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10.Good Night




 ルーイドの長い昔話が終わった。
 感極まって涙ぐむルーイドとトゥーシャを冷ややかに見つめてエトゥーリオが口を開いた。
「お涙頂戴の昔話は、もう終わったか? 大方の予想はついているが、私に何をさせようというつもりだ」
 ルーイドは静かに微笑むとエトゥーリオに問いかけた。
「エト、還元の呪文を覚えておるか?」
「光の上級魔法か……」
 還元の呪文は、地、水、火、風、光、闇、全ての属性の魔力を無に帰する光の上級魔法のひとつである。エトゥーリオもルーイドの元を立ち去る少し前に、修得している。
「まさか、私に還元の呪文を使えと言うつもりじゃないだろうな」
 エトゥーリオが眉をひそめて見据えると、ルーイドはにっこり笑った。
「察しがいいな。そのつもりじゃ」
「断る!」
 エトゥーリオは間髪入れずに拒否した。
「光の魔法使いならトゥーシャがいるではないか! トゥーシャにやらせろ!」
 鏡の中のルーイドはチラリとトゥーシャに視線を送った後、目を伏せて深くため息をついた。
「わしも、そうしたいのは山々なんじゃが、トシの歌では姫が永眠につくどころか、発狂してしまいかねんのでな」
「それは言えているな」
 納得して頷くエトゥーリオの横でトゥーシャがガックリ肩を落とした。
「……ひどいです。ルーイド様……」
 ルーイドはトゥーシャの言葉は無視してエトゥーリオを急かした。
「納得したなら、さっさと上へ行け。わしの描いた魔法陣がまだあるはずじゃ。おまえたちなら見えるじゃろう。久しぶりにおまえのきれいなボーイソプラノが聴けるかと思うと楽しみじゃのう」
 楽しそうに目を細めるルーイドに顔を近づけると、エトゥーリオは意地悪く笑った。
「残念だったな。ボーイソプラノはもう出ない」
「テノールでもバリトンでもよいぞ。おまえの歌はきれいじゃからのう」
「だから、断ると言ってるだろう!」
 苛々したように怒鳴るエトゥーリオをルーイドはからかうように指差した。
「やけに嫌がるが、まさか、たった三百年かそこいらで、呪文を忘れてしまったとか言うんじゃないだろうな。魔法の天才児とか言われてチヤホヤされておったが、所詮はその程度のヤツじゃったか。情けないのう」
 わざとらしく大きなため息をつくルーイドを見て、エトゥーリオはルーイドの映った鏡を両手で掴むとガタガタ揺らした。
「貴様、それ以上愚弄すると、引導を渡してやるぞ」
 ルーイドは臆することなく、涼しい顔でエトゥーリオに言い放った。
「忘れたのではないのなら、証明してみせよ。でないと、闇の最高位は口ほどにもない奴だと言いふらして回るぞ。わしは霊体じゃから、どこにでも行けるしの」
 エトゥーリオは絶句して動きを止めると、鏡から手を離し、ルーイドを睨んで指差した。
「いいだろう。そこから出られるなら、ついて来い。完璧な魔法を見せてやる」
 まんまとルーイドの挑発に乗せられたエトゥーリオは鏡に背を向けると扉へ向かった。
 ルーイドはトゥーシャと顔を見合わせて笑みを交わすと、彼を手招いて耳打ちした。
「実はここから出られんのじゃ。連れて行ってくれ」
「えぇ?」
 トゥーシャは呆れたようにルーイドを見つめると、鏡を持ち上げて小脇に抱えた。扉へ向かおうとするトゥーシャをルーイドは呼び止めた。
「トシ、そこの箱を持って行け」
 ルーイドの指差した、鏡の立ててあった床の上には小さな箱が置いてあった。
「万が一の時のために、エトにやろうかと思ったが、あの様子じゃ必要なさそうじゃしな。おまえの仲間に使うとよい。死んでさえいなければ、それで回復するはずじゃ」
 トゥーシャは箱を拾い上げると急いでエトゥーリオの後を追った。
 トゥーシャが追いつくと、エトゥーリオは扉をくぐり抜け、ゆっくりと階段を上がり始めていた。横から覗き込むと稀に見る真剣な表情で、何やら考えを巡らせているようだ。
「おい、少し急ごう」
 トゥーシャが声をかけるとエトゥーリオは目もくれず、片手を挙げて制した。
「少し黙ってろ」
 仕方なく引き下がると、トゥーシャは鏡を少し傾けてルーイドを見た。ルーイドは何も言わず満足そうにニコニコ笑っている。
 聞いても教えてもらえそうにないので、トゥーシャは気になっていた別の事を聞いてみた。
「ルーイド様、途中の扉のキーワードって、なんで『This is a Pen』なんですか?」
「おまえのくれた英語の教科書の一番最初に載っておったからじゃ」
「……意味はないんですね。でも、エトゥーリオに英語はわかりませんよ」
 そう言ってトゥーシャがため息をつくとルーイドは事も無げに言う。
「そんな事はわかっておる。じゃが、エトは昔からズル賢いからの。面倒な事や危険な事は必ずおまえにやらせてたじゃろう。おまえを連れてくる事くらい計算済みじゃ」
「……なるほど」
 年の功と言うべきか、自分が都合よく振り回されているエトゥーリオよりも、一枚上手なルーイドの計算高さにトゥーシャは脱帽した。
 自分にその半分でもしたたかさがあるなら、ここまでエトゥーリオのいいように利用される事もないのだろうにと思うと、思わず大きなため息が出た。
「そういえば、還元の呪文にも英語が混ざってますよね」
 トゥーシャが思い出したように問いかけると、ルーイドは楽しそうに笑った。
「あの頃は気に入っておったからの。おまえたちに教えたのは改訂版じゃ」
 ルーイドは時々、呪文の言葉を改訂していたらしい。
「でも、なんでラブソングっぽいんですか?」
「その方が覚えやすいじゃろう。小難しい言葉を並べても覚えられんし、舌を噛んでは失敗するだけじゃ。言葉は時代によって変わるもの。その時代に合ったわかりやすい言葉で呪文も改訂するべきじゃ。まぁ、多分にわしの趣味が反映されとるがな」
 そう言うとルーイドは声を上げて笑った。
 その時、考え込んでいたエトゥーリオが突然声を上げた。
「よし。さっさと片付けるぞ。じじい! めん玉ひん剥いて、しっかり見てろ!」
 振り向きもせず高らかに宣言すると、エトゥーリオは早足で階段を上がり、シルタ姫の部屋の前に立った。
 扉に手をかけようとしたエトゥーリオが、一瞬ためらうように動きを止めた。その間に側まで来ていたトゥーシャが怪訝な表情でエトゥーリオを見た後、扉の方へ注意を向けた。
 中から微かにシルタ姫の笑い声が聞こえてくる。
 エトゥーリオは一気に扉を開け放つと、部屋の中へ踏み込んだ。鏡をかかえたトゥーシャも後に続く。
 見るとベッドの上に座ったシルタ姫は、気を失ってぐったりとしたトムを抱きしめ、クスクスと楽しそうに笑いながら何かを話しかけていた。
 エトゥーリオはベッドに向かって歩き始めると、ついて来ようとするトゥーシャを制した。
「来るな。貴様はその辺でじじいと共に結界でも張って眺めてろ」
 そう言うと、大股でベッドに歩み寄っていった。トゥーシャはベッドの向こう側の床に普通には見えない魔法陣を見て取ると、それがよく見える場所まで進んで立ち止まり、かかえていた鏡を自分の前に立てた。
 鏡の中のルーイドは黙ってエトゥーリオとシルタ姫をじっと見つめた。
 近付いて来たエトゥーリオに気付くと、シルタ姫は再び敵意を露わにした。トムを抱き寄せエトゥーリオを睨む。
「来ないで! セルダは渡さないって言ったはずよ!」
 シルタ姫が乱暴に引き寄せたので、トムが苦しそうに少しだけうめき声を上げた。トムがまだ無事だった事に気付いてトゥーシャはホッと胸をなで下ろした。
 エトゥーリオは先ほど話しかけた時より幾分強い口調で、シルタ姫に語りかけた。
「いいかげんに目を覚ませ。そいつがセルダでない事は君にもわかっているだろう。眠っている間に全部忘れたのか? 自分のしでかした事を。君は国をひとつ滅ぼしたんだ。昔の事は忘れて、また同じ事をするつもりか?」
 エトゥーリオの辛辣な言葉にシルタ姫が全身をピクリと震わせた。抱きしめているトムに視線を移すと、腕の力を抜いた。そして、ゆっくりと顔を上げエトゥーリオをまっすぐ見つめた。
 見開かれた大きな瞳から涙があふれ、頬を伝う。
「……どうして私、生きてるの?……殺してって言ったのに……」
 エトゥーリオは口の端に笑みを浮かべると、ベッドに片ひざをついてシルタ姫に右手を差し出した。
「来い。私が呪縛から解き放ってやる」
 シルタ姫はトムから離れると、ひざ立ちでエトゥーリオに歩み寄りその手を握った。エトゥーリオはシルタ姫の手を引いてベッドから下ろすと、そのままルーイドの魔法陣へ誘導した。
 二人が足を踏み入れると魔法陣が光を発して姿を現した。
 シルタ姫は驚いたように少し足元を見つめた後、エトゥーリオを見上げて淡く微笑んだ。エトゥーリオも少し微笑み返すと、そっとシルタ姫を抱き寄せ目を伏せた。
 そして、話す時よりかなり高い澄んだテノールで還元の呪文を静かに歌い始めた。


   Good Night  泣かずにおやすみ
   夜が君を包んでくれるから
   Good Night  目を閉じてごらん
   明日になるまで もうすぐだから
     今は悲しみ抑えきれないなら
     時間(とき)を止めてあげる
     だから  Good Night
     目を閉じて おやすみ


   Good Night  森の木々たちが
   君のために歌う子守歌
   Good Night  聞こえるだろう
   明日になれば きっと変わるから
     今はすべて ぼくに預けてごらん
     時間(とき)を止めてあげる
     だから  Good Night
     目を閉じて おやすみ

     だから  Good Night
     目を閉じて お・や・す・み


 歌が終わると、シルタ姫の全身から力が抜け、ぐったりとエトゥーリオにもたれかかった。
 エトゥーリオは姫の身体を抱きかかえながら、得意げな表情で鏡の中のルーイドに視線を送った。
 ルーイドは静かに微笑んで小さく拍手した。
「完璧じゃ。おまえに託してよかった」
 ルーイドが顔をクシャクシャにして一層微笑むと同時に、鏡に亀裂が走った。
 トゥーシャが反射的に覗き込むと、鏡は粉々に砕け散った。
「ルーイド様!」
 トゥーシャは鏡の外枠を放り出し、砕け散った鏡の前にひざをついて覗き込んだ。辺りを見回したが、ルーイドの気配は感じられない。
 ぐったりとしたシルタ姫を抱き上げてエトゥーリオは魔法陣から出てくると、鏡の破片を見下ろした。
「未練がなくなって成仏したんだろう」
「そんな……」
 落胆するトゥーシャをエトゥーリオは呆れたように見つめる。
「何を落ち込んでるんだ。奴は元々五十年前に死んでるじゃないか。それより、さっさと少年を起こせ」
「あ、そうだった」
 トゥーシャは慌てて立ち上がると、ベッドの上に這い上がり、ルーイドにもらった箱を取り出した。フタを開けると中には液体の入った小瓶が入っていた。
 小瓶のフタを開け、トムの鼻をつまむと、喉の奥に液体を流し込む。トムがむせて咳をした時、銀の城全体がグラリと大きく揺れた。
 トゥーシャが腰を浮かせて、落ち着きなく辺りを見回すと、今度は城全体がグラグラと揺れ始めた。
 エトゥーリオは細かい埃が舞い落ちる天井を見上げて、忌々しげに舌打ちした。
「じじい、還元の呪文に反応して崩れる仕掛けでもしておいたな」
「えぇ?! ヤバイじゃないか!」
 トゥーシャは急いで立ち上がると、まだ気を失ったままのトムを肩に担いだ。
「さっさとここを出るぞ」
 二人はそれぞれ人をかかえて部屋を走り出た。
 城が軋み、壁や天井に次々と亀裂が走る。部屋を出て狭い廊下を走り抜け、崩れかけた石段を二つ飛ばしで駆け下りる。
 時々破片の降ってくるレンガのトンネルを一気に駆け抜け、城の外に飛び出したと同時に、銀の城は真ん中から沈むようにしてゆっくりと崩れ始めた。
 二人は安全な場所まで、そのまま走った後、振り返り息を整えながら崩れゆく銀の城を黙って見つめた。




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