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27.冷たい瞳に宿った感情 |
ヴァランはスーツの上着を脱いでそばにあるイスの背にひっかけると、ゆっくりこちらにやってきた。 オレはリズを背中に隠して、彼の方に体を向ける。 ほんの二メートルほど先まできたヴァランは、そこで立ち止まり、オレをしげしげと眺めた。 「飛行装置ですか。センサガードを施してあったんですね。不覚にも気づきませんでした」 「オレもあんたがロボットだったとは、不覚にも気づかなかったよ」 「おあいこってことですね」 にっこりと笑みを深くするヴァランだが、やはり目は笑っていない。感情が読めなかったのはロボットだったからなのか。 向こうからグリュデが、聞きもしないのに得意げに説明をしてくれる。 「ヴァランはね、軍事用に開発した私の最高傑作なんだよ。だけど局内ではロボットの軍事利用に反対意見が根強くてね。もったいないから私の秘書として使うことにしたんだ。バージュモデルだから人とのコミュニケーションも円滑で学習能力も高いし、今では優秀な秘書ロボットだよ。軍事用とはいえ、実戦経験はないからね。そういう意味では、君の方が有利かな」 とはいえ、軍事用ロボットって戦闘能力が桁違いなんじゃないか? 格闘術なんか、この体になって初めて教わったくらいだし、中途半端な違法ロボットしか相手にしたことないオレには勝ち目がないような気がする。あいつらみんな比較的おとなしかったしな。 ヴァランがグリュデにお伺いを立てる。 「室内が多少荒れてしまうかと思いますが」 「かまわない。存分に力を発揮してくれ。ただし、人工知能は破壊しないようにね。手足くらいはいいけど」 「かしこまりました」 恐ろしいことを軽く言いやがる。やっぱりグリュデってロボットを道具としか思っていないみたいだ。 でも好奇心に負けてボロを出したな。ロボットを戦わせることはロボット法で禁じられている。オレの見聞きしたことは全部メモリに記憶されてるから、帰ったら二課長に洗いざらい提示してやる。 所有者の破壊許可が下りたことだし、いざとなったら窓を壊して逃げ出せる。リズの体重なら飛行装置の重量制限にも引っかからないだろう。 「リズ、できるだけ離れてて」 オレもヴァランも人間を危険にさらすことは絶対にないけど、とりあえずリズの安全は確保したい。 リズは出入り口側の部屋の隅まで移動した。反対側になる窓際の隅にはグリュデが移動する。オレとヴァランは広い室内の真ん中に移動した。 三メートルくらいの間合いを取って対峙する。互いにセンサで相手を探っているが、内蔵武器がないこと以外にスペックは未知数だ。 事前に作戦は立てられないってことか。とりあえず当たってみて、考えるのはそれからだ。グリュデお墨付きの状況判断能力にまかせるとしよう。 オレが方針を固めたとき、ヴァランが静かに問いかけた。 「来ないのですか?」 そんな挑発には乗らない。そもそもオレ、前世は殴り合いなんかしたことない平和主義だし。 「では、こちらから行きます」 そう言ったとほぼ同時に、ヴァランの拳が目の前に迫っていた。 早っ! オレは咄嗟に両腕を交差させて受け止める。手首に残っていた手錠の残骸が砕けて床に落ちた。 威力も半端ない。これまともに受けてたらこっちの耐久力がもたないかも。 ヴァランは満足そうに目を細めて、一旦腕を引いた。そう。満足そうに。あの冷たいアイスブルーの瞳に初めて感情が宿ったのを見た気がする。 楽しそうに目を細めたまま、ヴァランは息つく間もなく次々に拳を繰り出してくる。当たるとやばいので、それを前後左右に躱した。反応速度はオレの方が少し優れているようだ。 口を動かす必要もないので、オレは音声通信で話しかけた。 「なんか楽しそうだな」 「楽しいですよ」 「そんなにオレを壊したいわけ?」 「そんなわけないでしょう。壊してしまっては私の楽しみが終わってしまいます」 なんだ、そりゃ? 「楽しみって?」 「私は兵士として戦うために作られました。けれど未だにその機会は得られていません。用なしで廃棄処分になってもおかしくない私に、秘書の仕事を与えてくれた局長には大変感謝しています。でもこうして戦うことが、私の本来の役割です。本領を発揮できるから楽しいんですよ」 そうか。以前リズから人間は誰かに必要とされていたい生き物なんだと聞いたが、感情のあるロボットも同じなんだな。人のために働くことにロボットは喜びを感じているんだ。 「なるほどね。だから黙ってたのか」 「何をですか?」 「オレとリズの会話、聞こえてたんだろ?」 ロボットなら聴力の感度を上げれば、骨伝導のオレの声はともかく、リズの声は聞こえたはずだ。リズがオレのリミッターを解除したことを。 「えぇ。楽しくなりそうな予感がしたので」 にっこりと微笑みながらも、ヴァランは攻撃の手を休めない。オレも避けるのに慣れてきた。 当たればやばいんだろうけど、当たる気がしない。経験不足からなのか、手加減しているのかはわからないけど、攻撃が単調なのだ。 「逃げているだけでは勝てませんよ」 挑発するようにヴァランが指摘する。 確かにその通りだけど。 攻撃に移る前にヴァランの耐久力ってどのくらいなのか、ちょっと気になる。 確かめてみるか。 ヴァランの拳を躱してオレは腰を落とし、そのまま滑り込むように背後に回った。そして床を蹴って飛び上がりながら、首筋に思い切り回し蹴りを食らわす。 だがヴァランは微動だにしなかった。だいたい予想はしてたけど、ここまで頑丈だとは。てか、これまずかった。オレ、ピンチ。 すかさず足首を掴まれ、そのまま勢いよく放り投げられた。背中から大きな執務机に叩きつけられ、机が無惨に砕け散る。 生身じゃなくてよかった。これ絶対痛いし、絶対死にかけてる。 などとのんきに考える暇も与えず、目の前に楽しそうなヴァランが迫っていた。本当にオレを壊す気はないのか疑わしくなってくる。 反射的に体を起こして跳躍する。そして殴りかかろうと前のめりになっていたヴァランの頭上を飛び越えて背後に着地した。 今度は背中の真ん中に、体重をかけて肘鉄を食らわす。バランスを崩したヴァランは、机の残骸に倒れ込んだ。 よし! 今のうちに拘束してしまえばこっちの勝ちだ。逮捕術はオレの本分だしな。 ダッシュで駆け寄り、腕を捕まえようとした瞬間、ヴァランが体をひねってこちらを向いた。そしてオレの顔めがけて拳を突き出す。 やべぇっ! すんでのところで躱し、一気に後ろへ飛び退く。ゆっくりと立ち上がったヴァランは、一層嬉しそうに目を細めた。 「反応速度が私の想定以上ですね。力と耐久力は私の方が若干上回っていますが、なかなかのものです」 結構冷静に分析してやがる。さすがはロボット。分析結果はオレと一緒だ。 おまけにやっぱりケロリとしてるし。さっきの攻撃、この間強化ガラス扉を破壊したんだぞ。 最初から度々拍手をしたり奇声を発したりしていたグリュデが、部屋の隅から興奮したように声を上げた。 「すばらしいよ、シーナ! ここまでヴァランの力を引き出したのは君だけだ。テスト稼働のときは、相手にならなかったからね。一応強化ロボットだったんだけど」 いったい何体のロボットをテスト稼働で壊したんだか。そう思うと他人事ながら不愉快になる。 オレも訓練中はロボットと対戦したけど、力の限界テストはもっぱら強化ガラスや合金のブロック相手で、ロボットを相手にはしなかった。 与えられる仕事が違うから、と言われればそれまでだけど、ロボット好きが楽しそうに言うことじゃないだろう。つくづくロボットを物だとしか思ってない奴だ。 ムッとしながらグリュデから目を逸らし、チラリとリズを窺う。興奮してはしゃいでいるグリュデとは対照的に、オレの上着を頭からすっぽりとかぶったまま落ち着いた様子でこちらを見つめていた。 怖くて固まっているのかと思ったら、表情は冷静な科学者だ。オレの能力は熟知してるから心配していないようだ。生体反応も落ち着いている。 オレがヴァランに視線を戻したとき、けたたましい警報が鳴り響いた。皆一様にスピーカーに注目する。スピーカーから女性の機械音声が告げた。 ――研究棟屋上に侵入者。各研究員は扉をロックして指示があるまで室外に出ないでください。 屋上に侵入者って空から降ってきたのか? え、まさかそれ……。 グリュデが上着の内ポケットから通信機を取り出し、問い合わせている。 「何事だ。……なに? どういうことだ?」 困惑した表情のグリュデにヴァランが問いかけた。 「局長、いかがしましたか?」 「屋上にいるはずの警備ロボットから応答がないらしい。監視カメラも停止している。ヴァラン、ちょっと様子を見てきてくれるか?」 「かしこまりました」 ヴァランが返事をして出入り口に向かおうとしたとき、窓の強化ガラスが一斉に大きな音を立てて破壊された。 「局長!」 窓際にいるグリュデめがけてヴァランが瞬時に駆け出す。絶対命令が起動したようだ。って、オレも!? 一瞬で駆け寄ったヴァランは、グリュデを抱き抱えて窓に背を向ける。オレもその横に並んで盾になった。背中にビシビシとガラスの破片が降りかかる。 あー。今ほど不本意すぎる絶対命令の起動はない。ヴァランがいるんだから、オレが動く必要ないと思うんだけど。しかもグリュデを守るためってのが、心情的にモヤッとする。 内心ふてくされているオレの背後で、ガラスを踏む大勢の靴音が聞こえた。ガラスの割れた窓から人が入ってきたようだ。 咄嗟に振り返る。あ、動けた。絶対命令は停止したらしい。ヴァランはまだグリュデを抱えているけど。 屋上の侵入者は思った通り、特務捜査二課の捜査員たちだった。窓から目の前に飛び込んできたシャスが、こちらに銃口を向けながら叫ぶ。 「シーナ、よけろ!」 オレが飛び退いたと同時に放たれた光弾は、ヴァランの背中を直撃した。 ヴァランはグリュデから手を離し、がくりとひざを折る。そして床の上に横倒しになった。 それを無表情なまま一瞥したグリュデは、窓際にいる捜査員たちに不愉快そうに尋ねる。 「警察局が器物損壊、不法侵入とはどういうつもりですか?」 捜査員たちの間から進み出てきたフェランドが、グリュデの前に通信端末に表示された書状を突きつけた。 「科学技術局局長ダン=グリュデ、ロボット法違反、及び監禁容疑で逮捕します。略式ですが、逮捕状です。局までご同行いただけますか」 書状には目もくれず、グリュデはフェランドを見据えて鼻で笑う。 「証拠はあるのかね? だいいちレグリーズさんは自分の意思でここに来て、これからお帰りになるところだったんだ。監禁などしていない。彼女に聞いてみればわかることだ」 フェランドは動じることなく、不敵の笑みを見せた。 「証拠はありますよ。シーナは試用期間中なので、行動や見聞きしたことをすべてモニタリングする機能があります。彼がここに来てから見聞きしたことはすべて警察局の関係者が把握しています。言い逃れはできませんよ」 え、通信遮断されてたのに、モニタリングシステムは生きてたんだ。なんで? オレの疑問に答えるようにフェランドは続ける。 「警察局の通信網は業務の特性上特別回線になっています。一般の通信遮断措置では遮断できません。あなたはロボット法で禁止されている戦闘をロボットに命じ、うちの捜査員を監禁する意思があることを口にしていますよね」 「捜査員?」 グリュデが訝しげに眉をひそめる。フェランドは平然と言い放った。 「シーナです。彼はただのロボットではありません。警察局特務捜査二課の正式な捜査員です。たったひとりしかいないロボット捜査員を壊されては、業務に多大な支障を来すので、やむなく強行突入させていただきました」 グリュデは呆気にとられてポカンとする。オレも同様にポカンとなった。 いや、オレもそれ今初めて聞いたんだけど、いつから正式な捜査員になってたんだ? 少しの間、絶句していたグリュデは、やがて観念したようにフッと笑った。 「行くとしよう」 フェランドの指示で二人の捜査員に身柄を確保されたグリュデは、素直に出入り口へ向かう。その時、目を開けたまま床に倒れていたヴァランが微かに口を開いた。 こいつロボット用の銃に耐性があるのか。完全に機能を停止していない。 唇は動かないまま、開いた口から途切れ途切れに音声が聞こえる。 「……きょ……くちょ……」 ヴァランの声が聞こえたのか、グリュデが振り向いた。相変わらず無表情のまま冷ややかにヴァランを見つめる。 「めいれ……を……」 グリュデはヴァランに向かって大きな声ではっきりと告げた。 「ヴァラン、命令だ。今この時をもって、私はおまえのマスター権限を放棄する」 そしてヴァランに背を向け、返事も待たずに部屋を出ていく。 グリュデの最後の命令が、ヴァランの望んだものだったかはわからない。けれど彼の口元が微かに笑ったように見えた。 「……かしこまり……まし……た」 命令を受理して、ヴァランは動かなくなった。彼の開いたままの目から、涙が一筋こぼれた。 |
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