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28.ソースコードとキーワード




 動かなくなったヴァランを護送班のところまで運んで、オレの仕事は終了した。
 ヴァランはこれから鑑識でチェックを受けた後、記憶も人格もリセットされる。グリュデ自慢の優秀な秘書スキルもきれいに忘れてしまうのだ。
 もったいない気もするが、バージュモデルがメモリに蓄積した仕事スキルは記憶と密接に関係しているので、記憶だけ切り離してクリアすることが難しい。
 高性能なバージュモデルだから、解体処分はないだろう。今度はいい主人に巡り会えることを祈る。
 ヴァランを運んだ後、元の部屋に戻ってみると、部屋の隅でリズがへたり込んでいた。そばにシャスがしゃがみ込んで心配そうに声をかけている。
 まぁ、この間と同じ。極度の緊張から解放されて一気に気が緩んだらしい。
 また気を失ってはまずいので送って行けと班長に命令されて、オレはみんなより先に現場を撤収することになった。
 リズとオレへの事情聴取は明日ということになる。
 ガラスのない窓から外を眺めると、やはり派手な強行突入が野次馬を呼んでいた。科学技術局のまわりには大勢の人がひしめいている。カメラやマイクを構えた報道機関の姿も見えた。
 この中にリズを連れて出て行ったらえらいことになりそうだ。
 そう思ったので、リズを上着に包んだまま横抱きにして窓から飛び立った。
 リズの悲鳴は野次馬のどよめきにかき消される。報道記者たちは元気なことに走ってオレを追いかけてきた。
 家に送るつもりだったが、リズが研究室に帰りたいと言うので警察局に向かって飛ぶ。科学技術局からは同じ官庁街の目と鼻の先にあるので、追っ手を振りきることは無理だろう。
 オレは通信で事情を説明し、警察局の入り口を閉鎖するように伝える。そして敷地内に直接降りることを許可してもらった。
 飛び立った直後からオレの首にしがみついているリズが泣き言を言う。
「やだやだやだ。やっぱり降りて。なんで飛んで行かなきゃならないのよ」
「省エネ。無駄な戦闘で消耗したから、バッテリ残量が半分を切ってんだよ。てか、そんなにぎゅうぎゅう首絞められたらバランスとりにくいんだけど。少しゆるめてくれる?」
「絶対イヤ」
 前も見えにくいんだけどな。おまけにあの豊満な胸がぎゅうぎゅう押しつけられて、気が散るっていうか、気持ちいいっていうか。
 言わないけど。痛い目に遭いたくないし。
「高いとこダメなの?」
「ダメ……。ダメじゃない人の方がどうかしてるわよ。人間は地に足をつけて生活する生き物なんだから」
「はいはい。もう少し我慢してね」
 怖くても減らず口は健在なんだな。
 オレは少しスピードを上げて、閉鎖された門の上を飛び越え、警察局の敷地内に降り立った。
 門に阻まれた報道記者たちが、なにかわめいているけど放っておこう。そのうち諦めて帰るだろう。



 リズと一緒に研究室に入ると、自動で明かりが点灯した。オレが出て行ったときと寸分違わず、トロロンはソファの上で丸くなり、ムートンは定位置に佇んでいる。夜なので挨拶はなしだ。
 リズは頭からかぶっていた上着をオレに返して、まっすぐ奥へ向かった。
 今日中に片づけなきゃならない仕事でもあるんだろうか。
「急ぎじゃないなら明日にしたら? 体調も万全じゃないんだし」
「仕事じゃないわ」
「へ?」
 てっきりコンピュータに向かうものと思っていたリズが、さらに奥へ進みムートンの前で立ち止まる。そしてオレを振り返った。
「色々ごたついてて機会を失ってたんだけど、あなたに話そうと思ってたの。あなたのおかけで思い出したから」
「思い出したって、なくしてた記憶?」
「そう」
 やっぱ思い出してたんだ。でもオレのおかげって?
 あの爆弾事件が原因なら、オレが壊されかけてリズが精神的に緊張を強いられたから? おかげっていうより、なんか迷惑かけただけのような気がしてならない。結局わからないので素直に尋ねることにする。
「オレ、なにかしたっけ?」
 リズはクスリと笑って種明かしをした。
「人格形成プログラムのソースコードを手に入れるキーワードよ」
「あぁ、大叔母さんの日記に書いてあった……。わかったの!?」
「あなたが教えてくれたの」
「へ?」
「”ランシュの決めたキーワードは、私もリズも知らないし、科学技術局の人はおろか、この国の人たち誰にもわからない”って書かれてたでしょう? あれ、ニッポン語だったのよ。この国の人にはわからないけど、あなたはニッポン人だから」
「そういうことか」
 バージュ博士の母親は日本人だったっけ。その事実を知ってるのは、ごく限られた人だから日本語を知ってる人も限られた親しい人ってことだ。
 それはおそらくバージュ博士にとっては、キーワードを知られてもかまわない人たち。
「あの爆弾事件の後に思い出したの?」
「えぇ。あなたの言葉がきっかけで。あの言葉、記憶の封印を解くキーワードでもあったの。私、ランシュに魔法をかけられてたのよ」
「え、それってもしかしてドン……」
「今言わないで」
 リズの指先がオレの口をふさぐ。オレは言葉を飲み込んで、話の続きに耳を傾けた。
「発熱で記憶障害を起こしたのはウソじゃないの。その時脳内に制御用チップを埋め込まれて、そのチップにランシュが無線通信で細工を施したんだと思う」
「じゃあ、リズは元々知ってたんだ」
「えぇ。消えていた記憶の最後は、ランシュのおまじないよ」
 熱が引いて目覚めたリズの頭を撫でながら、バージュ博士は記憶を封じた。
「よく頑張ったね。リズがこれからも幸せに暮らしていけるように、おまじないだよ」
 額に落とされた優しいキスと共に、それまでの記憶がリズの中に閉じこめられて見えなくなる。けれどランシュやフェティが自分を大切にしてくれることは幼いリズにもわかったので、不安はなかったらしい。
 いずれ人格形成プログラムのソースコードを巡って、科学技術局と対立することをバージュ博士は予測していたのだろう。
 在処(ありか)を知っていることが発覚すれば、リズが辛い目に遭うかもしれない。それを心配して知らないことにしたのだ。
 フェティの日記にリズの発熱が書かれていなかったのも、リズを守るためだろう。ランシュがリズの制御チップに細工をしたことをフェティは知っていたから。
「でもなんで、そこまで徹底して隠すくらいなら、消去してしまわなかったんだろう」
 オレの素朴な疑問に、リズは苦笑する。
「私も科学者の端くれだから、それはなんとなくわかるわ。悪用されるととんでもないことになるってわかっていても、自分が心血注いだ研究成果を簡単に捨ててしまうことなんてできないのよ」
「なるほどね」
 まぁ、九十年たった今でも現役な研究成果だしな。
「で、結局ソースコードってどこにあるの?」
 オレの質問を丸っきり無視して、リズは脈絡のないことを尋ねる。
「ねぇ、バッテリはまだ大丈夫?」
「は? あんまり大丈夫じゃないけど、なんの関係が……」
「あなたにちょっと働いてもらいたいのよ。念のためケーブル繋いで」
「はいはい」
 オレは言われた通りに、シャツをめくって腰にケーブルを繋ぐ。警察局の制服じゃないから脱がなくていいのが楽だ。
 それを見届けて、リズはムートンの頭をポンポンと叩いた。彼の青い目玉が点灯し、省電力モードから通常モードに切り替わる。
 目覚めたムートンはリズの方にクルリと頭を向けて目玉を点滅させた。
「コンバンハ、リズ。ナニカゴヨウデスカ?」
「ムートン、起こしてごめんね。今からシーナがアクセスするから受け入れてね」
「カシコマリマシタ」
 愛おしげに目を細めて、リズは再びムートンの頭をポンポンと叩く。そしてオレを手招きした。
「もうわかったでしょう? ソースコードはムートンの中にあるの。許可するわ、シーナ。ムートンのメモリにアクセスして取り出して」
「了解」
 さっそくムートンのメモリに接続し、アクセスを開始する。レトロなロボットは記憶領域も狭く、すぐに怪しいフォルダを発見した。学習用記憶領域の隙間に隠された鍵つきのフォルダ。しかも全記憶容量の半分を占めるバカでかさ。
 オレがそのフォルダに触れた途端に、ムートンの目玉が点滅した。機械音声が要求を告げる。
「キーワードヲドウゾ」
 たぶん声紋認証があるだろうな。
 オレは無言でリズに促す。リズは頷いて、ムートンに告げた。
「ドンマイ」
 ムートンの青い目玉がめまぐるしく点滅し、システムメッセージがオレの中に流れてくる。
 レトロなロボットは処理速度ものんびりしているようだ。オレの人工知能に比べると、ひとつひとつの作業をかみしめるように処理している。


 声紋認証開始。・・・・。
 認証一致。
 キーワード確認。・・・・。
 認証一致。
 フォルダロック解除。


 ロックが解除されたのを確認し、フォルダごと自分のシークレット領域に移動する。
 少ししてムートンの目玉の点滅は停止し、オレは作業を終えた。
 移動の課程でフォルダに音声ファイルが含まれていることに気づいたので、一応報告する。
「リズ、ファイル移動完了した。日付の新しい音声ファイルが含まれてたよ。バージュ博士のメッセージかもしれないから後で確認しといて」
「今再生して」
「え、オレの口で?」
「そうよ」
「……了解」
 他人の声がオレの口から出るのって、違和感すげーから苦手なんだけどな。自分の声でさえ、最近ようやく気にならなくなったとこなのに。
 まぁ、バージュ博士は男だから、リズのときほどじゃないか。もう人工知能に制御を丸投げしてしまおう。
 オレがすっかり傍観モードになっていると、シークレット領域で開かれたファイルからオレの口を通して音声が流れ始めた。ご丁寧に口の動きも連動されている。
「リズ、たぶん久しぶりだよね。君ならきっと見つけてくれると思ってたよ。願わくは悪い人に利用されていないことを祈るよ」
 優しげな老人の声。老人というには少し張りがあって若々しい。なんだろう。バージュ博士の声はあまり違和感がない。
 ちょっと確認して、すぐにわかった。声紋がオレと一緒なんだ。容姿だけじゃなくて声のデータも彼から受け継いだらしい。
 ちょっと表情も連動させてみよう。
 オレは声の調子に合わせて、淡く微笑んだ。
 こちらを見つめていたリズが、懐かしそうに目を細める。
「本当はそばでずっと君を守りたかったけど、それは無理だからね。君に面倒を押しつけてしまって申し訳ない。これを見つけてしまったからには、もうひとつだけ面倒を引き受けてくれないかな。この人格形成プログラムのソースコードを簡単に手出しできない場所に持って行ってほしい」
 どこだろう、それ。
「君が持っていると君の身に危険が及ぶからね。だから王宮で保管してもらうんだ。レフォール陛下にはすでにお願いをしてある。陛下の元へ届けてくれないかな」
 レフォール陛下って、前国王!? そりゃあ、王宮の中なら科学技術局も簡単に手出しはできないだろうけど。バージュ博士って引きこもり少年だった割に、交友関係がグローバルすぎる。
 内心は驚愕に叫びそうになってるけど、表情は微笑のまま、オレはバージュ博士のメッセージを淡々と伝えた。
「愛しているよ、リズ。君に出会えて一緒に過ごした日々はとても幸せだった。君のこれからの人生が幸せであるように、ずっと祈っているから」
 静かな祈りを最後に、バージュ博士のメッセージは終わった。
 愛してるなんて自分の口から出ると、なんか照れくさいな。そういう意味じゃないことはわかってるけど。
「ランシュ……」
 懐かしそうにオレを見つめるリズがポツリとつぶやく。バージュ博士と共に暮らしていた頃の小さな子供に戻っているみたいだ。
 声紋が一緒だしちょっとトーンを変えるだけで彼の声なら再現できる。
 オレはおじいちゃんになったつもりで、微笑みながら両手を広げた。
「おいで、リズ」
 ゆっくりと歩み寄ったリズは、オレの胸に額をつけてしがみつく。
「長い間ひとりで、よく頑張ったね」
「うん……」
 何度も頷くリズの頭を撫でながら、オレは彼女を腕の中に包み込んだ。




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