石がついた銀色の指輪がはまっていた。 石はローズクオーツ。真純の誕生石だ。 「何? これ」 「マーキング」 以前と同じ事を互いに繰り返す。目が合うとシンヤは穏やかに微笑んでサラリと告げた。 「結婚しようよ」 「え……だっておまえまだ若いし、今から将来決めなくても……」 真純がすっかり動揺して、しどろもどろに諭すと、シンヤは真顔で答えた。 「オレが年を取るまで待てって言うならいくらでも待つけど、何年待ってもオレは真純以外いらないよ」 どうしてここまで必要とされているのか、未だによく分からない。分からないけど、自分も同じくらい、それ以上にシンヤを必要としている。そして誰にも渡したくないと思う。なのに胸がつかえて、言葉が出てこない。 黙って見つめていると、シンヤが少し首を傾げて不安そうに見つめ返した。だから、この目に弱い。 「オレじゃ、イヤ?」 真純はシンヤの首に腕を回してしがみついた。 「シンヤじゃなきゃ、イヤ」 「やったぁ。やっぱり、好き。真純が大好き」 嬉しそうな声を上げて、シンヤは抱きしめ返す。しばらくそのまま転げ回った後、シンヤは真純の上で身体を少し浮かせた。 「雪だるまは今度ね」 真純の返事を待たずに、シンヤはいきなり口づけた。次第に熱を帯びてくる口づけに真純もやっぱりシンヤが好きだと確信する。 雪だるまは諦めよう。どうせこの熱で雪も溶けてしまうから。 (完) |
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