秘祭

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 清司(せいじ)はここ一ヶ月気が重かった。次から次へと五人の女性と見合いをさせられていたのだ。
 今日で五人目。見合いは今日で終わる。
 しかし、その後の方がさらに気が重い。五人の内から必ずひとりを選ばなければならなかった。
 そもそもこの見合いは清司の地元で行われる五十年に一度の神事の巫女を選ぶ為のものだった。
 清司はその祭主を務める。
 重い足取りで待ち合わせ場所の駅へと着いた途端、携帯電話が鳴った。
 相手番号には心当たりがない。とりあえず出てみた。
「もしもし、あの、清司さんですか?」
 ちょっと緊張ぎみの女の子の声が聞こえてきた。たぶん見合い相手だろう。
「そうだけど、今日会う人?」
「はい。もう駅に着いてるんですか? どこにいるんでしょうか?」
 当たりだった。清司は辺りを見回しながら歩いた。
「ついてるよ。オレの方が捜すから動かないで。そっちはどこにいるの?」
「改札口のそばです。出口の方の」
 清司の進行方向に改札口が見えた。その横でこちらに背中を向け携帯電話に話しているショートカットの女の子がいる。
 赤いベレー帽にチェックのミニスカート、ハイソックス。今度の見合い相手はずいぶん若い。こっちも当たりだ。
 今までの四人が清司よりひとまわり近く年上の女性ばかりだったのでちょっとウキウキしてきた。
「すぐ行く」
 女の子のそばまで走り寄る。
 そばに来ると彼女がずいぶん小さい事に気が付いた。清司のわきの下にすっぽりと入り込みそうだ。
 一応確認してみる。
「もしかして赤い帽子をかぶってる?」
「はい。近くに……」
 女の子が振り返る。清司は腰を屈めて彼女を覗き込んだ。
「よっ。会えたね」
「きゃあ、びっくりした」
 女の子は驚いて一歩後ろに飛びのいた。そして真っ赤になって頭を下げた。
「あ、ごめんなさい。私、依久(いく)といいます」
「まぁ、こんなとこで立ち話もなんだからお茶でもどう?」
 清司は依久を誘うと駅前の喫茶店へと入った。
 席に着いて清司がコーヒー依久がミルクティを注文すると清司はポケットからタバコを取りだした。
「吸っていい?」
「はい、どうぞ」
 タバコに火をつけると灰皿を依久から遠ざける。
「家じゃ吸えないんだよね。特に今は神事が近いから祭主のおまえが(けが)れてどうするとか言われてさ。依久ちゃんちも神社だよね。いろいろうるさくない?」
「うちはタバコ吸う人いないし、他はとくに何も」
 清司は椅子の背に深くもたれて天井に向かって煙を吐いた。
「いいなぁ。うちはうるさいうるさい。だいいち神事なんて五十年に一度なのに、なにもオレの代に回ってこなくても……」
 依久がクスリと笑った。
「あ、ごめん。いきなりグチっちゃった」
「いえ。私、清司さんってもっとずっと年上の人だと思っていたのでちょっと気楽になりました」
 清司はテーブルにひじをついて身を乗り出した。
「ああ、それ。オレも同じ。依久ちゃんで五人目なんだけど、前の四人がさ、うんと年上の人だったんだ。一番若いので三十二歳なんだよ。もう話かみ合わなくて、まいったよ」
 清司がタバコの火を消すと注文していたコーヒーとミルクティが運ばれてきた。
「で、依久ちゃんは何歳? ずいぶん若く見えるけど」
「十五歳です」
「は?」
 清司はコーヒーカップに伸ばしかけた手を止めた。
「十五?!」
 思わず大声を出してしまったので周りの席から視線が集まった。
「あの、何か問題でもあるんでしょうか?」
 依久が周りを気にしながらたずねる。
「大ありだよ。おやじどもオレを犯罪者にしたいのか?! 依久ちゃんは神事のこと何も聞いてないの?」
「あまり詳しくは……。もともとお姉さんが来るはずだったんですけど、候補に選ばれた途端家出しちゃって未だに消息が掴めないのでかわりに私が来ることになっちゃったんです。ただ、祭主さまに選んでいただけたらそれは大変名誉なことだと聞きました」
 清司はため息をついてコーヒーをひと口すする。
「身代わりか。そりゃ巫女に選ばれれば娘の一生は安泰だもんな。お姉さんカレシいたんでしょ」
「はい。どうしてわかるんですか?」
「家出したのは巫女に選ばれたくないからだよ。理由は教えてあげるから家に帰ったら今日明日中にうちのおやじに直接断りの電話入れなさい。親は娘を選んでもらいたいから娘には言ってないことが多いんだけどね、女性側から断ることもできるんだよ。オレと会って一日以内なら」
「全員に断られたらどうするんですか?」
「さあ、前例がないし。でも今回は断れること教えたけど誰も断らなかったから依久ちゃんが断っても問題ないし」
 依久が少しイライラしたようにたずねる。
「どうして私には断らせたいんですか? 私は巫女として役にたたないってことですか?」
 清司は再びタバコに火をつける。
「いやぁ、そんなことないよ。オレそういうの見えるんだけど巫女の能力的には依久ちゃんはダントツだよ。実際ついさっきまでオレ、依久ちゃんを選ぶ気でいたし。あと四、五年早く生まれてたらね」
「どうして十五歳じゃいけないんですか?!」
 清司は黙って依久を見つめた。
「あ、あの?」
 正面から見つめられて依久が所在なげに目を泳がせる。清司は一息タバコをふかすと依久に顔を近づけ小声で言った。
「神事で十八禁な事するからだよ」
「え? それってどういう……」
 依久があきらかにうろたえている。
「だからぁ、祭主であるオレに選ばれた巫女さんはぁ、神さまの前でオレとエッチするの」
「えぇ――っ?!」
 再び周りの視線が集まる。清司はタバコの火を消すと伝票を持って立ち上がった。
「出よう。こんなとこでする話じゃない」



 二人は喫茶店を出ると近くの公園まで歩いた。
 公園の入り口あたりの広場では子供づれのお母さんたちがベンチを占領して話しこんでいる。
 座れる場所がなさそうなので清司は木が茂っている奥の方へと進みながら話を続けた。
 依久は少し後ろから付いて来る。
「神さまの前でってのはちょっと違うな。神さまは巫女さんの中に降りてるから。なんとかっていう女の神様」
「でもそういうのって普通は形式だけのものじゃないんですか?」
「形式だけじゃなくって本当にやるの。うちのような古い神社の部外者立ち入り禁止の秘祭って”普通”じゃないんだよ」
 清司がふと足を止めた。見るとはるか前方に鳥居が見える。
「あれ? ここ神社の参道だったんだ。ついでだからお参りしていこうか」
「はい」
 二人は再び鳥居に向かって歩き始めた。歩きながら神事の説明をする。
 清司の家である神社は地域の氏神さまをお奉りしている。その神は五十年に一度生まれ変わるため、神との契約更新の神事が五十年に一度密かに執り行われる。これが今回の神事だ。
 契約更新と共に、神を祀る後継者を作るためでもあるので、祭主と巫女は実際に契りを交わし生まれた後継者を育てていかなければならない。
 儀式なので当然避妊はしないし、どういうわけか必ず妊娠する。
 神が女神だからか、生まれてくるのは男の子と決まっていた。前回神事の祭主は清司の祖父なので、清司は神の孫にあたる。清司の家は何百年も昔から、そうやって代々続いてきた神の家系ということになる。
「ま、そういう事だから断った方がいいでしょ?」
 清司は立ち止まって依久を振り返った。
「神事のことはわかりました。でも他の人たちはどうして断らなかったんでしょうか?」
「さぁねぇ。年齢的に考えると結婚をあせってんじゃないの?」
「結婚もしないといけないんですか?」
「別にしなくてもいいけど。神事を手伝ってくれた巫女さんは神さまの子供を生んでくれた訳だから子供共々一生オレが生活の面倒をみなきゃならないんだ。結婚するのが通例だね」
 ただ神事終了と共にすぐ結婚というわけでもない。神事は一代おきにしかないので、神事のない代には子供がいつ生まれるかわからない。祭主の年齢が若すぎるとすぐに結婚は事実上難しい。
「清司さんは断れないんですか?」
「オレ? 他に男兄弟がいれば断れるのかな? 聞いたことないから知らないけど。でもオレひとりだから無理」
「イヤじゃないんですか?」
「そりゃイヤでイヤでしょうがなかったよ。ガキの頃から精神統一の修行とかさせられるし。でも見ちまったからなぁ。神さまに助けてもらわないとどうにもならないって悟ったんだ。そしてオレしか神さまと契約を結べる奴がいないんだったらオレがやるしかないじゃん?」
 依久が不安そうな目で見上げながら尋ねる。
「何を見たんですか?」
「わからない」
「え?」
 依久が拍子抜けする。
「うちの神社の裏山に絶対入っちゃいけないって言われてる禁域があってね。ぐるっと注連縄(しめなわ)で囲まれてるんだけど、入るなって言われると入ってみたくなるだろ?」
「入ったんですか?」
「いや、入る前に注連縄の手前で足がすくんで動けなくなった」
 それが何だったのかは清司にも未だにわからない。思念とか悪意の塊のようにも思える真っ黒いものが、注連縄のむこうから清司に向かって近づいてきた。
 言いようのない恐怖を覚えて逃げ出したいのに動けなかった。あと少しでそいつが清司に触れようという時、突然静電気みたいなものが目の前でバチッと弾けて、清司は後ろにふっとんだ。
 身体が自由になった清司は、泣きながら走って逃げ帰った。そして悟ったのだ。あれが出てこないように神様が抑えてくれてるんだと。
 その後は少し真面目に修行したが、結局のど元過ぎればで三日坊主に終わった。サボってばかりいたおかげで、今苦労している。
「今ってなにかあるんですか?」
「神事の前は神さまの力が弱まるらしくてさ、あの注連縄の結界をオレが毎朝強化してやらなきゃならないんだけど、これが結構精神を消耗するんだよね。あいつの下っ端みたいなのがチョロチョロ出てくるし」
 清司がふと依久を見ると依久の背後から黒い(もや)のようなものが依久を包み込もうとしていた。
「依久ちゃん!!」
 思わず依久の手を引いて抱き寄せると、いきなり平手打ちをくらった。
「何するんですか!」
「いてーっ! うしろ見ろ! うしろ!」
「え?」
 依久は後ろを見たが、すぐに向き直って怪訝そうに清司を睨む。
「何もありませんけど……」
「うそ。見えないの?」
 そんな事をしている間にも依久の背後にいたものがこちらにせまってくる。
「走れ! 鳥居の内側まで!」
 清司は依久の手をつかんで鳥居に向かって走り始めた。
「何かあったんですか?」
「あいつの下っ端。たぶんオレがつれてきちまったんだ」
 二人は鳥居の内側へ駆け込んだ。清司が振り返ると黒い靄は一瞬鳥居の前で止まった。しかしすぐに鳥居を乗り越えて内側に入ってきた。
「げーっ! 神域なのになんで入ってこれるんだよ!」
 依久は清司と清司の視線の先を交互に見ながら呆然と立ち尽くしている。
「拝殿に上がってて! 結界を張る!」
 依久が拝殿に上がると清司は肩に担いでいたリュックの中からペットボトルを取り出し、中の液体を少しずつ拝殿のまわりを取り囲むように撒き始めた。
 一応神域の中だからか靄の動きは先ほどよりは鈍い。
 やがて一周してきた清司が拝殿の中に倒れこんできた。依久があわてて駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
 清司が荒い息を吐きながら答える。
「あんまり……。ちくしょーオレごときに日に二回も結界を張らせるなっての」
 清司はだるそうに起き上がるとペットボトルの中身を口に含んだ。
「それ、なんなんですか?」
「水だよ。うちの井戸水。おやじがお祓いしてるから普通の水よりパワーがある。あいつもこれは嫌いなんだよ」
 依久が不安げに外を眺めて尋ねる。
「私には何も見えないんですけど、外にいるものをやっつける事ってできないんですか?」
「今はムリだな。オレのパワーが出涸らしてるし。もう少し回復しないと。それでちょっとお願い。依久ちゃんの元気少しわけてくれない?」
「何をしたらいいんでしょうか?」
「手を貸して」
「はい」
 依久が右手を差し出すと清司はそれを握って目を閉じた。手の平がほんの少し熱くなる。しばらくして目を開けると、清司は依久の手を離した。
「ありがとう。あとは自分で集める」
「集めるって?」
「そのへんのものから元気をわけてもらうんだ。集中したいからちょっと話しかけないで」
 そう言うと清司は目を閉じて動かなくなった。
 依久はまわりを見回してみたがやはり何が起きているのかさっぱり見えない。ただ清司の隣に座って外を眺めていた。
 時折、風が外の木々を揺らしている。ただそれだけにしか見えない。いたって静かだ。どれほど時間が経ったのか、清司が目を開いてつぶやいた。
「ヤバイな……」
「どうしたんですか?」
「あいつ、周りの悪霊を呼び寄せてる。オレが回復するまで結界がもつか……」
「えぇ?! ここ神社なのに神さまはいないんですか?」
「眠ってるみたいだな。波動が弱い」
「私に何か手伝える事ないですか?」
 清司が笑って答える。
「オレが早く回復するように祈っててよ」
「そんな! 私には素質があるって言ったじゃないですか!」
「今すぐは無理だよ。それよりまた少し……」
 清司がふと見ると、うつむいて今にも泣き出しそうな依久の体を白い光が包んでいた。言葉を呑んで凝視している間にも白い光はどんどんふくらんでいく。
「依久ちゃん、それ、どうやって一瞬で集めたんだ」
 依久が顔を上げて戸惑いながらまわりを見回す。
「何か、あるんですか? 私はただ清司さんの力になれたらと思っただけで……」
「何でもいい! その”気”、オレにくれ!」
 清司は依久の肩に手をかけて一言
「今度は殴らないでくれよ」
と断ると依久を抱きしめた。ピクリと一瞬依久の身体が硬直する。依久の鼓動が早鐘を打ち始める。それに合わせて洪水のように清司の身体にエネルギーが流れ込んでくる。しばらくすると清司は依久から離れて勢いよく立ち上がった。
「よっしゃーっ! 充電完了ーっ!」
 そして拝殿から飛び降り結界の外に向かってペットボトルの中身をぶちまけた。
「散れ! 雑魚ども!!」
 結界の外に蠢いていた黒い靄が一瞬にして掻き消えた。
 清司は結界を解くとペットボトルのフタを閉めながら拝殿の中を覗いた。
 拝殿の中では真っ赤な顔をした依久が呆然と座っていた。
「依久ちゃん、もう出て来ても大丈夫だよ」
「あ、はい」
 依久が我に返り清司のリュックを持って拝殿から降りてきた。
「清司さん、身体の方は大丈夫なんですか?」
「ああ。依久ちゃんのおかげですっかり」
「よかった」
 依久がリュックを渡しながらホッとした様に微笑む。
「依久ちゃんスゴいよ。手離したくなくなった」
「え?」
「オレのアシスタントになってくれない? 修行すればオレと同調してチョクにオレにエネルギー集められるようになるよ」
「はい! やります。私でお役に立てるなら」
 依久が張り切って答える。
「そう。よかった。オレ”気”を集めるの苦手なんだよね。使う方は得意なんだけど。じゃ、おやじに言っとくから神事が終わったら一緒に修行しよう」
 途端に依久の表情が曇った。
「どうした?」
 清司が依久を覗き込むと依久はうつむいて目をそらす。
「神事が終わったら清司さんには奥さんがいるんですよね」
「まぁ、そうなるのかなぁ。すぐに一緒に暮らしてるわけじゃないとは思うけど」
 依久がさらにうつむく。
「私、イヤです。奥さんだってこんな気持ちの私が清司さんのそばにいると気を悪くすると思うし」
 清司がうろたえる。
「”こんな気持ち”ってそれ……」
 依久は顔を上げて清司に詰め寄った。
「私を選んでもらえませんか? そうしたら奥さんに気兼ねしなくていいし。それに私、清司さんが……」
「待った! ストップ! 依久ちゃん、君わかって言ってるの?」
 はにかむように、依久が頬を染める。
「わかってます。でも清司さんの力になりたいし、清司さんとずっと一緒にいたいから」
 清司は依久を見下ろして、一息嘆息した。
「プロポーズはありがたいんだけどね。君はたぶん勘違いしてるよ」
「勘違いじゃありません!」
「オレの想像だけど、君、男の子と付き合ったことないでしょ。手を握られてドキドキしたから、抱きしめられてドキドキしたからそれを恋だと勘違いしてるだけだよ」
「違います! 本当に……!」
 依久の目から涙がこぼれた。清司は依久の背中を軽くたたく。
「十五で子持ちにならなくてもいいじゃん。君がイヤならアシスタントの話はなかったことにするから」
 依久は首を横に振って泣きじゃくり始めた。
「泣くなよぉ。オレよりいい男なんていくらでもいるから。君の人生奪いたくないんだよ」
 泣きじゃくっていた依久の動きが突然止まった。そして顔を上げると清司を睨み付けた。
「そんなにわたくしと契るのは嫌か?!」
 その表情も声も、明らかに依久のものとは違っていた。清司は驚いて一歩退く。
「神が降りてる――――っ?!」
「二度も助けてやった恩も忘れ、我が名も覚えておらぬとはなんという薄情な祭主じゃ!!」
 清司の目の前に稲光が走る。清司はあわてて依久の前に土下座した。
「ひ――っ! 申し訳ございません――っ!」
 しかし、ハタと気付いて顔を上げた。
「あれ? 二度って、もしかしてさっきから依久ちゃんの中にいたの?」
 依久があきれたように清司を見下ろす。
「そのような事も気付かぬとは、まったく嘆かわしい未熟者じゃ」
 清司は身体を起こすと、正座したまま依久を見上げて反論した。
「だって今はお隠れになってるはずでしょ」
「この娘に呼ばれた。おまえを助けたいと。この娘と波長も合ったので引っ張られたのだ」
「はぁーっ。やっぱ依久ちゃんすごいなー」
 清司がため息をついて感心する。
「言っておくが、この娘でないとわたくしを降ろす資格はないぞ」
「え? どうして?」
「他の娘たちはすでに汚されておる」
「そりゃ年齢的にいってその可能性は高いだろうけど、そんなこと言ったらオレの方がよっぽど汚れてると思うけど」
「その通りじゃ」
 依久は胸を反らして清司を指差した。
「おまえには神事の前三日間の潔斎を言い渡す。汚れた身体でわたくしに触れる事は許さぬ」
「三日――――っ?! オレが聞いたの一日だけだったのに――っ?!」
「おまえの汚れが一日ごときで落とせるものか」
 キッパリと言い切られ、清司はガックリと項垂れる。
「三日間もメシ抜きかよー。その間結界は?」
「無論おまえが守るのじゃ」
 清司は顔の前で激しく手を振って拒否した。
「ムリムリムリムリ! 考えただけで食い物の雑念が浮かんでは消えて絶対集中出来ないって!」
 依久があきれてため息をつく。
「情けない」
「依久ちゃんに手伝ってもらっちゃダメ?」
「おや」
 笑みを浮かべながら、依久が前屈みになって清司に顔を近づけた。
「おまえはこの娘を断るつもりではなかったのか? 都合のよい時だけ利用しようとはまったく虫のよいこと」
「うっ……」
 ぐぅの音も出ない。身体を起こした依久は腰に両手を当てて首を傾げた。
「そもそも娘の方が納得しておるのに何故(なにゆえ)拒むのか、わたくしには理解できぬ。おまえはいったいこの娘の何が気に入らないのじゃ」
「いや、オレ的には何の問題もないんだけど」
「ならばこの娘を選べ。わたくしもこの娘以外は波長が合わぬ。それとも波長が合わないうえに資格もない他の娘たちにわたくしを無理矢理降ろすなどという高等技術がはたしておまえごときに可能なのか?」
 神が痛いところを突いてくる。
「……できるわけねーだろ。イヤミだな。それでも依久ちゃんに後悔させたくないんだよ」
「わたくしの子を宿すのに何を後悔すると言うのだ」
 依久は両手で頬を押さえ、意外そうに目を見張った。
「神さまにはわからない人間の事情ってもんがあるんだよ。同い年のほかの女の子達が遊びまわってる時に子育てしてるなんて後悔しないわけないじゃないか」
「そのような事、おまえが後悔させない様にすればよいだけのこと。第一、今この娘を手放すと五年後に後悔するのはおまえのほうだぞ」
 依久が腕を組んで、意味ありげな笑みを浮かべながら清司を見下ろす。
「は? なんでオレが後悔……」
「確かにこの娘、今はただの青臭い小娘に過ぎぬが五年後にはいい女に成長しておるとは思わぬか? それに引き換え他の四人では五年後には確実にくたびれておる」
「そんな身もフタもないことをハッキリと……」
 清司は苦笑する。そしてふと5年後を考えてみた。
 五年後、清司は二十六歳依久は二十歳になる。それだと別におかしくはない。六歳違いの夫婦なら世の中にいくらでもいる。
 さらに五年後の依久を想像してみる。
「何を笑っておる。いやらしい奴め」
 依久に頭を叩かれて我に返る。どうやら無意識にニヤついていたらしい。
 清司は深く息を吸い込むと意を決し、依久を見据えて宣言した。
「わかった。俺が依久ちゃんに後悔させない様にする。結界も自分の力で守って見せる」
 依久がホッと一息つく。
「やっとその気になったか」
 そして真顔になり、厳かに言い放った。
「今の言葉、わたくしへの誓約としてしかと受け取ったぞ」
「そうと決まったら神事までになるべく仲良くなっとかないといけないし、来週にでもデートに誘って……」
 清司がウキウキと今後の計画を立てていると依久が頭を叩いた。
「こら。この助平男。神事の前にこの娘を汚すでないぞ」
「わかってるよ、そんな事。でもキスくらいはいいんでしょ?」
 依久が鬼の形相で怒鳴りつけた。
「ならぬ! この娘に指一本触れる事は許さぬ! おまえは祭主の身でありながら神事を軽んじておるのか?! 不届き者め!!」
 目の前に再び稲光が走る。
「滅相もございません!」
 清司は改めて地面に平伏した。
「わかっておるなら肝に銘じよ。わたくしもおまえは気に入っておる。わたくしに対して無礼な口を利いたことは水に流そう」
「あ?」
 清司が顔を上げると、依久から神の表情が消えていた。
「そういやオレ、神さまに対してずっとタメ口利いてたっけ」
 清司が立ち上がり土をはらっていると、依久がおずおずと話しかけてきた。
「清司さん、あの、さっきの事……」
「ああ、聞いてただろ?」
「はい」
 依久が恥ずかしそうに頷く。
「そういう訳だから、今後もよろしく」
 清司は笑って手を差し出した。
「はい!」
 依久が笑顔で清司の手を握り返した瞬間、清司の身体に電流のようなものが走った。
「いて――っ!」
 叫んで依久の手を離すと、依久が再び神の表情になっていた。
「まったく油断も隙もない」
「こっちの台詞だよ! 帰ったんじゃなかったのかよ?! 握手ぐらいいいだろ?!」
「指一本触れるなと言ったであろう。この助平男め」
 清司は本気で憤慨する。
「手を握っただけだろ?! 胸やお尻を触ったわけじゃなし、スケベでもなんでもないじゃないか! 何千年も前からニッポンの神さましかやった事ないヒトは知らないのかもしれないけど握手ってのは挨拶なんだよ!」
「おまえという奴はよくもこのわたくしに向かってそのような暴言を……。まぁよい。だがそれ以上何かしたらもっと痛い目をみるぞ」
 清司は横を向いてふてくされた。
「はいはい。よーく肝に銘じておきますぅ!」
「清司さんスケベなんですか?」
「あーあ、どうせオレはスケベだよ。スケベでない男がいるならお目にかかってみたいもんだね! って、あれ?」
 違和感に気付いて、清司は依久を見る。いつの間にか神がいなくなっていた。
「…………ヒキョーモノー。突然帰るなよー」
”それ以上”ってどこまでOKなんだろうかと清司が考えていると、横から依久が袖を引っ張った。
「清司さん、聞きたいことがあるんですけど」
「ああ、何?」
「清司さんは結局神さまに押し切られるような形で私を選んでくれたけど本当はどうなんですか? 少しは私の事好きなんでしょうか」
 清司は依久に向き直る。
「依久ちゃん。オレ最初に君を選ぶつもりだったって言ったよね」
 依久が頷く。
「それって告白にならないのかな」
 依久が頬を染めて首を横に振る。清司が微笑んだ。
「好きに決まってんじゃん」
「清司さん、大好きです!」
 満面の笑みを浮かべて、依久が清司に抱きついた。
「だ――っ! 触るなーっ」
 清司は叫んで逃げようとしたが、今回は何も起きなかった。
「あれ? これはOK?」
 依久は清司から離れると元気に手水舎(てみずや)に向かって駆け出した。
「清司さん、お参りして帰りましょう」
「あぁ、そうだったっけ。ここの神さまにもお騒がせしちゃったし」
 二人はお参りを済ませると夕暮れの参道を手をつないで家路へとついた。



(完)


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