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第11話 色々ズレてるバレンタインデー




 今年もまた面倒な季節がやってきた。バレンタインデーなんて、元々は恋人たちの日なんだから恋人たちだけ楽しんでればいいのに、どうして社内行事のようになっちゃってるんだか。
 いっそ国民の祝日になってくれれば、会社での義理チョコ配布をしなくていいのにと思う。
 面倒なことになったのは理由がある。
 私が入社した頃は社内女子全員からお金を集めて、男子全員に配る仕組みになっていた。ところがある時、一部の女子社員からやりたい人だけが個人的にやればいいんじゃないかという意見が出たのだ。
 誰も反対しなかったので、その年から全員から全員へというチョコの配布は廃止となった。これで会社での義理チョコは配らなくていいと思っていたら甘かった。
 実際に義理チョコを配らなくなったのは、廃止を提案した主婦社員数名で、本命のいない女子ほど、義理でもいいからチョコを配りたいらしい。
 ほとんどの未婚女子は、自分の所属部署の男子社員にチョコを配っている。私の課は元々人数が少ないので女子は私ひとり。
 私が配らなければ、うちの課の男子社員は会社で義理チョコすらもらえない寂しい男子になってしまうのだ。
 かくして、私は毎年この時期、忙しい仕事の合間を縫って義理チョコを物色しにデパートの特設会場をうろつくはめに陥っている。
 去年は本命がいなくなったので、特にむなしかった。今年も本命はいないけど、いつもお世話になっているザクロと本郷さんにはちょっとまじめに選ぼうかなと考えている。
 でも本郷さんはともかく、ザクロって食べないから、チョコじゃない方がいいのかな。だとしたら何をプレゼントしよう。
 前の彼は甘いものが苦手だったから、チョコではなくワインをあげた。ラベルにハートのマークが描かれているちょっと高級なワインだ。けれど同じじゃ芸がないよね。
 たぶん何をあげてもザクロは喜んでくれるとは思う。でも食べ物よりも実用的なものがいいかもしれない。
 私は本郷さんよりも、ザクロに何をプレゼントするべきか真剣に悩み始めた。



 昼休みにお弁当を食べ終わると、即行で近所のデパートへ向かうのが最近の日課となっている。会社にいる間しかザクロに内緒で買い物はできない。明日はバレンタインだから、今日こそは買い物をしなくては。
 私はデパートに行く前に少し足を伸ばしてケーキ屋さんに向かう。そこであらかじめ決めておいた生チョコトリュフをふたつ買った。ひとつは本郷さんへの感謝チョコ、もうひとつは美佳ちゃんと交換する友チョコだ。
 自分用にも欲しいところだが、ザクロへのプレゼントがたぶん重いので荷物の重みを増やしたくない。
 ケーキ屋さんを攻略した後は、すぐさまデパートの特設会場へ。義理チョコを予備を含めて五つ買う。そしてザクロへのプレゼントを買うために売場を移動した。
 バレンタインのプレゼント包装を頼むと少し意外そうな顔をされてしまった。まぁ、こんなものをプレゼントする人あんまりいないよね。
 バレンタイン買い出しミッションをコンプリートした私は急いで会社に戻った。面倒なので普段はあまり使わないロッカーに義理チョコを放り込む。生チョコは名前を書いた袋に入れて冷蔵庫に入れた。
 冷蔵庫にはすでに他の女子社員のチョコがたくさん詰め込まれている。明日まで冷蔵庫に他のものは入れられそうにない。私は苦笑して扉を閉じた。



 バレンタインデー当日、私はいつもより早めに出社した。始業前にさっさとチョコを配り終えて、後は仕事に専念したいからだ。
 最初に課に現れたのは、先輩営業社員のふたり。続いて課長、少し遅れて本郷さん。
 包装は違うけど、箱の大きさは同じくらいで中身も同じトリュフを選んである。本郷さんの分だけ値段が違うけど、見てくれで区別はつかないようにぬかりはない。
 みんな笑顔で「ありがとう」と受け取ってくれた。後は坂井くんに渡せば任務完了。
 あと五分で始業のチャイムが鳴るという時、ようやく坂井くんがやって来た。私はすかさずチョコを渡す。
「はい、坂井くん。チョコレート」
「あぁ、バレンタインの……」
 さほど興味もなさそうに坂井くんは受け取ったチョコを一瞥する。甘いもの苦手なのかな。
 先に好みを調査するべきだったかと、私がちょっとだけ後悔したというのに、彼はそれを撤回させることを口走った。
「どうせ義理チョコですよね」
 かわいくなーい!
 だがここで怒ると今日の業務に支障が出る。私は無理矢理笑顔を作って静かに否定した。
「義理でチョコを渡したことなんてないわよ」
「え?」
 坂井くんは意味がわからないと言わんばかりに、困惑した表情で私を見つめる。
 えぇ。私が会社の男子にチョコを渡すのは義理ではなく義務だから! そもそも坂井くんにチョコをあげる義理なんてないし。こっちがもらいたいくらいだもの。
 私はそれ以上説明もせず、背中を向けて自席に着く。思う存分悩むがいいわ。
 こうしてバレンタインチョコ社内配布ミッションは不愉快に完了した。



 今日は始業前に軽く疲れたというのに、業後も営業部の飲み会で会社の人たちとつき合わなければならない。
 年始は忙しくて人が集まらないので、いつもこの時期に新年会を兼ねた飲み会があるのだ。今年はたまたま、それに週末とバレンタインデーが重なってしまった。
 ザクロに買った物理的に重いプレゼントがあるので、本当はさっさと帰りたいところなんだけどな。
 渋々参加した飲み会で、私は会費の元を取るべくしっかり食べた。まだバレンタインミッションはザクロが残っているので、酔いつぶれるわけにはいかない。飲むのはかなりセーブした。
 九時に飲み会がお開きになり、私は誰かに捕まる前に帰ろうと、真っ先に店を出る。外ではザクロが待っていた。
 いつものようにザクロを従えて帰ろうとしたとき、後ろから肩をたたかれた。
 しまった! 二次会なんか行くつもりないのに。
 適当な言い訳を頭の中に用意して振り向くと、少し顔を赤くした坂井くんがにこにこしながら立っていた。
 意外。なんなんだろう。
「海棠さん、帰るんですよね? 途中まで一緒してもいいですか?」
「あ、うん」
 益々意外。私はてっきり坂井くんには煙たがられていると思ってたのに。
 二人で並んで歩き始めたものの、会話が全くない。そもそも坂井くんと雑談なんてしたことないから、何を話題にしていいかわからない。後ろにザクロがいるのも手伝って、ものすごく気まずい。
 さすがに坂井くんも気まずかったのか、少しして遠慮がちに話しかけてきた。
「あの、チョコレートありがとうございました」
「あぁ、うん」
 今頃? まぁ、いいけど。
「お礼が遅くなってすみません。まさか海棠さんから本命チョコをもらうとは思わなかったから驚いちゃって」
「はい!?」
 ちょっと待て! 思う存分悩むがいいとは思ったけど、なんでそんなあさっての方に結論が飛躍しちゃったのよ。こっちが驚いちゃったわ。
「義理じゃないなら本命ですよね?」
 あさってじゃなくて単純すぎただけか。本命チョコなら、みんなが見てる前で堂々と渡すわけないじゃない。少し考えればわかるでしょう。私もそのくらいの恥じらいはある。
 結局説明する羽目になるのね。
 ひとつため息をついて私が口を開けたとき、坂井くんが私の手首をつかんだ。
「ぼく、海棠さんのこと何も知らないので、少し話しませんか?」
「ちょっと、ごめん、坂井くん。私が悪かったわ」
 私は焦って坂井くんの手をほどこうとする。その時、後ろから低い声が聞こえた。
「その手を離していただけませんか?」
 え、ザクロ?
 うっかり振り返ると、ザクロが冷たい表情で坂井くんを見つめていた。怒ってるよ……。
 どういうわけか坂井くんもザクロの方を見ている。そして眉をひそめながら話しかけた。
「誰?」
 ちょっ! 坂井くんって霊感があったの!?
 ザクロはひるむことなく不適な笑みを浮かべて恭しく頭を下げる。
「頼子の執事です」
「え、海棠さんってどっかのお嬢!?」
 坂井くんは慌てて手を離し、私から一歩退いた。
「いや、あの、それについては話せば長くなるから、この人のことは今は気にしないで。とりあえずチョコの件だけど、義理でも本命でもないの。坂井くんに恥をかかせるつもりはなかったけど、紛らわしい言い方して悪かったわ。恋愛感情はないけど、仕事の上では頼りにしてるから、これからも頑張ってねっていう意味の労いチョコなの」
 まさか義務チョコだとは言えない。
 勘違いがわかった坂井くんは一気に顔を真っ赤にして口ごもった。
「そ、それじゃ、ぼく……」
「本当にごめんなさい」
 私は本気で深々と頭を下げる。
 話がまとまったと判断したのか、ザクロが割って入った。
「頼子は私が家までお送りしますので、安心してお引き取りください」
 こら、そこの妖怪。ちょっとは空気を読みなさい!
「じゃあ、ぼくはここで失礼します……」
 がっくりと肩を落として、坂井くんはひとりでとぼとぼとネオンの陰に消えて行った。
 あー、ちょっとかわいそうなことしちゃった。これって年下男子の心を弄んだことになっちゃうんだろうか。だからといってつき合うつもりもないけど。
 一段落ついてホッとした途端、先ほどのことに違和感を覚えた。坂井くんはどうしてザクロが見えたんだろう。
 店を出たときからザクロはいたのに、気がついたのはさっきザクロに声をかけられたときだったようだ。
 清司のように霊感があるなら最初から見えているはずだ。坂井くんに霊感がないとしたら、原因はザクロの方だ。
「ねぇ。もしかして、今ザクロの姿は周りの人に見えてるの?」
「はい」
 やっぱり。そんな技を持ってるとは知らなかった。
 ということは、本郷さんにも見えていたということか。でも居酒屋に行ったとき、本郷さんは見えてたみたいだけど、一緒にいた坂井くんは見えてなかったような気がする。もしかして――。
「それって特定の人だけに見えるようにとかもできるの?」
「はい」
 にこにこしながら平然と答えるザクロに、私は一気に脱力する。
「そんなことできるなら、どうして今まで黙ってたのよ」
 買い物荷物を持ってもらえたのに。
「一般の人に姿が見えるようにするには、より多くの気力を必要とします。頼子に負担がかかるので、あまりしないようにしていたんです。私の力の源は頼子の生気ですから」
「じゃあ、なんで今は姿を見せたの?」
「彼が頼子の心の健康を害するおそれがあったからです」
「そう……」
 相変わらず過剰反応をしているようだ。私が動揺しすぎるからいけないのかもしれないけど。
 賑やかな飲み屋街を一緒に歩きながら、手にした荷物の重さにふと閃いた。
 今姿が見えているならちょうどいい。重くてしょうがなかったプレゼントを渡してしまおう。
 私は持っていたデパートの紙袋をザクロに差し出した。
「はい。ザクロにバレンタインのプレゼント」
「プレゼントって、私に贈り物ですか?」
「うん。日ごろの感謝を込めて」
「ありがとうございます」
 笑顔で受け取ったザクロは、袋の重さに驚いたようだ。
「ずいぶん重いものなんですね」
「開けてみて」
 ザクロは立ち止まって紙袋の中から箱を取り出す。カステラでも入っていそうな長方形の箱は、赤い小さなハートが散りばめられたピンク色の包装紙で包まれていた。
 包装紙を丁寧に剥がして、箱のふたを取ったザクロは笑みを浮かべる。気に入ってもらえたってことかな?
 箱の中には砥石が入っていた。基本的に食べないザクロに食べ物をあげても無意味だし、着るものも魔法のように出しちゃうからわざわざプレゼントするのも虚しいし。だから実用に特化して考えた結果、こうなった。
 いつもおいしいごはんを作ってくれるザクロは料理人だから、料理人の魂とも言える包丁をいつも快適に使ってもらいたい。
 私が持っている包丁研ぎは、初心者向けの簡易なものなので、プロ仕様の砥石を選んでみたのだ。
「ありがとうございます」
 改めて礼を述べ、ザクロは箱を袋の中に納めた。
「砥石で包丁を研いだことある?」
「包丁はありませんが、刀なら研いだことありますよ」
「刀……」
 どうやら持ち腐れる心配はないらしい。
 再び歩き始めた私は、後ろに従おうとするザクロの横に並んだ。
「ねぇ、今日はみんなに姿を見せたまま家まで帰ろうよ」
「かしこまりました」
 私はザクロの腕に自分の腕を絡ませる。ザクロが少し驚いたように私を見下ろした。
「今日は恋人たちを祝福する日なの。私たちも祝福されるように恋人たちのフリしよう」
「はい」
 にっこり笑ってザクロは頷く。そして恋人たちのように寄り添いながら駅に向かった。



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