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第10話 同じ穴の狢 |
結局、海棠に話をする機会がないまま冬休みを迎え、年が明けた。会社も始まり、オレは未だに話が聞けずにいる。 なにしろ、きっかけが掴めない。 海棠に何も変わった様子がないことから察するに、あいつはオレに会ったことを彼女に話してはいないのだろう。 彼女が聞いていないことをオレの口から話すのは、まるで告げ口のようではないか。 あいつは何者なんだ。おまえとどういう関係なんだ。 そう言って、彼女を問いつめる権利がオレにはないのだから。 冬休み明けの会社が月曜日から開始なんて辛すぎる。初日こそ定時で帰れたものの、相変わらず坂井くんの妨害も健在で、私は木曜日にはばてていた。 フロアの半分はもう人がいなくて灯りが消えている。あとひとつ書類を作ったらもう帰ろう。 そう思って、少し前からうるさく鳴っているお腹をごまかすために、給湯室に向かった。 灯りの消えた給湯室の扉を開けた瞬間、ギクリとして一歩退く。暗闇に青白い人影がたたずんでいたのだ。人影がゆらりとこちらに向く。 悲鳴を上げようとした時、のんきな声が聞こえた。 「おぅ、海棠。まだいたのか」 「へ?」 暗闇に慣れてきた目をこらしてよく見ると、不審な人影はマグカップを持った本郷さんだった。給湯器の青い稼働ランプが白いシャツに反射している。 一気に気が抜けた私は、大きく息を吐き出した。 「幽霊かと思って、びっくりしたじゃないですか。どうして電気つけないんですか?」 「つかなかったんだ。蛍光灯が切れてるんだろう」 それにしたって、懐中電灯を持ってくるとかすればいいのに、人騒がせな。 「明日、庶務に連絡しておきます」 「悪いな」 そう言って本郷さんは給湯室を出て行った。私も一緒に出て備品棚から懐中電灯を取り出し、給湯室に戻る。ココアを淹れて自席に戻ると、少しして本郷さんがこちらを見ながら笑った。 「なんですか?」 「おまえ幽霊が怖いのか?」 小馬鹿にされたような気がして、私はムッとしながら答える。 「怖いに決まってるじゃないですか。幽霊ですよ」 「おまえ見たことあるのか?」 「ありませんけど、怖いものは怖いんです。本郷さんは怖くないんですか?」 「映画とかは作り物だってわかってるから怖くないしな。オレも見たことないから本物が怖いかどうかわからない」 あれ? 本郷さんは霊感があるわけじゃないってこと? なのにどうして、ザクロを見ていたんだろう。 それとも見ていたと私が思い込んでいるだけなの? 少し気になるが、今はそれどころじゃない。さっさと仕事を片付けて帰らないと。 晩ご飯に思いを馳せながら、私はキーボードを叩き始めた。 小一時間たった頃書類が完成し、私は椅子の背にもたれて思い切り背伸びをする。 「終わったーっ」 パソコンの電源を落として帰り支度を始めた私に本郷さんが声をかけた。 「お疲れ。おまえ、もう少し坂井に仕事させろ。おまえは指導係であって、あいつのアシスタントじゃないんだ。全部自分で背負い込むな」 「……坂井くんも仕事してますよ」 ウソではない。頼んだ仕事はちゃんとやっている。ただ彼は私に対して報・連・相(報告・連絡・相談)がない。メモを取らないので、うっかりミスや勘違いも多い。そして謝らない。 何度か注意したがあまり改善されたとは思えない。 「私って話しかけにくいんでしょうか?」 「女性だからってのはあるかもな。あいつ、意外と女に対しては人見知りするところがあるし」 「そうなんですか?」 ホントに意外だ。まぁ、坂井くんとは仕事以外の話をほとんどしたことないから、そんな性格は知らなかったけど。 「もうすぐ一年になるんだ。坂井の仕事のペースやミスしやすいところはおまえもわかってきただろう。あいつの尻拭いをするんじゃなくて、先回りしておまえから声かけてやれ。なるべくあいつにやらせろ。その方が坂井のためにもなるし、おまえが無理して体調崩したりしなくてすむぞ」 そっか。私は坂井くんの指導係だった。指導係になったのは初めてだったから、仕事を片付けることしか考えてなかったかも。彼を導かなくてはならなかったのに。 さすがは本郷さん。経験者はよく見ている。 私は鞄を持って笑顔で頷いた。 「わかりました。今日はこれで失礼します」 「あぁ、お疲れ。また明日」 挨拶をして会社を出ると、外ではいつものようにザクロが待っていた。帰り際に本郷さんと話してたから、今日はちょっと待たせちゃったかも。 夜も更けているので周りには誰もいない。私は小さな声でザクロに詫びた。 「待たせてごめんね」 「いいえ。お気遣いなく」 笑顔で応えて、ザクロは後ろに従った。 うわぁ。うわぁ。うわぁ。マジでうわぁ。ウソみたいに仕事がはかどってる。 昨日の本郷さんの助言に従って、先回りするようにしたらこんなことになって私が一番驚いている。 今までは仕事を頼んで「できたら知らせて」と言って待っていたのだ。けれど坂井くんはできても報告してくれない。しびれを切らして「どうなったの?」と聞いて始めて「できてます」だった。 無駄にしている時間が多すぎた。とはいえ、今まで放置していたので、彼がどのくらいでできるのかもわかっていない。最初は自分のペースでこちらから声をかけてみた。そして案外早いこともわかった。 おのれ。今までさっさと片付けてさぼってたのね。どうりで毎日早く帰れるはずだ。 こちらから進捗を確認することで、次々に仕事が回せるので、いつもの倍速で片付いている。今日は私も早く帰れそうだ。本郷さんに感謝しなくちゃ。 サクサクと仕事が片付いたので、坂井くんは余裕で定時退社し、私もいつもより二時間は早く帰り支度を始めた。 荷物をまとめて本郷さんに頭を下げる。 「昨日はアドバイスありがとうございました。おかげで仕事が早く片付きました」 「そうか。今日はゆっくり休め。お疲れ」 「はい。失礼します」 挨拶をして私は会社を出た。外で待っていたザクロと一緒に駅に向かって歩く。後ろからザクロが驚いたように話しかけてきた。 「今日はいつもより早いお帰りですね」 「うん」 今日は時間が早いので、駅に向かう道は人が大勢歩いている。私は鞄から電話を取り出して、耳に当てた。 「仕事が早く済んだの。もしかして、ごはんの支度できてない?」 「いいえ。ほとんど整っています」 「よかった」 駅の構内が見えてきたとき、チラシを配っている小さな女の子が目に入った。五歳くらいだろうか。髪をふたつに分けて三つ編みにしている。 少し離れたところに同じチラシを配っている女性がいた。どことなく女の子と似ているので親子かもしれない。 あまりチラシをもらってくれる人はいないようだ。 そばを通り過ぎようとした私に、女の子がチラシを差し出した。 「お願いします」 「ありがとう」 私は笑顔でチラシを受け取り、そのまま駅の構内に入って行く。チラシはどうやら宗教団体の宣伝らしい。 改札口に向かっていると、後ろからザクロがおずおずと声をかけた。 「あの、頼子……」 振り返ると、ザクロは困ったような表情で足元に視線を落とす。その視線をたどれば、私のすぐうしろに先ほどの女の子が、自分の体と同じくらいはある段ボール箱をかかえて立っていた。 女の子は私に箱を差し出して機械的に言う。 「寄付お願いします」 途端に怒りがこみ上げてきた。この子に対してではなく、さっき見た女に対して。 私は身を屈めて女の子の前にチラシを突きつける。 「これをもらったら寄付しないといけないの?」 こんな場合はどうすればいいのか教わっていないのだろう。女の子は困ったように私を見つめる。 「だったら返す」 そう言って私は、女の子の持った箱の上にチラシを置いて踵を返した。 まだ追いかけて来るだろうか。少し振り返ってみる。女の子はその場に呆然と立ち尽くしていた。 やりきれない。家に帰ってからも、私は先ほどの怒りをひきずっていた。困惑に揺れるあの子の瞳が脳裏に浮かぶ。それを思い出すと、大人げなかったとも思う。あの子は親に言われたとおりに動いていただけだろう。 だからといって寄付をする気にはなれない。詐欺ではないけど、やり方が汚い。 私はすがったベッドの上に拳を叩きつける。食事の支度をしていたザクロが、何事かと慌ててキッチンからやってきた。 「何を怒ってるんですか?」 「だって、なんて親なの! 自分の子にあんなことさせるなんて! あんな小さな子にお願いされたら寄付しないわけにいかないじゃない。年寄りなんかホイホイお金を出すわよ」 「いけないことなんですか?」 妖怪にはピンとこないようで、ザクロは不思議そうにきょとんとして首を傾げる。 「いけなくはないけど! 人の心につけ込むなんて、やり口が汚いじゃない」 私がもう一度ベッドに拳を叩きつけると、ザクロは少し悲しそうに笑った。 「私もあの子の親と同じですよ。女性の傷ついた心につけ込んで寄生する妖ですから」 「違う!」 叫びながら私は立ち上がる。ザクロを傷つけたり非難するつもりはなかった。 「ザクロは私を幸せにしてくれるでしょう?」 「頼子にはずっと幸せでいてほしいと思います。でも私では頼子を幸せにすることはできません」 どういう意味? ずっと一緒にいるんでしょう? ザクロがいると結婚できないから? 結婚なんかしなくても幸せになることはできるでしょう? ザクロに見捨てられたような気がして、私は俯いて力なくつぶやく。 「そんなこと言わないでよ」 じわりと涙がにじんできた。 やばっ。私が沈んでるとザクロがおなかを空かせちゃう。ご飯を食べて元気にならなきゃ。 涙を拭って顔を上げたとき、私はザクロの腕の中に抱きしめられていた。彼に抱きしめられたのは初めてじゃないのに、体は硬直し、鼓動は徐々に早くなる。 ザクロはさらにきつく抱きしめ、耳元で絞り出すように言った。 「申し訳ありません。幸せにするどころか泣かせてしまうなんて」 いや、そんな盛大に謝ることでもないから。むしろ私の方がザクロを傷つけたんだし。 「あ、あの、ザクロ、ちょっと苦しい」 私の声にハッとしたように、ザクロは慌てて腕をほどく。そして気まずそうに目を逸らした。 「し、失礼しました」 あれ? なんか動揺してる。いつも落ち着いてるザクロにしては珍しい。 少し顔が赤い。もしかして照れてるの? そう気付いた途端、せっかく収まりかけていた鼓動が再び早くなってきた。 やだ。私までドキドキしてきちゃった。 奇妙な空気を追い払うように、私はザクロを促した。 「お、おなか空いちゃった。ごはんできた?」 「すぐご用意いたします」 そう言ってザクロはそそくさとキッチンに姿を消した。 |
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