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2.盗難事件




 鏡をくぐって二人が現れたのは、城の大広間だった。
 トムが珍しそうに高い天井を見上げたり、あたりを見回していると、隣にいたトゥーシャが突然声を上げて前につんのめった。
 二人が振り返るとそこには、お人形のようにフリルやレースのいっぱい付いたドレスを着た、見た目はトムと同い年くらいの少女が不機嫌そうな顔をして立っていた。どうやらこの少女がトゥーシャを突き飛ばしたらしい。
 少女の姿を見た途端、トゥーシャは愛想笑いをすると跪いて恭しく頭を下げた。
「これはこれはエルフィーア姫。ご機嫌うるわしゅう」
 トゥーシャが仰々しく挨拶をすると、姫は益々不機嫌そうにトゥーシャの頭を軽くはたいた。
「うるわしく見えるならあんたの目は節穴ね。緊急事態だって言ったでしょ? どうしていつも余計なものを連れてくるのよ。なんなの? この子」
 姫がトムを指差すと、トゥーシャは頭をかきながら立ち上がり、笑顔で答えた。
「多分、救世主」
「ふざけないで! 大方、帰ろうとした時、たまたまそこにいた子をうっかり連れてきただけでしょ?」
 姫がそう言うとトゥーシャは大げさにため息をついた。
「わかってるなら聞かないで下さいよ。……で? 緊急事態ってなんですか?」
 姫は真顔になると腕を組んでトゥーシャを見上げた。
「ルーイドの箱が盗まれたのよ」
 トゥーシャは少し目を見開いたものの、さほど緊急性を感じた風でもなく呑気に問い返した。
「なんでまた、あんなもの。何に使うんだか、何が入ってるんだかわからないのに」
 ルーイドの箱とは五十年前に他界したネコット国の賢者ルーイドが遺した小さな開かずの箱である。
 ルーイド本人の手により複雑な封印の魔法で封じられ、中に何が入っているのか、何に使うのか不明である。
 あまりに厳重に封印されているため、開けてはならない物なのだろうという事で城の地下宝物庫に入れられ、箱の周りには魔法結界を張り巡らせ、宝物庫の入口には常に警備兵が見張りに立っていた。
「城の警備に問題があるんじゃないですか?」
 呑気に問いかけるトゥーシャにエルフィーア姫は苛々して叫ぶ。
「もーっ! 少しは緊張しなさいよ! 盗んだのは魔法使いよ!」
 しかし、トゥーシャは相変わらず平然としている。
「でしょうね。魔法結界を解いて持ち去ってるんだから」
 何を言ってものれんに腕押し状態のトゥーシャに苛ついて姫は彼に責任を押しつける事にした。
「あんたのせいよ! なんでもっと強力でスペシャルな結界を張っておかないのよ!」
 さすがにトゥーシャも面食らって反論する。
「へ?! ぼくがやるまでもないっていうか、ぼくにやって欲しくないっておっしゃったのは姫じゃないですか!」
「だって、あんたの呪文聞きたくないんだもん」
「それは悪うございましたね」
 二人がそれぞれ腕を組んでプイっと顔を背け合った時、ずっと黙って様子を見ていたトムが呆れたように声をかけた。
「……ねぇ、緊急事態じゃなかったの?」
 トムの声に姫は振り返ってトゥーシャを指差した。
「そうなのよ! さっさと取り返して来なさいよ!」
「誰から?! どこから?!」
 トゥーシャが問いかけると姫は後ろで手を組み胸を反らすと意地悪な笑みをたたえて、彼を横目で見上げた。
「盗んだ奴の見当はついているの。当ててごらんなさい」
 今度はトゥーシャの方が苛々しながら問いかける。
「わかりませんよ。教えて下さい」
「少しは考えなさいよ。あの結界を解いて、ルーイドの封印を解ける自信のある魔法使いなんて限られてるでしょ?」
「ぼくじゃありませんよ。ぼくにはアリバイがあります」
 再び押し問答を始めた二人を見かねてトムが口を挟んだ。
「もしかして、エトゥーリオ?」
 二人は同時にトムに注目した。
「なんで、おまえが知ってんの? 姫、本当にエトゥーリオ?」
「そうよ。なんであんたわかったの?」
 二人が不思議そうに尋ねると、トムは得意げな笑顔で答えた。
「ぼく、人の考えてる事わかるの。超能力ってヤツ?」
 トムは人間になった時、ほんの少しだけ超能力が使える。
 それは、ネコの時に持っていた能力が人間の器に入りきらなかったため、付加機能として備わったものだ。
 トムの言葉にエルフィーア姫は目を輝かせた。
「トゥーシャ! 今回はほめてあげる。この子は戦力になるわ! 一緒にエトゥーリオの元からルーイドの箱を取り返してくるのよ!」
 そう言うと姫は呆気にとられた二人に有無も言わせず、衛兵を呼んで二人を城の外に放り出した。
 窓から手を振るエルフィーア姫にトゥーシャがわめく。
「姫! どこへ行けばいいんですか?!」
「闇の宮殿に決まってるでしょ。さっさと行きなさい」
 そう言い捨てると、姫は窓を閉めて城の奥へと姿を消した。
 少しの間、閉じられた窓を眺めていたトゥーシャは諦めたようにため息をつくとつぶやいた。
「……姫はいいよな。城にいて命令してりゃいいんだもの。……エトゥーリオか……イヤな予感がするなぁ」
 項垂れたまま、城に背を向けて歩き始めたトゥーシャの後を追いながらトムが尋ねた。
「ねぇ、エトゥーリオってどんな人?」
 それを聞いてトゥーシャは不思議そうにトムを振り返った。
「へ? おまえ、エトゥーリオを知ってんじゃないの?」
「別に知ってるわけじゃないよ。あのお姫様の頭の中に浮かんで見えただけだもん。そう言いたがってたの」
 トムがそう言うとトゥーシャは驚いたように問いかけた。
「えぇ? 超能力ってその程度? 他には?」
 トムは腕を組んで少し空を見上げて考えた。
「んーと、箱の中身を当てたりとか、スプーンを曲げたりとか」
 トゥーシャは思い切り落胆して肩を落とした。
「戦力としては地味だなぁ〜。人工衛星を地球に落とすくらいの事できるかと思った」
 トムは呆れたように白い目でトゥーシャを見るとため息をついた。
「やった事ないけど、多分できないよ。ってか、そんな事やる意味がわかんないし。勝手に期待して勝手に落ち込まないでよ」
「ま、いいか。元々、ぼくひとりで来るはずだったんだし」
 トゥーシャは嘆息すると、エトゥーリオについて説明した。
 トゥーシャとエトゥーリオは元々ルーイドの弟子で、同じ光の魔法使いとして修行を行っていた。
 エトゥーリオは魔法に関して天才肌で瞬く間にルーイドの知識を吸収し、史上最年少で王室専属魔法使いに名を連ねる事が決まった矢先に、闇の導師の勧誘にあっさり乗って闇に転向。しばらくしてトゥーシャが再会した時には闇の一族の最高位者になっていた。
 闇の一族とは別に人外の者ではない。世の中や歴史の表には出ない闇の部分に関わる者たちの事だ。中には人外の者もいるらしいし、魔物を使役する者もいるとか、いないとか、詳しい事は闇に秘されていて世間には知られていない。
 何がエトゥーリオを闇に向かわせたのかは謎だが、トゥーシャの見解では元々自信家で自分本位なエトゥーリオは王室に使役されるのがイヤだったのだろうと言う。
 光の魔法の大半を習得後に闇に転向したエトゥーリオは使える魔法のバリエーションでトゥーシャを遙かに上回る。魔法使いとしてはかなりな上級者だ。
 ただし、彼の性格には多分に問題があった。
「ま、わかりやすく言えば、エトゥーリオは悪〜い魔法使いなの。ちなみにぼくは、よい魔法使いのお兄さん」
 そう言ってトゥーシャは自分を指差すとトムの頭をなでながら笑顔を向けた。
 トムはうるさそうにトゥーシャの手をはねのけると、探るように彼の目を見つめた。
「ふーん。でも、その悪い魔法使いに苦い思い出があるみたいだね」
 トムの言葉にギクリとして、思わずうろたえたトゥーシャの脳裏をエトゥーリオとの苦い思い出が走馬灯のように駆け巡った。
 ヤバイと思って意識にフタをしようとした時にはすでに遅かった。トムがトゥーシャを指差して思い切り笑い始めた。
「おまえ! ぼくの頭の中のぞいたね?!」
 トゥーシャが拳を握り、真っ赤になって怒鳴ると、トムは笑いをこらえながら涙目で彼を見上げた。
「だって、興味あるもん、他人の過去って。でも、あんたの傑作。ファーストキスの相手が男だなんて。しかも結構最近? エトゥーリオってゲイなの?」
 トゥーシャはひとつため息をつく。
「違うと思う。あいつは普段ものぐさなくせに、ぼくの嫌がる事をするのにはどんな労力も嫌悪感も厭わないやつなんだ。それに、どっちかっていうとロリコン。王室の大臣達の言う事は聞かないくせに、エルフィーア姫の言う事は聞くし。姫に求婚した事もある。どこまで本気なのかは不明だけどね。案外、ぼくに対する嫌がらせの一環かもしれない」
 トゥーシャが不愉快そうに顔をしかめると、トムは対照的に楽しそうに目を輝かせる。
「なんか、かなり個性的な人だね。会うのが楽しみ」
「そのセリフ、あいつと会ったら後悔するぞ」
 そう言いながらトゥーシャがトムの顔を覗き込んで身を屈めたと同時に、今まで彼の頭があった場所を矢が通過して横の木の幹に突き刺さった。
 トムが悲鳴を上げ、トゥーシャはトムが見つめる視線の先にゆっくりと頭を向けると冷や汗を流して固まった。
 少しして、トムが木に刺さった矢を指差した。
「手紙がついてるよ」
 トゥーシャは気を取り直して矢を引き抜くと結びつけられた手紙を広げた。
 それは噂のエトゥーリオからのものだった。


――前略。君に言っておきたい事がある。大切なのは愛だ。
 そういうわけで、トゥーシャ、貴様に話がある。案内をよこすのでおとなしくついて来い。
 早々に闇の宮殿に来るように。 草々――


 手紙を読み終わるとトゥーシャはガックリ肩を落とした。
「意味がわからない……。それよりもあいつ、ぼくを殺すつもりか?」
 トゥーシャが大きくため息をつくと、矢と手紙が黒煙を上げて消滅し、頭上三十センチくらいのところに光球が現れて、導くようにゆっくりと闇の宮殿の方角へ向かって移動し始めた。
「どうやら案内ってのはこれのことらしい。ついて行ってみるか」
 二人は光の球の後について闇の宮殿に向かって歩き始めた。
「案内があれば少しは楽にたどり着けるだろう」
「いつもは楽じゃないの?」
 光の球にちょっかいを出しながらトムが問いかける。
 トムが手を伸ばすと光球はそれをよけるように、ひょいと浮かんだり沈んだりする。それがおもしろくてトムは再び手を伸ばす。
「いつもはRPGのダンジョン並に面倒なんだよ」
「でも、魔法でパッと解決しちゃえばいいんじゃないの?」
 飽きもせず光の球とじゃれ合っているトムを横目にトゥーシャは嘆息する。
「ぼくは、あそこじゃ魔法が使えないんだ」
 人間の使う魔法は術者の持つ魔力を呪文によって媒体と融合させて完成する。融合させる媒体によって完成する魔法の性質は決まる。光の媒体を使えば光の魔法、闇の媒体を使えば闇の魔法といった具合である。
 エトゥーリオのいる闇の宮殿は深い森の中にあり、エトゥーリオが支配するずっと以前から闇の力が満ちていて、日々様相を変化させていた。
 おまけにエトゥーリオによって至る所に罠や仕掛けが施され、無防備に入り込むとあっという間に迷子になってしまう。
 光の魔法を得意とするトゥーシャは闇の力に支配された場所では、ほとんど魔法が使えないのだった。
「ふーん。魔法って案外万能でもないんだね。ところで、さっきの矢はどこから飛んできたの?」
 トムは相変わらず光の球に夢中である。トゥーシャは腕を組んで苦々しげに顔をゆがめる。
「魔法で飛ばしたに決まってる。今も宮殿の大広間でふんぞり返ってぼくらの事を眺めてるんだ。そう思ったらだんだんムカついてきた。ほら、遊んでないでさっさと行くぞ」
 トゥーシャがトムを急かしてピッチを上げると、それに合わせて光の球も二人の前方へ速度を速めながら躍り出た。
 そのまま二人は光の球を追って、闇の宮殿のある森へ歩を進めた。




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