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所在地:東大阪市日下町7丁目
最寄駅:近鉄奈良線「石切」下車、北出口より北西へ徒歩で約15分 |
江戸時代中期、詩人として活躍した 生駒山人(姓は森、諱は文雄、字は世傑)の墓は、東大阪市立日新高校の東側、来照山の森家墓地にある。
森家は日下きっての豪族で、父森貞靖は難波の鳥山碩夫に学び漢学を納めた。
生駒山人は河内国日下村(現東大阪市日下)の庄屋であった貞靖の4男として、1712年(正徳2年)に生まれている。山人は病弱で、諸国に遊学しようとして果たせず、郷里の日下で詩作に没頭した。
漢詩人としての名声は河内恵我荘の北山橘庵と共に詩星の双壁と称され、その学才は頼山陽も比肩するといわれたが、1572年(宝暦2年)に41才の若さで亡くなった。
山人が親交したのは、彦根藩の儒者龍子明(公美とも号す)一人であったといわれる。山人の代表的な作品は、没後9年を経て、子明が「生駒山人詩集」全7巻として刊行している。
なお、生駒山人と父貞靖の墓は、1974年(昭和49年)東大阪市の史跡として、文化財の指定を受けている。
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[参考資料] 『現地案内板』 |
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生駒山人の墓(左側の写真)と父貞靖の墓(右側の写真)。父子の墓石には、親友の龍子明の撰文が刻まれている。貞靖の隣の墓は山人の母、佳世の墓。佳世は善根寺の名族足立家の出身。 |
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当地は、森家代々の墓地となってきた所で、山人の墓を中心に多くの人が眠っている。 |
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日新高校の正面。校舎の裏手の山が来照山。
山人の墓に行くには、右側の学校の塀に沿って道がある。 |
学校の塀に沿って行くと、テニスコートがあり、墓地はコートの向こう側の小高い丘の中腹にあった。 |