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15.フェティ=クリネの日記《後編》




 復職したランシュ=バージュ博士が、フェティの目には一回り成長したように見えていた。以前のように張りつめた様子もなく、どこか冷めていた彼が、よく笑うようになったらしい。
 病気を克服したということも影響しているのだろうが、一番の要因は家族との生活だろうという。
 失踪していた二年間、彼は一般人と家族のように暮らしていたのだ。生まれたときから科学技術局に閉じこもって研究に明け暮れていたランシュにとって、家族との生活は新鮮な刺激と共に、他人に対してどこか冷めていた彼の心と感情を育てたのだろう。
 失踪前には目も合わせようとしなかったランシュが、戻ってきた初日フェティに笑顔で挨拶をしたことに、彼女はいたく感動していた。
 病気を克服して人間の円くなったランシュは、子供の頃のようにフェティと親交を深めつつ、研究開発にも徐々に着手し始める。そして復職から七年後に、歴史に名を残すヒューマノイド・ロボット、バージュモデルを発表した。
 発表会の様子や関係機関が発行した雑誌記事などがたくさん添付されていて、フェティが自分のことのように喜んで興奮している様子が文面からも感じ取れる。
 関係者との写真にまぎれて、ランシュと女性のツーショット写真があった。はにかんだようなランシュと得意げに胸を反らすプロポーション抜群のブロンド美女。
 え、このポーズに表情、ものすごく見覚えがある。もしかして……。
 オレは手のひらの上に写真を表示してリズに尋ねた。
「この女の人って、もしかしてリズの大叔母さん?」
「え? どの人?」
 こちらに顔を向けたリズは、写真を見つめて苦笑にも似た微妙な表情を浮かべる。
「うん。そうよ。きれいな人でしょ」
「あぁ。すっげー美女だったんだな」
「血がつながってるとは思えないくらい私とは似てないでしょう」
「そうか? 確かに髪や目の色とか見た目はあんまり似てないけど、色々似てるとこあるよ」
「え?」
 リズは心底意外そうに目を見開いた。
 美女な身内と比べられて似てないって言われてきたのかな。でも今初めて姿を見たオレには、日記の記述からはあまりにかけ離れていて、それで驚いたのだ。
 リズは信じられないというように、俺の意見を否定する。
「大叔母さんって美人で仕事もできて局員からの信頼も厚い優秀な科学者だったのよ? クールビューティって言われてたんだから。私とは似てないでしょう?」
「日記を読んでみればわかるよ。そんな外見や仕事ぶりから受けるような近寄りがたい印象なんてぜんぜんないから。バージュ博士の功績を自分のことのように喜んではしゃいでるかわいらしい人だよ」
「へぇ、そうなんだ」
 リズの記憶にあるフェティは晩年のものだから、若い頃の様子は人づてに聞いただけなのだろう。
 日記の中のフェティは噂のクールビューティとはほど遠い。仕事や研究にはまじめに取り組んでいたようだが、それ以外のことには案外ずぼらで、バージュ博士に三日間ため込んだ実験器具の後片付けをさせたりしていた。
 明るくおおらかで、好奇心旺盛。世界のすべては自分の味方だから、なにがあっても大丈夫という根拠のない自信に満ちあふれている。
 バージュ博士が失踪から生還した時も「ほら、やっぱりランシュは無事だった。だって天は私の味方なんだもの」と書かれていたのを見て思わず吹き出しそうになったくらいだ。
 ゆうべオレのオリジナル設計図について熱く語った時のキラキラした表情や、オレがラモット班長に誉められたときの嬉しそうなリズの姿は、日記の中のフェティとよく似ている。
「ほら、この得意げな表情、君にそっくりじゃないか。だからこの人が大叔母さんなのかなって思ったんだよ」
「え、そうかな。似てるって言われたの初めてよ」
 そう言ってリズは照れくさそうに笑う。センサの捉えたリズの感情が徐々に昂揚していくのがわかった。
 小生意気で口の減らないリズは、いつも自信満々に見えてたけど、案外コンプレックスを持っていることがわかって以前より親しみを覚えた。
 自分で発明をしたことがないとか、美女の大叔母さんと比べられて気落ちしてたりとか。
 ちょっとかわいいじゃないか。
 って、うっかりマスターに胸キュンしてどうする。心臓もないのに。
 挙動不審になってなかっただろうか。少し気になってどぎまぎしながらリズを窺う。リズは全く気づいていない様子で、嬉しそうに笑いながらこちらを見た。
「なんか、その日記見るのが楽しみになってきたわ。今日は早めに仕事終わらせちゃおう」
「う、うん。がんばって」
 リズが仕事に戻って、オレもホッと息をつく。心まで掌握されてなくてよかったとつくづく思った。
 こんなのばれたら、またエロボット呼ばわりされる。ぜんぜんエロくないけど。
 ピュアなリズにしてみれば、体はともかく中身のオレなんか汚れまくってるんだろうけどな。
 エロ本を見たことあるって知られただけで、また痛い命令を受けそうな気がする。
 エロに関する薄汚れた黒歴史は心の中に封印して、日記の続きに戻ることにした。
 バージュモデルの発表から三年後、フェティが四十歳になったとき、ランシュから同居の申し出があった。というより、部屋が空いているなら住まわせて欲しいというものだ。
 というのも、八歳になるランシュの義理の妹にちょっと困っていたらしい。妹はリズ同様ロボットや機械が大好きで、そのせいかロボット作り専門の兄にべったりのお兄ちゃん子だ。
 小さい頃はそれでもよかったが、学校に行くようになっても外に友達を作ろうとしない。
 小さい頃から何度も聞いている「大きくなったらお兄ちゃんと結婚する」というほほえましい戯れ言が、いい加減戯れ言ですませられなくなってきた気がして両親も憂慮していた。
 実際に血は繋がっていないから、クランベールの法律的には結婚が可能なのだ。
 妹と距離を置くため家を出たいというのが表向きの理由だった。
 リズは否定したけど、本当のところはふたりとも少なからず恋愛感情を抱いていたのではないだろうか。
 なにしろランシュが引っ越してくる前日のフェティは嬉しそうなのだ。そしてこの日の日記はなんだか意味深でもある。


 明日ランシュがやってくる。そしてこれからずっとランシュと一緒の生活が始まる。
 十年前の戯れに交わした約束を、ランシュが覚えているとは思わなかった。十年経っても私がひとりだったら、ランシュが恋人になってくれるって。
 ひとりでいてよかったのかな? 恋人はともかく、この先もずっとランシュと一緒にいられるなら。きっと毎日楽しく過ごせると思う。
 明日、なにか大事な話があるって言ってたけどなんだろう? 


 オレも気になる。
 ところが翌日の日記は書かれていなかった。入局からこれまで一日もかかすことなく書かれていたフェティの日記がこの日を境に所々日付が飛んでいるのだ。
 そしてランシュの「大事な話」についての記述はその後も登場することはなかった。

 同居を始めたフェティとランシュの日常は穏やかに流れていく。
 同居開始から五年後、科学技術局の局長と副局長が交代となった。フェティも局長も自分の研究を続けながら、要職の激務をこなすには年齢的に厳しくなってきたからだ。次の局長は二十八歳。前局長と同様に機械工学専門の科学者だ。
 それなりの研究成果もあげていて統率力もある。柔和な性格で現場の局員にも親しまれていた。
 ただ、前局長はフェティにだけ、密かな懸念を明かしている。新局長は武器や兵器に興味を持っていたらしい。
 意外にも科学技術局に多大な貢献をしているランシュ=バージュ博士は局長に選任されたりしなかったようだ。フェティの日記から察するに、奥手な性格みたいだからか、あるいは前科者だからかは不明だが。
 表だった要職には着いていなかったようだが、フェティと前局長共々、科学技術局の最高意志決定機関である幹部会には名を連ねていたらしい。
 局長が交代して少しした頃、前局長の懸念が表面化してきた。
 これまで文化の発展と科学の平和利用を主としてきた科学技術局が、積極的に軍の要請に応えるようになってきたのだ。
 元々クランベール軍でも科学技術は利用されていた。だが主に防衛の面で、攻撃面はあまり想定していない。軍備について他国に発表はしていないが、発展した科学文化を見せつけることで、十分な抑止力になっていた。
 ところが軍の言い分としては、いざというとき応戦できる兵器がなければ、国を守りきれないという。一度チョロい相手だとわかってしまえば、二度目には容赦ないだろうと。
 どこかで聞いたような話だ。
 軍備に対する対応は、科学技術局の幹部会でもたびたび議題に上っては意見が対立していた。
 そしてある日、ロボット兵を導入しようという計画が持ち上がった。
 人の兵士の危険を軽減するためという大義名分を掲げている。オレの導入理由と同じだが、利用目的が明らかに違う。
 オレには絶対命令があるため、人の生命最優先なので、人間の被疑者相手には太刀打ちできない。
 ところがロボット兵が相手にするのは、他国にロボット兵がいない以上、間違いなく人間の敵兵なのだ。
 無人の機械兵器だけ相手にしていたのでは、導入した意味がない。
 そこで絶対命令に改変を加えて、人間らしい感情や身体感覚を廃し、軍事専用ロボットとして生産するという。
 これにはロボット工学部門の責任者となっていたバージュ博士が猛反対した。博士寄りの幹部たちも大多数が同調する。
 そのため現場の協力が得られそうにないということで、計画そのものが中止となった。 この一件を機にバージュ博士は科学技術局に不信感を抱くようになったようだ。それはフェティも同様で、局長に反発する勢力として警戒されることになる。
 だから人格形成プログラムのソースコードをかたくなに手放さなかったのか。
 ということは、科学技術局に渡すくらいならと、リズの推測通り消去している可能性が高くなった。
 所々飛んでいる日記の日付は、なにか科学技術局に知られてはまずいことでも書かれていたのだろう。
 九十年分もあった長い日記も残すところあと二十年あまりとなった。この頃になってようやくリズが登場する。
 フェティの姪であるリズの母親がエアカーの事故で夫と共に亡くなり、二歳になったばかりのリズはフェティに引き取られた。
 妹が小さかった頃を思い出すと言って、ランシュの方がフェティよりリズをかわいがっていたようだ。そのせいか、リズもランシュに懐いて、機械やロボットに興味を示し始める。
 なるほど。こうやって今のリズが形成されていったわけか。
 この先はリズから聞いた話も時々現れる。ムートンを作ったことや、ランシュに八つ当たりしたことや。
 ムートンはリズの予想通り、ランシュと一緒に作ったようだ。
 だが、ここにきてハタと違和感に気づく。リズから聞いた話では一番の大事件とも言える「リズの発熱」がどこにも書かれていないのだ。
 生死の境をさまよって記憶障害を起こすほどの高熱に見舞われたというのに、保護者のフェティが心配していないわけはない。
 もしかして飛んでいる日付のどこかに書かれていたのだろうか。だとしたらリズが発熱した日に、なにか科学技術局に知られたくない事件があったというのは偶然? リズの記憶も日記の記述も飛んでいる以上、オレには知る由もない。
 そしてバージュ博士の命の終わりがやって来た。不思議なことに彼は自分の寿命を知っているかのような行動をとっている。
 始まりは養父の死。その翌日葬儀から帰ってきたバージュ博士は二日後に自分の命も尽きるだろうとフェティに告げている。フェティはそれを悲しんではいたが、否定はしなかった。
 そして実際に二日後、バージュ博士は亡くなったらしい。
 ”らしい”というのは、彼が亡くなった現場をフェティですら見てはいないのだ。前日の深夜、ふらりと出かけて帰ってこなかった。だがフェティは彼の死を確信して受け入れている。
 死期を悟ってフラッと出て行くなんて、なんか猫みたいだな。
 日記も残りわずかになってようやくバージュモデルの人格形成プログラムに関する記述が現れた。
 ランシュは死亡する前日、科学技術局に赴いてなにやら挑戦状を叩きつけてきたらしい。
 ランシュの死後まもなく、科学技術局がお役所の許可証を突きつけてフェティの家にあるランシュの部屋を家捜しにやってきた。
 表向きは局の資産を個人的に所有していないか確認するためだったが、目的は人格形成プログラムだ。フェティやまだ幼いリズまで尋問を受けたという。
 結局なにも発見できずに引き上げていったらしいが。
 まぁ、普通に考えて、そんなすぐに見つかるところに隠してるはずないよな。
 お役所が許可したのはランシュの部屋だけだったので、フェティの部屋は捜索されなかったようだ。だが、フェティも元科学技術局の人間だ。いずれ自分の死後に同じ理由で部屋を捜索されるかもしれない。
 そう思ったフェティはメモリカードにロックをかけ、念のため日記の記述も所々消去したのだ。
 その辺の事情が、五年前に書かれた最後の日記に記されている。


 そろそろ私もランシュのところに行くのかな。最近、体力的にちょっと厳しい。日記も今日で終わりにしよう。
 ロボットを戦争の道具に使おうとする科学技術局に人格形成プログラムのソースコードは渡したくない。
 それがランシュの願い。
 本当は最後まで見届けたいけど、五年後まで私の命は保たないと思う。
 私がいなくなった後、なにも知らないリズひとりに重荷を背負わせてしまうのはかわいそう。
 だけど、ランシュの夢見た、人とロボットが助け合って共存する平和な世の中のためには、あの子もきっとわかってくれる。だってリズはロボットが大好きなんだし。
 ランシュと一緒に暮らすと決めた日、彼と共有した秘密は私がお墓の中まで持って行こう。万が一に備えて、日記の中からも色々消した。絶対復活できない方法で。
 ランシュの決めたキーワードは私もリズも知らないし、科学技術局の人はおろかこの国の人たち誰にもわからない。
 だからランシュ、笑って私を迎えてね。天から一緒に笑ってやりましょう。
 見届けることはできなかったけど、最後に笑うのは私たちよ。だっていつだって天は私の味方なんだから。


 九十年に及ぶフェティの長い日記は、最後まで彼女らしい強気な言葉で締めくくられていた。
 それにしてもキーワードってなんだろう。おそらく死の直前にバージュ博士は科学技術局となにか取引をしたのだろう。
 そしてたぶん、人格形成プログラムのソースコードは消去されていない。どこかに隠されていて、それを得るために誰もわからないような難しいキーワードが必要なんだ。
 科学技術局が家捜しをしたせいで、警戒したフェティの日記が虫食いになったせいか、余計に謎が深まった。
 リズは本当になにも知らないのかな。失われた記憶の中になにかあるんだろうか。
 ずいぶん幼かったから、大人の争いに巻き込みたくなかっただろうし、知らせてない可能性も高いよな。
 ライセンス期限が切れる今年、まだソースコードを手に入れていないと思われる科学技術局が、リズに接触してくる可能性はある。
 今のところそんな話は聞いてないけど。
 オレがリズを守らなきゃ。
 なにかに導かれてオレがリズの元にやってきたのだとしたら、きっとランシュとフェティの導きだ。
 ふたりは残されたリズの身を心配してるだろうから。
 オレが密かに決意していると、スピーカーから久々にメッセージが流れた。


――緊急指令。ラフルール商店街にてヒューマノイド・ロボットによる人質立てこもり事件発生。特務捜査二課の各捜査員はただちに現場に急行してください。


 え、久々なのに、また現場急行とか。
 リズはコンピュータを落として席を立ち、机の引き出しから見慣れた白いボトルを取り出した。
 それをオレに突き出しながら言う。
「お昼ご飯はお預けになりそうよ。私は平気だけど、あなたは飲んでおいてね」
「ん……」
 平和ボケしててすっかり忘れてた。座ってる間充電しておけばよかったな。朝食があったから少し余裕はあるけど、フルパワーのこと考えるとサプリを飲んでおかなきゃ。
 オレはオレンジ色のカプセルを飲み込んでボトルをリズに返した。いつもながら味気ない。
「君もヒマがあったら飲んでおけよ」
「はいはい。ヒマなんかないけどね」
 くそぅ。減らず口め。
「じゃあ、行ってくるわね。ムートン、留守をお願い」
「カシコマリマシタ」
 笑顔でムートンに手を振って、リズはオレと一緒に研究室を後にした。




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