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7.眠れる姫君




 しばらくの間、例のごとくトゥーシャを先頭に三人は暗闇の中をゆっくりと進んだ。入口の扉が見えなくなるほど進んだところで、狭い廊下は再び扉に突き当たった。トゥーシャが振り返ってエトゥーリオに問う。
「どっちに行く?」
「前に行くしかないだろう」
 エトゥーリオが当然の事を聞くなと言わんばかりに憮然として答えると、トゥーシャは光の球を移動させながら左手を指差した。
「この下に階段があるんだ」
 トムとエトゥーリオが覗き込むと、左手に狭い階段が地下の暗闇に向かって消えていた。
「ぼくとしては、地下の方がお勧めなんだけど」
 トゥーシャが笑顔で提案すると、エトゥーリオは不敵に笑う。
「バカを言うな。正面の扉に決まってるだろう」
 トゥーシャは笑顔のままで軽く両手を広げながら、ゆっくりと扉の前に移動して立ち塞がる。
「いやぁ、ここラスボスの部屋だし。こういう時は、周りを全部調べて最強の武器とか手に入れた後で挑むのが筋だから」
「何をゴチャゴチャと訳のわからない事を言っている! そこをどけ!」
 苛々したようにそう言うと、エトゥーリオは扉の前からトゥーシャを押し退けた。そして、振り向いてトムを手招く。
「少年、おまえの出番だ」
「え? ぼく?」
 呼ばれてトムは、訳もわからないままエトゥーリオの側へ行く。
 エトゥーリオはトムの肩に手をかけ、目の前の扉を指差した。
「中を透視しろ。何が見える?」
 トムは言われた通りに、部屋の内側に意識を集中した。
「……ベッドがある。……部屋の真ん中……。あ! 見て! 女の子が寝てる! あれがシルタ姫じゃないの?!」
 トムがエトゥーリオの腕を激しく叩きながら興奮したように言うと、エトゥーリオは冷めた目でトムを見下ろした。
「無茶を言うな。見えるわけがないだろう。だが、この部屋で間違いなさそうだな」
 エトゥーリオは意味ありげな笑みをたたえてトゥーシャを見つめた。トゥーシャは無言でその目を見つめ返し、ひとつ嘆息する。
 トゥーシャが目の前の扉よりも地下を推したのには理由がある。エトゥーリオもそれに気付いていたのだろう。
 城の中に入った時に感じた相反する力。目の前の扉からは強い闇、そして、地下の暗闇からは強い光を感じたのだ。強い闇の力に支配された部屋の中で眠っているシルタ姫は、やはりただ者ではないのだろう。
 扉には何の仕掛けも施されていないようだ。エトゥーリオは扉を開けて部屋の中へ入った。
 窓にカーテンが引かれた薄暗い部屋の中央には、トムが言ったように天蓋付きのベッドがひとつあった。その上には少女が一人眠っている。
 トムがエトゥーリオの後ろから部屋に駆け込み、ベッドの側まで行くと、眠っている少女の顔を覗き込んだ。その後に続いてトゥーシャも渋々、部屋に入った。
 二人の魔法使いたちもゆっくりとベッドに歩み寄ると、トムの後ろから眠っている少女を見つめた。
 トムと同じチョコレート色の髪に透けるような白い肌、バラ色の唇。まつげの長い瞳は閉じられているものの、目の前で静かに眠る少女は紛れもなく肖像画のシルタ姫である。
 エトゥーリオはシルタ姫を見つめて嬉しそうに目を細めた。
「本物の方がかわいいじゃないか。寝顔もいいが、目を開けたらもっとかわいいだろうな」
 横からトゥーシャがエトゥーリオの後頭部を軽くはたく。
「このロリコン! どうやって姫を起こすつもりだよ」
「そりゃあ、もちろん王子様のキスだろう」
 エトゥーリオが笑顔で答えた時、トムがベッドの上に這い上がり四つん這いになって姫の側まで近付いた。
「本当に眠ってるだけ? 生きてるの?」
 そう言いながらトムは、無遠慮に至近距離でシルタ姫の顔をしげしげと眺める。
「こら! 何をしている」
 エトゥーリオがトムの足を引っ張った。体勢を崩したトムがシルタ姫の上に倒れ込む。その時、トムの唇がシルタ姫の唇に重なった。
 それを見てエトゥーリオは慌てて手を離した。
 トムはベッドの上に座り込むと、振り返ってエトゥーリオを睨んだ。
「何すんだよ!」
「だまれ、小僧! 姫の可憐な唇を汚しやがって!」
 エトゥーリオが叫んだと同時に、トムは首を押さえてわめいた。
「いたーい! エトゥーリオが引っ張るからじゃないかぁ!」
「うるさい!」
 怒鳴るエトゥーリオの肩をトゥーシャが叩いた。
「おい……」
 エトゥーリオはトゥーシャを見た後、彼の視線の先に目を移した。
 見ると、首を押さえてうずくまるトムの横で、シルタ姫が目を開いてぼんやりと天井を見つめていた。
 驚いたエトゥーリオがトムを痛めつける力を消したため、トムは身体を起こし、ホッと息をついて首をなでた。
 シルタ姫はゆっくりと首を巡らせ、肖像画と同じ緑がかった琥珀色の瞳で横にいるトムに目を止めると身体を起こした。それに気がついたトムがシルタ姫の方を向く。
「あ、起きた」
 シルタ姫はにっこり笑うと、トムに抱きついた。
「セルダ、戻ってきてくれたのね」
「え? セルダって何? ぼくトムだよ」
「ずっと、会いたかったの」
「だから、何の事?」
 トムはシルタ姫から逃れようともがくが、姫がきつく抱きしめていて逃れられない。
 困ったトムは二人の魔法使いの方を向いて助けを求めた。
「ねぇ、この子変だよ。なんとかしてよ」
「何を言うか、無礼な! さっさと姫から離れろ!」
 エトゥーリオが怒鳴ると、トムは身体に巻き付いた姫の手を押さえながら困ったように訴える。
「そんなの姫に言ってよ」
 エトゥーリオがベッドにひざを乗せてトムに手を伸ばすと、それまで全くこちらを見向きもしなかったシルタ姫がエトゥーリオを睨んで声を上げた。
「触らないで! セルダは私のものよ! 誰にも渡さない!」
 シルタ姫の周りで闇の気配が色濃くなった。それまで混乱して姫の心を読めずにいたトムは、その時初めて闇に閉ざされた彼女の心に触れ、恐怖に身をすくませた。
「……やだ……怖い……!」
 泣きそうな顔のトムをチラリと見た後、エトゥーリオはシルタ姫をまっすぐ見つめて静かに言った。
「そいつは君の言うセルダじゃない。ただのネコだ。そいつも嫌がってるだろう。だから、手を離せ」
 エトゥーリオにしては考えられないくらい下手に出ているのを見て、トゥーシャは少し驚いた。だが、そんな事情を知らないシルタ姫は、益々トムをきつく抱きしめるとエトゥーリオに対して敵意を露わにする。
「近寄らないで! 出てって!」
 エトゥーリオは黙ってベッドから下りると、少し眉を寄せてシルタ姫を見つめた。
 シルタ姫の周りで一層闇が濃くなった。その気配を感じたのかトムが怯えたように小さな声を上げると、すがるような目でトゥーシャとエトゥーリオを交互に見つめる。
 トゥーシャがエトゥーリオの肩を叩くと、あごをしゃくって外へと促した。エトゥーリオは珍しく黙ってトゥーシャに従った。
 そろって部屋を出ようとする二人にトムが泣きそうな声を上げる。
「どこに行くの?! 置いてかないで!」
 トゥーシャは笑顔でトムを振り返り、エトゥーリオを指差した。
「こいつが嫌われてるみたいだから追い出してくる。すぐ戻るから、それまで姫の相手をしててくれよ」
「やだ! ぼくも行く!」
 トムは焦ってシルタ姫を振りほどこうとしたが、身体に力が入らない。
「すぐ戻るから」
 トゥーシャは笑顔でもう一度言うと、エトゥーリオの背中を押して部屋の外へ出た。
 後ろ手に扉を閉めると、トゥーシャはエトゥーリオを睨んだ。
「だから、ラスボスの部屋は最後だって言っただろう」
「貴様の言う事は意味がわからない。だが、あの尋常ではない闇の正体はわかる」
 エトゥーリオが憮然としてそう言うと、トゥーシャは感心したように少し目を見開いた。
「へぇ、さすが闇の最高位。で、何?」
「呪いだ。しかもかなり古い。シルタ姫の言動がおかしいのは呪いに操られているからかもしれない。まぁ、単に正気を失っているだけかもしれないがな」
 それを聞いてトゥーシャは難しい顔をしてうなった。
「やっぱ、面倒な事になったなぁ。とりあえずルーイド様が何か対策になるものを遺してるかもしれないから、この下に行ってみよう」
 トゥーシャが頭上に光の球を掲げながら、地下へと延びる細い階段を下り始めると、その後について進みながらエトゥーリオが他人事のように呑気に告げた。
「少年を助けたいなら、少し急いだ方がいいぞ。そんなに長くはもたない」
「げっ! 先に言えよ!」
 トゥーシャは少しエトゥーリオを振り返った後、トラップの確認もそっちのけで慌てて階段を駆け下りた。




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