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大人の階段




 二課長からの外泊許可はあっさり下りて、オレはリズと一緒に彼女の家に帰った。
 ダレムからの連絡はない。きっと自分と同じ名前の子猫を介して班長との距離も縮まったことだろう。
 オレはあらかじめ注文してもらっていた食材を使ってシチューを作り、リズと一緒に食べて満足しているところ。
 今日は二回も普通の食事を摂ることができて、バージュモデルの人間らしさに感謝している。
 本当はカレーが食べたいんだけど、今のオレの腕前ではちょっと無理。
 日本では小学生がキャンプで作るくらい初心者向けの定番料理が、クランベールではかなりな上級者向け難易度だったりする。
 というのも、当然ながら放り込むだけの簡単便利なカレールーが市販されてないからだ。
 似たような料理がないか勝手知ったる国立図書館やネットワークを検索してみても、見渡す限りかすりもしない。
 ということは、クランベールにある香辛料や調味料で記憶を頼りに作らなきゃならないということだ。
 なにしろクランベールの香辛料や調味料の味を全部把握しているわけではないので、そこから始めるとなると、トマトケチャップのように簡単ではないと思う。カレーの味に関してはシャスを頼るわけにはいかないし。
 でもちょっと楽しみだ。警察局をお払い箱になったら、日本料理の店でも始めようかな。
 ロボットシェフが作る創作料理の店って話題性はありそうだ。
 まぁ、決められたレシピできっちり同じものをいくつも作るロボットシェフはすでにいるらしいけど。
 デザートのミルクアイスを食べながら、オレがそんなことを考えていると、リズが上機嫌でアイスを讃えた。
「このアイスおーいしー!」
 どうやら少し酔っているようだ。にこにこと笑みをたたえて頬が少し赤くなっている。
 実はアイスに酒がかかっているのだ。これ、オレのとっておきのアイスの食べ方。
 濃厚なバニラアイスに蜜のように甘い酒をかけて食べるとすごくうまいのだ。
 オレのおすすめは貴醸酒(きじょうしゅ)だが、貴腐ワインや甘口のにごり酒でもうまい。
 アイスにブランデーってのはよく聞くけど、ブランデーは香りを付加するのに対して、これは味を付加する。だからアルコールは飛ばしてない。
 というわけでお子さま向けのデザートではない。大人向けのちょっと贅沢なデザートなのだ。
 オレの体は十八歳の未成年設定だが、クランベールでは十八歳から飲酒OKなので、絶対命令に邪魔されることなく酒入りデザートも堪能できる。
 なんかお貴族様たちは早婚で十代から社交界デビューなさるから、宴席で酒を飲めないと様にならないということで、貴族男子の平均結婚年齢十八歳から飲酒解禁になってるらしい。
 まぁ、オレの体は、酒の味はわかるけど、どれだけ飲んでも酔っぱらうことはないんだけどな。
「シーナ、これホントおいしい」
「だろー?」
 上機嫌なリズに釣られて、オレも上機嫌に自慢する。アイスに酒をかけただけだけど。
 てか、テンション高すぎじゃね?
 よく見るとさっきよりリズの目がトロンとしている。慌てて生体反応を確認する。
 やべぇ。結構酔ってる。
「リズ、酒弱かったの?」
「えー? よくわからない。飲んだことないし」
「は? 職場の飲み会とかないの?」
「なに? それ」
 どうやら日本の職場には付き物の「飲み会」がクランベールの職場には存在しないらしい。警察局が特殊なのか、他の企業もそうなのかは不明だけど。
 アルコールデビューだとわかってたら、もっと弱い酒にするんだった。
 ネットの情報でそれっぽい酒を頼んだけど、濃厚な酒は甘くてもアルコール度数が高かったりするのだ。
 オレは席を立ちリズのそばに行って顔をのぞき込んだ。
「ごめん、リズ。酒飲んだことないって知らなかったから、結構強い酒使ってた。体は大丈夫? 気持ち悪いとか頭痛いとかない?」
 リズは一層楽しげに笑いながらオレの腕をポンポン叩く。
「ううん。すっごく楽しくていい気分。うふふ」
 そう言ってオレの腕に自分の腕を絡めて、頭をもたせかけた。
「ふふ。おいしい料理と最高のデザートをありがとう、シーナ。大好きよ」
 相当酔ってるだろ、これ。
 生体情報では完璧に酔ってるし。
「リズ、とりあえず水を飲んで」
「うん」
 オレが差し出したグラスをにこにこしながら受け取って、リズは素直に口にする。
 アイスにかけただけだからひとくちかふたくち分しかなかったはずだけど、こんな見事に酔っぱらうとは。
 グラスの水を飲み干して、リズはトロンとした目でオレを見上げた。なんか色っぽい。
「少し横になってたら?」
 まだ上機嫌なうちに少し眠った方が酒は抜けやすいだろう。そう思って提案したのに、リズは不服そうに口を尖らせる。
「えー? まだ眠くないわよ」
「いいから、あっちのソファで横になってろって。オレ、その間に片づけてくるから」
 続き間になってる隣のリビングにあるソファに目をやって、リズは渋々頷いた。
「わかった。そうする」
 立ち上がった途端に足元がふらついている。強めの酒だったけど、たったふたくち程度でここまで酔うって初アルコールだったからか、元々激弱だったのかはわからないけど、お得だな。
 このままひとりで歩かせても転びそうなので、面倒だから抱き上げる。
 いつもなら照れて暴れると思われるリズが、意外にもクスクス笑いながらオレの首に腕を回してきた。
 それだけで相当酔ってることが伺える。
 リズはクスクス笑いながらオレの耳元で囁いた。
「シーナ、命令よ。パスワード、一生愛してる」
「はぁ!?」
 いったい何の命令?
 困惑するオレの意識をよそに、人工知能が応答した。


 声紋照合。認証一致。
 マスターの命令受理。
 パスワード照合。認証一致。
 性機能システムロック解除。
 ターゲット、レグリーズ=クリネに限定。


 性機能ってもしかしてアレ?
 オレって解脱してたんじゃないのか?
 ターゲット、リズに限定ってことは、リズが相手ならできるってこと?
 えぇっ!? いったいどういう風の吹き回し……って、酔ってるからか。
 でも十八歳設定で大人の階段上っちゃっていいのかなぁ。前世より早いじゃないか。
 そんなことを考えてオレはちょっとドキドキしているのに、リズは命令を終えた途端オレにすがって眠ってしまった。
 当初の予定通り、リズをソファに横たえる。ゴクリと生唾を飲み込んで、気持ちよさそうに眠るリズを、凝視する。いや、生唾でないけど。
 これっていわゆる据え膳? でも目を覚ますまで待った方がいいよな。
 そのままソファの前に座って、リズの寝顔をドキドキしながら見つめる。静かな部屋の中で、自分の鼓動だけがやけにうるさく感じた。
 しばらくしてハタと気づく。
 あれ? こんなに意識してドキドキしているのに、体にも気分にも何の変化も現れない。ロック解除されても解脱したままだけど? いつもと変わりなくちっともムラムラしない。
 そう思った途端、急速に熱が冷めていった。
 オレは大きくため息をついて立ち上がる。
「……後かたづけしてこよう」
 ずっとロックかかってたし、オレが解脱してるからシステムが機能しなくなったんだろう。
 どうせ酔いが醒めたら、リズは近付いただけで真っ赤になって逃げるんだろうし。
 ダイニングテーブルに並んだ食器をまとめてキッチンへ引き上げる。洗浄マシンに洗い物を放り込んでスイッチを押したとき、リビングからリズの悲痛な叫びがこだました。
「あぁぁーっ!」
 オレは慌ててリビングに駆け込む。
「どうした、リズ!」
 体を起こしてソファの上に座り込んだリズは頭を抱えていた。
 身を屈めて顔をのぞき込む。
「頭が痛いの?」
「……うん」
「アルコール分解に効くお茶を淹れようか?」
「ううん。体はもう大丈夫。ただ……」
「ただ?」
「うっかりエロボットのエロ機能ロックを解除してしまったかと思うと……」
「こら、誰がエロボットだ」
 どうやら正気に戻ったようでホッとした。てか、心配して損した。記憶は飛んでないらしい。
 オレは腰に両手を当てて胸を反らしながら不敵に笑う。
「安心しろ。確かにロックは解除されたけど、まったくエロい気分にならないから」
「当たり前じゃない。ロボットに性欲はないって前にも言ったでしょう?」
「へ?」
 思わず間抜けな声を漏らして絶句する。てことは、システムのバグじゃないってこと?
「いったいどうすれば起動するんだ?」
 ひとりごとのように尋ねると、リズはちらりとオレを見上げた後、プイッと顔を背けた。
「教えない」
「なんで? リズが実装した機能だろ?」
「あなただけじゃないわよ。バージュモデルは人間らしさを追求したモデルだからみんな実装してるの。捜査員には必要ない機能だからロックしてたのに」
 へぇ。てことは、ロティもダレムも実装してるんだ。みんなロックがかかってるのかな。
 たとえ利用しないとしても、起動方法がわからないのはもやっとする。
 なにしろシステム領域はオレ自身不可侵領域なのだ。人工知能に起動の指示をすることはできるけど、肝心の起動方法がわからないとなると、指示の出しようもない。
「教えてくれたっていいじゃん。気になるだろ」
「絶対イヤ」
 かたくなに拒絶するリズに少しイラッとする。
 オレは床にひざをつきリズの両肩をつかんで、ソファの背に押さえつけた。
 案の定リズは動揺して真っ赤になる。
「ちょっ……! 放して」
「教えないとキスするよ」
「う……」
 動揺はピークに達してるものの、なんか葛藤してる。
 少し待ったがリズが口を開く気配はない。
「そっか、キスしたいんだね」
「ちがっ……!」
 ゆっくり顔を近づけると、テンパったリズが叫んだ。
「やだーっ! そんな恥ずかしいこと知られたくないーっ!」
 性機能について説明すんのってそんなに恥ずかしいか? 肛門のしわの数がどうとかは平気なのに?
 オレが一瞬考え込んだ隙に、リズは強制終了しようとした。
「シーナ、めいれ……」
 させるかっての。
 すかさずキスで命令を阻止する。案の定リズは暴れたが、少しして観念したようにおとなしくなった。
 押さえつけた腕の力を緩めて、命令阻止から本来のキスに移行する。はじめは抵抗していたリズが次第にぎこちなく応え始めた。それと共に彼女の感情が艶っぽく熱を帯びてくる。
 そしてオレの感情が彼女に同調し始めた。高まる感情にあわせて下腹部に熱が集まってくるのを感じる。
 あ、もしかして性機能システムって……。
 オレがなんとなく察した時、リズが腕をつっぱってオレの体を引き離した。
 顔を真っ赤に染めて、見る見る目に涙があふれる。
「やだ……。こんなの知られたくない……。気付いたでしょ?」
「うん」
 性機能システムはターゲットの性ホルモンの状態や性的感情の高まりが起動の引き金になるようだ。平たく言えば、リズがエッチな気分にならない限り、オレはそんな気分にならないらしい。
 オレはリズの隣に腰掛けて、頭を軽くポンポンと叩く。途端にリズは過剰なほどにビクリと身を震わせてオレから遠ざかった。
「お願い。触らないで」
「え、ごめん」
 恋人におびえられてしまうとは。
 慌てて手を退いたものの、少なからずショックを受けている自分に気付く。
 なにがっついてんだ、オレ。中身まで十八歳の少年になっちまったのか。リズの気持ちを無視して先に進もうとするなんて。
 いや、厳密には気持ちを汲んでシステムが起動したわけだけど、リズは恋愛初心者なんだから配慮が必要だったのだ。オレはシステムに従うだけのただのロボットじゃないんだから。
 しばし沈黙が続く。なんか気まずい。
 せっかくふたりきりなんだから、いちゃいちゃしなくても、もっと楽しく過ごしたい。 それはリズも同じだったようで、幾分落ち着いたのかひとつ息をついて口を開いた。
「ごめんね、シーナ。私が自分でロックを解除したのに、あなたの体がそれに反応しただけなのに」
「いや、先に無理矢理キスしたのはオレだし。もう不用意に触らないから」
「違うの。あなたに触られるのがイヤなわけじゃないの」
「え?」
 リズはまた真っ赤になってうつむく。そして絞り出すようにポツポツと白状し始めた。
「私、欲張りなの。あなたが私を好きだって言ってくれてから、独り占めしたくてしょうがないの。私が提供したけどあなたの体は警察局のものなのに」
 そういえばオレってリズの私物じゃなかった。
「ずっとそばにいたいのに、そばにいるとドキドキして、あなたに触られるとわけがわからないくらいに気持ちが舞い上がっちゃうの」
 そういう感情はだいたい気付いてたけど、なにが恥ずかしいんだろう。
「それだけでもあなたに知られてるのは恥ずかしいのに、ロックが解除されたらあんなことまで……」
 そこで言葉を飲み込んで、リズは一層うつむく。
 あんなこと……?
 黙って待っていると、突然リズは顔を上げて、やけくそのように吐き出した。
「私の体があなたを欲しがってるなんて、恥ずかしすぎて知られたくないわよ!」
 叫んだ後でリズは両手で顔を覆う。
「もう、やだ〜」
 そう言いながら頭を振った。
 そうか、以前にも増して反応が過敏だと思ってたら、照れに恥ずかしさが上乗せされてたからか。
 かわいすぎる!
 オレは思わずリズを抱きしめていた。
「きゃあっ!」
 今度は悲鳴を聞いてもテンション下がらない。リズの鼓動が激しくなってくる。それも嬉しい。
「放して」
「放さない。好きなだけオレにドキドキしてよ。それってリズがオレを好きだって証だろ? オレはすごく嬉しいから、ちっとも恥ずかしいことじゃないよ」
「だって……」
「だから、君がオレを欲しがってるのが嬉しいんだって。ゆっくりでいいから、素直にオレを感じて、もっと欲しがって」
「……エロボット」
「中身人間だからね」
「うん。中身があなたじゃなかったら、こんなに好きにならなかったと思う。大好きよ、シーナ」
「オレも、リズが大好き」
「うん」
 嬉しそうに笑ってリズはオレにしがみついてきた。見上げる栗色の瞳がゆっくりと細められ、やがてまぶたが閉じられる。オレは誘われるままに口づけを落とした。



 それから少しの間、ソファに座ってハーブティを飲みながら他愛のない話をする。
 すっかり酒も抜けた頃、リズがイタズラっぽく笑いながらオレに尋ねた。
「そういえば、ラモットさんのお誘いを断ってよかったの?」
「だって、君の方が先約だったし。お使いの途中で寄り道すると、あの場にいた言い訳が嘘っぽくなるだろ? それに……」
 きょとんと首を傾げたリズの肩を抱き寄せる。
「きゃあっ!」
「班長から恋人とイチャイチャしてろって言われたし」
「そんなこと言われてないでしょ? 都合よく曲解しないで」
 相変わらずリズは真っ赤になって抵抗する。まぁ、理由はわかったからそれもかわいいけど。
 存分にイチャイチャしたことだし、明日も仕事だし、オレは疲れとは無縁だからいいけど、リズはそろそろ休んだ方がいいだろう。
 オレは席を立ってリズを促した。
「リズ、そろそろ休んだ方がいいよ」
「えぇ」
 今度はリズも素直に席を立つ。前回来たときリビングの隅に置きっぱなしになっていた電源ケーブルを手に取ったとき、部屋を出ようとしたリズが振り返った。
「来ないの?」
「え?」
「私の部屋に来ればいいじゃない」
「いいの?」
「うん」
 なんと! やっぱりオレ、今夜大人の階段上っちゃうの!?
 さっきまでパニくるくらい照れてたくせに。いったいどういう風の吹き回し? もう酔ってないと思うけどな。
 でもここはマスターであるリズの意思を尊重して……。
 などと、自分に言い訳をしつつ、オレはドキドキしながら初めてリズの部屋に足を踏み入れた。




 明かりが消えた部屋の中、耳を澄ませばリズの静かな寝息が聞こえてくる。
 以前はオレが一緒の部屋にいると気になって眠れないって言ってたから、ずいぶんと受け入れてもらえたのかな。
 ぼんやりとした薄明かりと静かな駆動音に包まれて、オレは半円柱の装置の中にたたずんでいた。
 あぁ〜、純正の充電器はさすがに充電が早いな〜。
 まぁ、変な期待をしたオレがエロボットだったわけだが。
 幸せそうなリズの寝顔に視線を向けて少し笑ったあと、オレは目を閉じて省電力モードに移行した。



(完)




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