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3.闇の宮殿




 光の球に案内されて、トムとトゥーシャは何の妨害にも遭わず、意外なほどあっさりと闇の宮殿にたどり着いた。
 光の球が通過すると自動的に門が開く。二人は門をくぐり、前庭を通り抜け、宮殿の入口に当たる大きな扉の前までやって来た。光の球は二人をそこまで案内すると、シャボン玉のようにはじけて消えた。
 トゥーシャが扉に手を伸ばすと、触れる寸前に扉が軋むような音を立ててゆっくりと内側へ開いた。二人が宮殿内に入り数歩進むと、今度は扉がゆっくりと閉じられ辺りは闇に包まれた。
 程なくフロアの片隅に灯りが点った。トムが楽しそうに灯りに駆け寄り、トゥーシャもその後を追う。
 その場所から延びる石の階段に沿って、二人を導くように次々に灯りが点る。灯りに導かれ、長い石の階段と回廊を通り、たどり着いた大広間の扉がゆっくりと開いた。
 薄暗い部屋の中央には、ぼんやりと輝く巨大な水晶玉が鎮座し、その横には金髪碧眼の美しい青年が立っていた。エトゥーリオその人である。
 トムとトゥーシャが部屋の中に入ると、背後でゆっくりと扉が閉じられた。
 エトゥーリオはトゥーシャを見つめて静かに微笑んだ。
「久しぶりだな、トゥーシャ。会いたかったぞ」
 そう言うとエトゥーリオはトゥーシャに向かって右手を差し出した。
 トゥーシャは動かず、まっすぐに彼を睨みつける。
「何を企んでる? おまえ今までルーイドの箱なんか見向きもしなかったじゃないか。わざわざぼくを呼び寄せて一体何の用だ」
 エトゥーリオは空振りに終わった右手を腰に当てると、おどけた仕草で首を傾げた。
「心外だな。旧知の友に久しぶりに会いたいと思ってはいけないのか?」
「だったら、ルーイドの箱は関係ないだろ!」
「貴様は普通に呼んでも来ないだろう」
「あたりまえだ! 誰がおまえにからかわれるためにわざわざ来るか! 箱を返せ! 帰る!」
 トゥーシャが怒鳴りながら手を差し出すと、エトゥーリオは薄笑いを浮かべてキッパリと言った。
「断る。何のために貴様を呼んだと思ってるんだ」
「やっぱり企んでたんじゃないか!」
 トゥーシャが指差すとエトゥーリオは少し意外そうに目を見開いた。
「貴様、ルーイドの箱の噂を知らないのか?」
「知るわけないだろう」
「そういえば、辺境の地に出向してるんだったな」
 エトゥーリオの言う噂とは、近頃ネコット国で誰からともなく囁かれるようになったルーイドの箱の中身である。根拠はわからないが、中に何でも願いを叶えてくれる魔物が入っているというのだ。
 エトゥーリオとしては、叶えてもらいたい願いがあるわけでもなく、第一魔物が入っているという事自体信じてはいなかったが、だとするといったい何が入っているのか俄然興味が湧いてきた。
「で? 開けたのか?」
 トゥーシャが尋ねると、エトゥーリオは小さな箱の上蓋部分を彼に向けて突き出した。
 そこに書かれている文字をトゥーシャが声に出して読み上げる。
「……汝、この箱の封印を解くなかれ――って、まさかそれで開けてないのか? おまえがルーイド様の言う事聞くなんて薄気味悪いぞ」
 トゥーシャが眉をひそめると、エトゥーリオは不愉快そうに言う。
「バカか貴様は。昔から開けるなという物を開けると、ろくな事がないと相場は決まっている。もしも、開けて古代から封じ込められてた精霊でも出てきてみろ」
 トゥーシャは額に手を当て大きくため息をつく。
「おまえこそバカだろう。この箱が封印されたのは、たかだか五十年前だぞ。どうやったら古代の精霊が入るんだよ」
「とにかく! 私は封印を解かない。貴様が解くんだ」
「なんで、ぼくが?!」
「もしも、変な物が出てきて世界が混乱の渦に巻き込まれても、私は責任を逃れる事ができる」
 当然だと言わんばかりにしれっと言い放つエトゥーリオをトゥーシャは睨みつけた。
「そんな事言われて、誰が解くもんか!」
 黙って睨み合った二人に、それまで彼らのやり取りには全く興味を示さず、部屋の中を珍しそうに眺め回していたトムが突然口を挟んだ。
「ねぇ、関係ない事聞いていい? ルーイドって箱を封印した後、長く生きてたの?」
 トムの素朴な疑問にトゥーシャが答える。
「いや、亡くなる数ヶ月前だったはずだ。封印したのは」
 それを聞いてトムは激しく驚いた。
「え――――っ?! 封印されたのは五十年も前なんだよね?! ルーイドの弟子だったって事は二人とも五十才以上なの?!」
 トムの目には二人とも二十代前半に見える。
 トムの驚きに納得してトゥーシャは少し笑った。
「あぁ、それか。あっちとは時間の流れが違うんだよ。エルフィーア姫は九十三才。そこの性悪は五百年以上生きてる」
 親指を立ててトゥーシャがエトゥーリオを指すと彼は不愉快そうに眉を寄せ、腕を組んで言い返した。
「誰が性悪だ。貴様とて私と大差ない年だろう」
 トムは目を丸くして絶句すると、しばらくの間何度も二人を交互に眺めた。少しして再びトムが尋ねた。
「もう一つ聞いてもいい? トゥーシャが光の魔法使いでエトゥーリオが闇の魔法使いなんだよね?」
「そうだけど?」
 トゥーシャが頷くとトムはまたしても二人を交互に見つめて率直な意見を述べた。
「なんか見た目、逆な気がするんだけど」
 光のトゥーシャは闇を集めたような黒髪に黒い瞳で平凡な容姿。一方闇のエトゥーリオは光を集めたような金の髪に碧い瞳で整った華やかな容姿をしている。見た目は確かにトムの言う通り逆である。
 もっとも、エトゥーリオは闇の一族を統べる立場にありながら、元々光の魔法使いだったので光の魔法も操る事はできるのだが。
 トムの言葉にエトゥーリオは声を上げて笑い、
「なかなか正直だな、少年。ついでにいい事を教えてやろう。こっちへ来い」
と言うと手招いた。
「え? 何?」
 トムは好奇心に駆られ、エトゥーリオに向かってかけだした。
 その姿を見つめるエトゥーリオの口の端が微かに持ち上げられたのを見て、トゥーシャはトムに向かって手を伸ばした。
「行くな、トム!」
「え?」
 無情にもトゥーシャの手をあと少しところですり抜けたトムが、振り返りながら惰性で踏み出したその足元に魔法陣が浮かび上がった。
 トムは悲鳴を上げてその場に硬直した。
「動けないだろう、少年。貴様も動くな、トゥーシャ」
そう言って、駆け寄ろうとしたトゥーシャを制し、エトゥーリオはゆっくりとトムに歩み寄り、両肩に手をかけた。
「なんなの? これ」
 トムが不安げな顔でエトゥーリオを見上げて問いかけると、エトゥーリオは微笑んで答えた。
「これか? 限定一名様の動きを封じる魔法陣だ」
 そして、トムの身体を反転させ、トムの目線に合わせて腰を屈めるとトゥーシャを指差し、耳元で告げた。
「さぁ、あいつに箱の封印を解くよう説得するんだ。でないと、おまえの命はないぞ」
 反応を窺うようにエトゥーリオが見つめると、トゥーシャはそれを睨み返した。
「そんな脅しには乗らない! ぼくは箱を持って帰るのが使命なんだ。封印を解く気はない!」
 トゥーシャが宣言すると、エトゥーリオはトムの両肩を軽く叩いた。トムが驚いて小さな声を上げる。
「脅しだと思っているのか。なるほど」
 トムは動きを封じられてからずっと、エトゥーリオの思惑を読み取ろうと懸命になっていた。ところが、一瞬彼の意識に触れた途端、感付かれてしまったのか霞がかかったように何も見えなくなってしまったのだ。
 今もエトゥーリオが本気なのか脅しなのか一向にわからない。それが益々トムの恐怖心を煽っていた。
 エトゥーリオはトムの顔を後ろから肩越しに覗き込みながら、ゆっくりと目を細め、口元に冷たい笑みを浮かべた。そして、耳元で囁く。
「悪く思うな、少年。恨むならトゥーシャを恨め」
 トムの肩に添えられたエトゥーリオの手が首に向かって滑っていく。彼のしなやかな指先が首筋に触れた時、そこから伝わった意識に、トムは恐怖の涙を浮かべて悲痛な叫び声を上げた。
「トゥーシャ! この人本気だよ! お願い、助けて!」
 すがるような目でトムに見つめられ、トゥーシャは苦渋の表情で歯噛みした。眉間にしわを寄せると、絞り出すように承諾の意を示す。
「……わかった。封印を解く。だから、トムは解放しろ……」
 エトゥーリオは一層目を細め、
「最初から素直にそう言えばいいものを」
と言い、トムの背中を軽く叩いた。
 途端に身体の自由を取り戻したトムは、急いでトゥーシャの後ろへ駆け込んだ。
 背中にしがみついたトムをチラリと見て、安堵のため息を漏らすとトゥーシャはエトゥーリオに問いかけた。
「封印を解くのはいいけど、ぼくはここじゃ魔法が使えない。どうするつもりだ?」
「案ずるな。貴様のために特別に用意してある」
 エトゥーリオが手を伸ばして指を鳴らすと、トゥーシャの右斜め前に魔法陣が現れた。
「その中では闇の因子は干渉できない。私が特別にあつらえた光の空間だ。ただし、魔法の影響力もその中だけだ」
 トゥーシャはエトゥーリオを横目で見ながら魔法陣に歩み寄った。
「用意周到なことで。トムみたいに金縛りに遭ったりしないだろうな?」
 トゥーシャが尋ねるとエトゥーリオはイタズラっぽい笑みを浮かべる。
「お望みとあらば、オプションとして追加してもいいが?」
「しなくていい」
 トゥーシャはため息と共に魔法陣の中に足を踏み入れた。
 トムは興味深そうに側まで駆け寄ったが、先ほどの事があるので少し離れたところから中を珍しそうにながめた。




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