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あたしの彼は魔法使い?




 ふと会話が途切れた時、いつもは明るい彼が、珍しく神妙な面持ちで、耳元にコッソリと告げた。
「実はね、ぼく魔法使いなんだ」
 真面目な顔して何を突拍子もない事をと、あたしは思わず大笑いした。
「おかしいよね。やっぱり」
 そう言って彼も一緒に笑った。



 彼はあたしの通う高校の近所で、喫茶店を経営している。賑やかな大通りから狭い路地を入った突き当たりに、彼の営む店はある。
「不思議の国」という変わった名前に惹かれて、偶然立ち寄ったのがきっかけだった。
 てっきり雑貨屋だと思ったのだ。
 細長い店内には、向かい合わせで二人座れるテーブル席が二つと、五人座れるカウンターがあるだけで、他には何もない。広く見せるためなのか、店の奥にある大きな鏡が目を惹いた。
 彼は店の二階に住んでいる。
 あたしが学校帰りに立ち寄る時間は、いつもあまりお客さんがいなくて、彼も話し相手をしてくれる。のんびり出来る居心地の良さから、何度も通っているうちに彼とはすっかり仲良くなった。
 思い切ってバレンタインデーに告白したら、彼もあたしを好きだと言ってくれて、今では晴れて恋人同士。
 けれど彼の店は、時々臨時休業はするけど、基本的に年中無休で、一度もデートをした事がない。二階にある彼の部屋に上がった事もない。毎日のように店でお茶やコーヒーを飲みながら、おしゃべりをするだけ、という今までと変わりない関係が続いている。
 そんなんで、付き合ってるって言えるの? と友達は言うけど、あたしは結構満足しているから問題ないのだ。
 二十五歳で大人の彼は、十七歳のあたしを、時々子供扱いする。
 魔法使いだと言ったのも、あたしをからかったのだろうと思っていた。



 その日いつものように学校帰りに立ち寄ると、店は閉まっていた。臨時休業の時、彼はいつもどこかに出かけている。
 仕方なくその日は家に帰り、翌日また店に立ち寄ってみた。
 店は相変わらず閉まっている。けれど灯りが点いていた。
 休みの日にいるなんて珍しいと思ったあたしは、扉を押してみた。鍵は掛かっていない。
 ドアがカランと鳴って、あたしは店の中に入る。すると見慣れない小学生くらいの男の子が、慌てて駆け寄ってきた。
「あーっ。鍵かけ忘れてた」
 側まで来た男の子は、あたしを見上げてニッコリ笑った。
「あ、アリスちゃんだ」
 見知らぬ男の子が、どうしてあたしを知っているのか不思議に思いつつも、店の奥に目を向けると、大きな鏡の前に彼が背中を向けて立っていた。
 何かブツブツ言いながら、鏡の四隅にシールのようなものを貼っている。
 あたしの後ろに回って扉に鍵をかけた男の子は、今度は前に回って彼に声をかけた。
「トゥーシャ、アリスちゃんだよ」
「トゥーシャじゃないだろ? こっちの名前は桜井俊也(さくらいとしや)
 文句を言いながら振り返った彼は、あたしを見て一気に目を見開いた。
「あ、アリス。来てたの?」
 そう言いながら、二、三歩近付く。そこへ男の子が駆け寄った。
「トシ、その子誰? どうしてあたしを知ってるの?」
 トシは男の子の頭をクシャクシャと撫でて、笑いながら答えた。
「あぁ、こいつはトム。ほら、時々そっちの椅子で丸くなってたシャム猫がいたでしょ? そいつが人間になったんだ」
「……え?」
 また、からかわれてる? あたしは眉をひそめてトシを見つめる。
 その時、トシの背後で、大きな鏡の四隅に貼られたシールが、音もなく白い煙を上げて消滅し、表面が水面のように波打った。トムもそれを察して、そちらに顔を向ける。
 鏡面の真ん中が一度沈んで盛り上がり、そこから金髪のイケメンが顔を出した。
 あたしが声も出ないほど驚いているのに、トムは平然としてトシの腕を叩く。
「ねぇ、トゥーシャ」
「だから、トゥーシャじゃないって」
「だって、エトゥーリオが生えてるよ」
「え?」
 確かにイケメンの上半身が、鏡から生えているように見える。
 振り向いたトシは、どこから出したのか光の球を、イケメンに向かっていきなり投げつけた。
 イケメンは表情も変えず、目の前に手の平を広げて光の球を受け止め、ゆっくりと握りつぶした。そして眉間にしわを寄せトシを睨む。
「貴様、いきなり攻撃するとは、どういうつもりだ」
「そっちこそ、勝手に封印解いて、中途半端に出てくるなよ!」
 一触即発の様子で睨み合う二人の背後から、トムがはしゃいだ声を上げた。
「わーっ、魔法バトルだ。かーっこいーっ」
 魔法? 封印? RPGな用語が大真面目に飛び交う中で、あたしひとりが取り残されている気分だ。それこそゲームの画面でも見ているかのように。
「ったく! さっき封印したばっかりなのに、何の用だよ!」
「別に。貴様の出向先を見に来ただけだ」
 しれっとして答えるイケメンに、トシは益々苛々したように怒鳴る。
「さっさと帰れ!」
 こんな風に怒鳴っているトシも初めて見た。
 次々と展開される非日常に対応できず、あたしがすっかり傍観していると、部屋の中を珍しそうに眺めていたイケメンと目が合った。
 彼はあたしを見据えて妖艶な笑みを浮かべ、トシに問いかける。
「ふーん。貴様の女か?」
 トシは焦った様子であたしをチラリと振り返り、彼の視線から隠すように立ち塞がった。
「ち、ちがっ……!」
「アリスちゃんはトゥーシャの彼女だよ」
 否定しようとしたトシの声に被さるように、トムが無邪気に答えた。
「余計な事言うなよ!」
 トムを小突くトシの向こうで、金髪イケメンが笑みを湛えてあたしに手を振った。
「じゃあ、またね。アリスちゃん」
 そう言って彼は、出てきた時と同じように、鏡の中に消えていった。
 トシは慌てて鏡に駆け寄り、再び四隅にシールを貼った。
「さっきより強力な封印にしたぞ」
「エトゥーリオには効かないんじゃない?」
「そうかも……」
 トムの言葉に、トシはガックリ肩を落とす。
「お客さんがいる時にあいつが出てきたらと思うと、安心して店が開けない」
「じゃあ、鏡の前に衝立を立てておいたら? 出てきた時に頭ぶつけて笑えるよ」
「あ、それいいかも」
 トムと一緒に笑っているトシを見て、あたしはため息を漏らした。このまま黙って見ていると、いつまでも蚊帳の外のような気がして、思いきって声をかけてみた。
「ねぇ、トシ」
 トシはハッとしたようにこちらを向いて、早足で歩み寄り、いきなりあたしを抱きしめた。
 抱きしめられるのも稀なので、あたしは思いきり動揺する。
「ど、どうしたの?」
 更にきつく抱きしめられ、あたしの鼓動は益々早くなり、顔が熱くなってきた。
「君は、ぼくが守るから」
 あまりに真剣な声で告げられ、硬直していたあたしの身体は、ゆっくりとほどけていく。けれど、何を心配しているのか分からなかった。
「何の事?」
「あいつに君の事知られた。絶対ちょっかい出してくるに決まってる」
「あいつって、さっきのイケメン?」
「顔はいいけど、性悪なんだ」
 そしてトシは、普段ならとても信じられないような事を説明してくれた。
 鏡の向こうは別世界に繋がっているらしい。トシはその世界からやって来た魔法使いだという。そしてさっき鏡から生えていたイケメンは、向こうの世界の闇を統べる魔法使いで、トシの幼なじみだ。
 魔法に関してはトシの遙かに上を行くハイレベルな使い手でありながら、その力を自分の興味の向いた事にしか使わない自分本位な奴らしい。
 おまけに彼の興味の大半は、トシをからかう事と嫌がらせをする事に向けられている。今までもそのせいで、散々面倒に巻き込まれてきたと言って、トシは大きくため息をついた。
 こんな話、今、目の前で色々見た後じゃなかったら、また大笑いしてただろうと思う。
「ちょっと待ってて」
 トシはあたしの身体から離れて、カウンターの裏に回り、レジの下の引き出しをゴソゴソと探り始めた。そして何かを掴んであたしの前に戻って来た。
「これ、身につけてて。光の加護を受けられるから」
 トシがあたしの前にぶら下げて見せたものは、細い銀色の鎖に小指の先ほどの丸い石がついたネックレスだった。
 小さな丸い乳白色の石は、光が当たるとキラキラと虹色に輝く。
「きれーい。オパール?」
「宝石じゃないよ。光の粒子を魔法で結晶化したものなんだ」
 作るのには高度な魔法技術を要するとか、これはトシの師匠が作ってくれたものだとか、更に難しい事をトシは色々と説明してくれるけど、そんな事はあたしの耳を素通りしていた。
 手の平に乗せられた、キラキラ輝くネックレスに、目も心も釘付け。
 なにしろ今までトシがくれたものは、マスコットのケータイストラップとか、キャラクターのワンポイントが付いたタオルハンカチとか、子供っぽいものばかりだった。
 それはそれで嬉しかったんだけど……。
「……アリス、聞いてる?」
 すぐそばで聞こえた声に、現実に呼び戻され顔を上げると、目の前でトシが心配そうに覗き込んでいた。
 目が合った途端、嬉しさがこみ上げてきて、思わず頬が緩む。
「ありがとう」
 彼の首に腕を回して抱きつくと、呆れたようなため息が聞こえた。
「……全然、聞いてないね」
 だって、魔法の石だとか、その効果とか、理解の許容量を超える非日常なんてどうだっていい。
 あたしにとっては、トシが初めてくれた大人っぽいプレゼントだって事が、一番重要なんだもの。



(完)




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