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18.ファースト・コンタクト




 事務室に入ると、部屋の隅で二課長とロティがなにやら深刻な表情でコソコソと立ち話をしている。近づけば、ふたりの会話が聞こえてきた。
 ロティが不愉快そうに眉を寄せている。マイペースでいつもにこにこしている彼女の、こんな表情は珍しい。
「いくら私がロボットだからって、あんな風に無遠慮に触られるのは不快です」
 なに、セクハラ? 誰が?
 くるりと部屋を見回してみる。ラモット班長がコンピュータ画面に向かって黙々と事務仕事をこなしている以外は、皆一様に応接室の扉をチラチラと見ていた。
 どうやらセクハラ犯は、件のお客様のようだ。そんな奴に礼を尽くす必要があるのか?
 オレの中で静まりかけていた不愉快が、また沸々とわき上がってくる。二課長が苦笑をたたえながらロティをなだめた。
「まぁまぁ、彼も君のことをいやらしい目で見ていたわけじゃないと思うよ。君がすばらしいロボットだから研究者として周りが見えなくなっただけだろう」
「でも……」
 ロティはまだ不愉快そうに口をとがらせている。横からリズが割って入った。
「二課長、お客様は応接室ですか?」
 その声に振り返った二課長が、ホッとしたように笑顔をほころばせる。
「あぁ、リズ。君が来てくれて助かるよ。ロティも嫌がっているが、専門的な話についていけないせいか、私もなんだか波長があわなくてね。科学者の君が居てくれると心強い」「わかりました」
 いったいどんな専門的な話でセクハラ容疑を煙に巻いたんだ。
 益々不愉快になって眉をひそめるオレの背中をリズが叩いた。
 口だけゆっくり動かして「笑顔」と告げる。
 はいはい、わかりました。
 オレは白々しいほどの極上笑顔を作ってみせる。リズがクスリと笑った。
 二課長からお客様ご訪問の理由をおおまかに聞いて、三人で応接室に向かう。そこへ給湯室から、ロティが四人分のお茶を運んできた。
 リズがロティに手を差し出す。
「私が持って行くわ。まさか人間の女相手に警察局の中で痴漢行為は働けないでしょう?」
 二課長に速攻で現行犯逮捕だよな。てか、ここは一番下っ端でリズの下僕であるオレが持って行くべきじゃないのか?
 そう思ってオレが口を開きかけたとき、ロティはいつもの柔和な笑顔でゆっくりと首を左右に振った。
「リズさん、お気遣いありがとうございます。でも、これは私の仕事ですから」
 ロティってホント、プロだよな。オレなんか先入観で笑顔さえ出し惜しみしてるってのに。
 ロティの笑顔を見つめながら、リズは手を引いて小さく頷いた。
「そうだったわね。じゃあ、お願いするわ」
「はい」
 話がまとまったところで、二課長は応接室の扉をノックして開いた。彼に続いてリズ、オレ、そしてロティが応接室に入る。
 来客用のソファにはグレーのスーツを着た三十代と思われる細身の男が座っていた。
 少し長めの黒髪と銀縁のメガネが、俯く男の顔を半分隠している。クランベールに来て初めてこんなに真っ黒な髪を見た。
 なんとなく人種はヨーロッパっぽい感じだから、色素の濃い人はいないのかと思って以前リズに聞いたことはある。いないこともないが、少ないと言っていた。
「どうもお待たせしました」
 にこにこと挨拶をする二課長をスルーして、立ち上がった男はつかつかとオレの元へやってくる。そしてうっかり黒髪に見とれてぼんやりしていたオレの右手を両手で握った。
「やぁ、君がシーナだね? 会いたかったよ」
「はぁ……」
 想像もしていなかった過剰なまでにフレンドリーな展開にオレはうろたえる。
 ぐいっと目の前まで迫った男の深緑の瞳がキラキラしてて薄気味悪いんだけど。目は黒くないんだな。
 てか、顔ちけーよ!
 せっかく密かに顔を退いたというのに、男はさらに顔を近づけてきた。
 勘弁してくれ。おっさんと至近距離で顔突き合わせてるなんて辛すぎる。
 オレがすっかり逃げ腰になっているというのに、男は興奮したようにまくし立てる。
「いやぁ、警察局の官庁向け公開情報で見たときから君に会いたいと思ってたんだよ。ホントきれいな造形だ。こんなにきれいな子が怪力を発揮するって本当?」
「えーと……」
 オレのスペックって機密情報じゃなかったのか? どこまで話していいのか判断できない。
 オレが悩んでいる隙に男の手はオレの頬を両手で挟んで上向けさせた。
「もっとよく見せてくれ」
「いや、ちょっと……!」
 これはもう殴ってもいいだろうか。なるほど、こんな調子でロティのこともベタベタ触ったんだろうな。
 確かにいやらしい下心は見えないが、人間が初対面の相手にこんなことされたら不快だってことくらいわかるだろう。
 ここまで完全に物扱いされたのは初めてだ。
「あのっ!」
 さすがに見かねたようにリズが男の腕を掴もうとする。それを制して二課長の静かで低い声が響いた。
「グリュデさん、本来のご用件をお忘れではありませんか?」
 男は今気がついたかのように二課長と視線を合わせて、気まずそうに笑いながらオレから手を離した。
「あ、いや、どうもすみません。シーナをじっくり見てみたいと思ってたものだからつい……」
 全く悪びれた様子もなく、男は二課長に向かって頭をかきながらヘラヘラ笑っている。
 オレは無視か。謝る相手を間違ってるだろ。
 まぁ、これで笑顔を作る必要がなくなったからいいけど。
 立ち話もなんだからと二課長に促され、みんな席に着く。窓側の長椅子にお客様が、その前にリズとオレ、男の斜め前に二課長が座ったのを見て、ロティが淡々とお茶を配り、そそくさと部屋を出ていった。
 さすがに二度目のセクハラはなかったようだ。ロティがそれとなく警戒していたのもあるが、なにしろお客様の視線はオレに釘付けなのだ。
 おっさんの熱いまなざしなんてぜんぜん嬉しくない。むしろ気持ち悪い。
 男はようやくオレから視線を外し、リズに向かって挨拶をした。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私は科学技術局局長ダン=グリュデと申します。専門はあなたと同じロボット工学です。だからつい、シーナに夢中になってしまって……。いや、お恥ずかしい」
 なんと。局長自らお出ましとは。
 今の局長もロボット工学専門なのか。バージュ博士がいたころの局長とは代替わりしてるだろうけど、この人もロボットを機械としか思っていない印象を受ける。先ほどのオレに対する扱いがそれを物語っていた。
 我を忘れてロボットに夢中になるのは好きだからなんだろうけど、バージュ博士やリズとは違うタイプのようだ。
 それはリズも感じているようで、あれほどオレには笑顔笑顔と言ってたくせに、自分は冷ややかな眼差しで彼を見つめていた。
 たぶん班長よりも気が合わないだろうな。
 リズはにこりともせず、形式的に挨拶を返す。
「特務捜査二課専属研究員のレグリーズ=クリネと申します。シーナを気に入っていただいたことは光栄です」
 グリュデ氏は気まずそうに苦笑しながら、本来の目的を果たすべく口を開いた。
「今日はうちのロボットが世間を騒がせてしまって、警察局の方々にも大変ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「あのロボットはやはり科学技術局のものなんですね?」
 二課長の質問にグリュデ氏は素直に頷く。
「はい。国家機密になるので、詳しいことは申し上げられませんが、開発途中のものが、ちょっと目を離した隙に局の建物から逃げ出してしまったんですよ」
 逃げ出したって、動物園の動物じゃあるまいし。言葉が通じるんだから、ちゃんと言い聞かせとけよ。
「ベタベタ触られるから、気持ち悪くて逃げ出したんじゃないですか?」
 オレはここぞとばかりに突っ込みを入れた。
 もちろん、リズに命令されたとおり極上の笑顔で。
 すかさずリズからわき腹に肘鉄を食らう。けれどグリュデ氏は一瞬目を丸くした後、声を上げて笑った。
「いやぁ、これはまいった。君は会話能力も優れているようだね。今の冗談はうまかったよ」
 冗談じゃなくてイヤミだっての。
 逃げたのはともかく、どうして人質をとって立てこもったりしたんだろう。科学技術局のものなら絶対命令はインプットされているはずだ。
 それは誰もが疑問に思っていたらしい。二課長が尋ねると、グリュデ氏は少し困ったように言い淀む。
「それは、私にも推測することしかできないんだが……」
 そう前置きをして、彼の推測を語り始めた。
 ロボットがいなくなったことで、科学技術局内は騒ぎになっていたらしい。警察に通報すれば騒ぎになるし、絶対命令があるので外に出たとしても事件を起こすことはないだろうと、自分たちで捜していた。
 お国の機関の隠蔽体質はどこも一緒だな。
 ところが事件は起きてしまった。ロボットから発せられた通信をたどってみれば、警察と野次馬に取り囲まれて黒山の人だかり。こっそり回収しようにも、手も足も出ない。
 連絡を受けたグリュデ氏は、ロボットが何をしでかしたのか確認するために警察局にやってきたという。
 現場を指揮していたラモット班長とガリウス班長に説明を受け、事情聴取を受けていた店主と人質女性にも謝罪し、話を聞いたらしい。
 彼女の証言によると、彼女が事件のあった店に入ってまもなく、いつの間にか後ろにいたロボットが、突然彼女を抱き抱えるようにして、店の中にいる人間はすべて外に出るようにと告げた。
 無表情で一言も口を聞いてなかったけど、あいつ一応しゃべれるんだな。
 店内にいる人数を把握するために店には大概探知機が設置されている。人とロボットを判別しているので、相手がロボットであることを店主にはすぐにわかった。
 犯罪を起こすロボットは何をするかわからない。話が通じる相手ではないので下手に刺激しないようにと警察局から全国民へ広報されている。
 店主はおとなしくロボットの要求に従い、店内にいた客と従業員を連れて店の外に出た。
 店の中に取り残された人質の彼女は、半狂乱でロボットの腕をふりほどきながら「放して!」とわめいたらしい。
 すると意外なほど素直にロボットは腕をほどいたという。
 ロボットから逃れた彼女は店の隅にある注文マシンのそばまで退いた。店の出入り口にはロボットの方が近い。店を逃げ出そうとしても捕まってしまうと思ったという。
 ロボットは無表情なまま彼女の動きを目で追い、ゆっくりと歩み寄ってきた。恐怖に駆られた彼女は「近寄らないで!」と叫んだ。するとまたしても、ロボットは歩みを止め、ゆっくりと決済カウンターの前まで後退したという。
 注文マシンの前に置かれた椅子に座った彼女を、ロボットは感情のない瞳でじっと見つめたまま立ち尽くしている。その目が怖くて彼女は俯いた。
 外に出た店長が警察に知らせてくれることを信じて、彼女は静かに助けを待った。
 事件の詳細はそんなところだったらしい。だが、未だにロボットの行動は色々と腑に落ちない。
 絶対命令がインプットされているなら、どうして立てこもり事件なんて犯したのだろう。
 オレだけでなくリズも二課長も怪訝な表情を浮かべている。
 グリュデ氏の話は尚も続いた。
「いやぁ、人質になっていた女性に面会したときは驚きました。彼女はあのロボットの教育担当にそっくりだったんですよ」
「あぁ、それで」
 リズが納得したように頷く。それに同調してグリュデ氏も頷いた。
「えぇ。あのロボットはまだ開発途中だったんで、人の個体識別の精度が低くて、大雑把な容姿でしか判別できないんです。局の外に出たもののどうしていいかわからず、教員担当によく似た彼女の後についていったんでしょう」
 なるほど。それで彼女の言うことを聞いたのか。彼女を見つめてじっと立ち尽くしていたのは、彼女の命令を待っていたのかもしれない。
 オレが飛び込んだときも飛散するガラスの破片を浴びながら、あいつはその場から動かなかった。「近寄らないで」という彼女の命令を忠実に守って。
 ガラスの破片が彼女を傷つけることはないと、オレが計算したように、あいつもわかっていたからだろう。
 リズがもうひとつ腑に落ちない点を尋ねた。
「彼女を教育担当と間違えてついて行ったのはわかりますが、どうしていきなり立てこもったんでしょう」
「私も何かきっかけがあったんじゃないかと思って彼女に尋ねたんですよ。店に入った直後に何か言いませんでしたかって」
「何か言ったんですか?」
「えぇ。あの店には注文用の機器が三台あるんですが、それが全部使用中でふさがってたらしいんですよ。それで”あぁ、早くみんな出て行ってくれればいいのに”って、つぶやいたそうです」
 えぇっ!? それを命令だと勘違いしたのか、あいつ。
 てことは、ロボットからしてみれば「みなさん、早く店を出て行ってください」とお願いして、彼女の命令を待って動かなかっただけで、立てこもりの意思はなかったわけだ。 そりゃあ、法の順守という絶対命令には反してないよな。
 なんか一気に脱力した。二課長もリズも真相を知って大きなため息をついている。
 あ、でも、あとひとつ――。
「あのロボットは私に取り押さえられた直後、私の登録情報をスキャンして科学技術局に送信しています。それはなんのためですか?」
 オレの質問にグリュデ氏は柔和な笑みを浮かべて首を傾げる。
「さぁ……。それは私にはわからないよ。今君たちに話したことも私の推測でしかない。私はあのロボット本人ではないからね」
 タヌキめ。こいつやっぱり信用できない。
 なにしろ最初から、ちっとも感情が読めないのだ。何かオレのセンサを妨害する装置を身につけているとしか思えない。
 バージュモデルを世に送り出した科学技術局だから、バージュモデルの特性は熟知しているはずだ。
 グリュデ氏は話が済んだと判断したのか、席を立って笑みを深めた。
「心配しなくても君の登録情報は私が責任を持って局のコンピュータから削除しておくよ」
 そう言ってグリュデ氏は、二課長とリズに挨拶をして警察局を後にした。



 警察局の正面玄関に迎えのエアカーがやってきた。グリュデはそれに乗り込み、科学技術局に向かう。
 エアカーが動き始めて少ししたとき、迎えに来た男が眉をひそめてグリュデに言う。
「なにもあなたが直接出向かなくても、私が代わりに行きましたものを」
「シーナを直に見てみたかったんだよ」
「いかがでしたか?」
 グリュデはニヤリと口元に笑みを浮かべ、意味ありげに横目で男を見る。
「なかなかおもしろい子だった。色々と興味深い。ただ私は嫌われてしまったかもしれないね」
「また触りまくったんでしょう」
 小さく息をついて目を伏せた男の肩を、グリュデは笑いながら叩いた。
「お見通しか。あんまりきれいだったから、つい度を超してしまったんだよ」
「いつも度を超しているように見受けられますが」
「そんなことはないと思うけどねぇ。ところで、そっちはどうだった?」
 軽口を叩いていた男が、途端に表情を引き締め居住まいを正す。
「産業復興局の登録データによると、シーナの製造年は今年でした。ただ、仕様の詳細を確認したところ、使用されている技術のいくつかはずいぶんと古いものです」
「古いってどれくらい?」
「九十年前です」
「……バージュ博士が免職になった頃だな」
 グリュデは再びニヤリと笑う。
「ふーん。それは有益な情報を手に入れたみたいだね」




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