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19.ただのロボットは悪ふざけ禁止 |
「顔洗いてー」 研究室に戻ったオレは再びケーブルに繋がれていた。さっき途中だったからな。 オレの独り言を聞いて、リズはコンピュータを操作しながらクスクス笑った。さっきは一緒になって不愉快になってたくせに。少しムッとしたと同時に、イタズラ心が芽生えた。 あの気持ち悪さを味わわせてやる。 オレはおもむろにリズの頬を両手で引き寄せ、さっきおっさんにされたように顔を近づけた。 「いきなりこーんな近くにおっさんの顔があんだぜ」 「ちょっ……! 放して!」 オレの腕を掴んでリズが抵抗するが、放す気はない。まぁ、命令されれば従ってしまうんだろうけど。 命令がないので、さらに顔を近づける。 「興奮してしゃべるたびに息が吹きかかるし気持ち悪いだろ」 「息かかってるし!」 あ、そうなんだ。ため息つけるのは知ってたけど、呼吸してないのにオレもしゃべるとき息が出るんだ。ホント、無駄に人間くさいよな。 などと感心しているうちに、どういうわけかリズの抵抗が止んだ。 脈拍上昇。手のひらに伝わる熱が次第に上昇していく。目の前にあるリズの顔は真っ赤だ。 あれ? 気持ち悪いどころか、テンパってるらしい。 そっか、忘れてた。オレ、おっさんじゃなくて美少年だった。 気づいたときには、リズの栗色の瞳が潤み始めていた。 やべぇ。悪ふざけが過ぎたか。 リズは消え入りそうな声で、絞り出すようにつぶやく。 「お願い……。放して……」 命令じゃなくてお願いされるとは。 オレはゆっくりと手を離す。リズはうなだれて目元に指先を当てた。 「悪かったって。泣くことないだろう」 そう言って頭を撫でると、オレの手を払いのけてリズは勢いよく椅子から立ち上がり、クルリと背中を向けた。 「泣いてないわよ!」 涙声でわめきながら鼻をすすっている。泣いてんじゃねーか。思わず呆れたように尋ねた。 「オレの顔って泣くほど怖い?」 「怖いわけないじゃない、私が作ったのに。怖いんじゃなくて、ああいう雰囲気が苦手なの! どうしていいのかわからなくなるんだもの」 はぁ、なるほど。オレにとってはおっさんとの気持ち悪いシチュエーションだったけど、リズにとっては王子様との萌えシチュエーションだったってわけか。 「じゃあ、キスでもすればよかった?」 反射的に茶化すと、ものすごい勢いでリズが振り向いた。顔は真っ赤で目が潤んでいるのは変わらないけど、表情は鬼のようだ。検知した怒りの感情が急上昇。 マジやばい。これは「命令」がくる。 「ふざけないで、エロボット! シーナ、命令よ!」 「わぁっ! 待った待った、痛いのは勘弁! 悪ふざけが過ぎました。申し訳ありません、ご主人様!」 情けないほどあっさりと、オレはその場に正座して床に額をつける。 土下座ってクランベールで通用するのかわからないけど、こんな至近距離でケーブルに繋がれているのに、あの痛い命令は勘弁してほしい。 少しの間待ったがリズの命令はない。恐る恐る顔を上げると、まだ不愉快そうに見下ろしている彼女と目が合った。かなり気まずい。 食らえ! 必殺、天使の微笑み! 極上の笑顔を作ってみせると、リズはフンと鼻を鳴らしてプイッと横を向いた。 どうやら痛い命令は回避できたらしい。 ホッとして立ち上がったオレに、リズは吐き捨てるように言う。 「命令中止」 「寛大なご対応傷み入ります、マスター」 オレは仰々しく頭を下げた。けれどリズは、まだ不愉快そうにムスッとしている。なんかいい加減面倒くさくなってきた。 「あのさぁ。軽い冗談なのに、そこまで怒ることないだろう。前にも言ったけど、オレはただのロボットなんだから」 「私も前に言ったでしょう? あなたをただのロボットだとは思ってないって」 それって変なロボットって意味じゃないのか? リズは低い声で付け加える。 「あなた自身が自分のことをただのロボットだと思っているなら、もうあんな悪ふざけしないで」 は? ただのロボットなら、なんでも許されるんじゃないのか? ただのロボットなら悪ふざけ禁止って意味がわからない。 てことは、変なロボットなら悪ふざけしてもいいってことか。実際にオレは変なロボットだよな。リズもオレをただのロボットだとは思ってない。 つまり、ただのロボットに悪ふざけで動揺させられたくないってことなのか。 ……え? まさか、リズ……。 胸の鼓動が早くなる。偽物だけど、感情や運動量に連動している。これも無駄に人間くさい機能。 そしてすべての思考回路がめまぐるしく稼働し始めた。クランベールで目覚めてから今までの記憶をたどり、リズの言動が次々にピックアップされ、脳裏をフラッシュバックしていく。 思考回路と人工知能の負荷率がどんどん上昇する。 やばい。このままでは初日にパニック起こしたときみたいに、身体制御がロックされる。そうなったら、動揺していることをリズに気づかれてしまう。 落ち着け、オレ! 思い過ごしだ! 感情に支配された思考回路をいくつか強制的に停止させ、人工知能の負荷率を下げる。ようやく安定してきたところで、オレはホッと一息ついた。 本当にオレの思い過ごしならそれでいい。たとえそうじゃなかったとしても、気づかなかったことにしよう。今後のリズの人生と幸せを守るためなら、その方がいい。一年後にオレが生きている保証はないんだし。 見上げるリズの瞳を見つめて、オレは決意を告げた。 「オレはただのロボットだよ。もう二度と悪ふざけはしない」 「そう。いい子ね」 わざとらしい慈母の微笑みをたたえて、リズはオレに頷いてみせる。そして何食わぬ顔でコンピュータ画面に視線を戻した。 彼女が落胆しているのは丸わかりだが、こちらも何食わぬ顔でまじめな話題を振る。 「あの科学技術局の局長だけど、手放しに信用しないほうがいいよ」 「どうして?」 「見かけは友好的だったけど、本当かどうか感情が読めなかった」 「あなたのセンサを遮断してたのね」 「たぶん」 バージュモデルが感情を読めることは、人とロボットとの円滑なコミュニケーションのために必要な機能として公開されている。 考えている内容までわかるわけではないので、これを嫌がるのはよほど神経質な人かロボット嫌いかのどちらかだ。あるいはなにか後ろ暗いところのある人か。 あのおっさんは十中八九「後ろ暗いところのある人」だろう。色々と胡散臭い。多分に偏見も含まれてるけど。 「じゃあ、一応、二課長に報告しておくわね」 そう言ってリズは、再びオレのデータ分析に戻った。 耳に押し当てた受信機から聞こえる音声に、グリュデはクッとのどを鳴らして愉快そうに言う。 「うーん。やはり私はシーナに嫌われてるみたいだねぇ」 局長室の大きな机に頬杖をついて、グリュデはクスクス笑った。その傍らに立った局長秘書のヴァラン=ドローは涼しげなアイスブルーの瞳で冷ややかに見下ろしながら告げる。 「盗み聞きなど、あまりいい趣味とは言えませんね」 「趣味でやってるわけじゃないよ。時間がないんだから手段は選んでいられない」 「とはいえ、犯罪ですよ、それ。しかも警察局の内部を盗聴なんて、ばれたら面倒なことになります」 「そう簡単にはばれないさ。科学の最先端をいく科学技術局を見くびってはいけないよ」 ニヤリとイタズラっぽい笑みを浮かべるグリュデを見下ろして、ヴァランはひとつため息をついた。 「別に科学技術局を見くびっているわけではありません」 「そうか。とにかくシーナに取り付けた盗聴器は砂粒ほどの大きさで、ロボットのセンサも遮断するから見つかる心配はまずない。ただ小さすぎて内蔵バッテリが数時間しかもたないのが難点なんだけどね」 「そうですか。リスクに見合うだけの有益な情報は得られましたか?」 グリュデは少し眉を寄せて腕を組む。 「はっきりとしたことはわからないが、なにやら意味深な会話をしていたなぁ。やはりシーナはただのロボットじゃないみたいだ。制作者がそう言ってたしね」 「制作者はバージュ博士と 「今年制作なのに九十年前の技術が使われているシーナはそれだけでも怪しい。おまけに会話相手によって言葉遣いが変わったり、冗談を言ったり、今年制作とは思えないほど高度な会話能力だ」 「運動能力、耐久性共にバージュモデルの中でも最高クラスです」 「警察局に預けておくのはもったいないね」 「元々警察局のものですが、なにか企んでおいでですか?」 「ちょっとね」 グリュデはニヤリと笑い、再び受信機を耳に押し当てた。 明かりの消えたリズの研究室が、今日はひときわ寂しく感じられる。リズは少し前にムートンとオレに挨拶をして帰って行った。 オレは部屋の隅に座り、ムートンと並んで電源プラグに繋がれていた。そろそろ省電力モードに切り替えないと、朝までに充電が完了しない。けれど思考回路が停止しないのだ。 強制的に停止させればいいんだけど、胸の奥にリズの傷ついた感情が引っかかっていて、気になってしょうがない。 ムートンはリズと挨拶を交わした後、すぐに省電力モードに切り替わった。いつもは青く輝いている目も今は灯りを落として黒くなっている。 返事がないことはわかっていながら、オレはムートンに話しかけた。 「おまえ、リズが好きだよな。リズもおまえが大好きだよ」 ムートンには感情がない。けれど、リズに充電を要求するときの彼は、リズの目には甘えているように見えているのだろう。 「オレもリズが好きだよ。だけど……リズがオレを好きになっちゃだめなんだ。オレはただのロボットなんだから」 本当にただのロボットだったら、彼女を傷つけることもなかったんだろうけどな。 ムートンと同じように、リズの想いをすべて受け止めることができたのに。 つまらない悪ふざけでリズの心を翻弄して、挙げ句の果てに傷つけた。自己嫌悪で思わず盛大なため息が漏れる。 もうしばらく眠れそうにない。いや、元々眠ってはいないけど。 オレはかかえた膝の上に顔を伏せて、もう一度派手にため息をついた。 |
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