大阪再発見の表紙に戻る
史 跡
ロゴをクリックすれば
一覧表に戻ります



大坂城石垣残石 所在地:東大阪市善根寺町6丁目
最寄駅:近鉄東大阪線「新石切」下車、バス四条畷行「善根寺」
下車、生駒山に向かって約800M、春日神社近く
豊臣秀吉の大坂城築城の際、ここ善根寺を中心に南は日下・池ノ端、北は龍間・中垣内あたりの山から大量の石材が切り出された。これに従事した人々は各地から借り出され、多い日には2万人にも及んだといわれている。
  この時石奉行となって善根寺村で指揮を取った足立仁兵衛宗佐は後、浪人となり当地に住んだが、その宅地は谷山屋敷と呼ばれ、その跡地は現存する。また、石材輸送に関連した石道、轆轤田(ろくろだ)の字名が残っていた。

[参考資料] 『現地解説板』
          『日本歴史地名体系』大阪府の地名編 平凡社 
大坂城石垣残石-1 この大石の周りは住宅地になっており、写真の後ろ側の家は玄関先にこの石がある形になっている。
石にはいくつかの刻印が入れられているが、解説板によれば、刻印は土地の境界を示すものと、家紋などが彫られている。
また、この石は秀吉の築城の際に切り出されたのではなく、徳川氏が1620〜29年(元和6〜寛永6年)の間に行われた大坂城修築時の時のものと思われるとのことである。
大坂城石垣残石-2

石奉行の足立氏屋敷跡
足立氏屋敷跡 善根寺町に残る堀に囲まれた足立仁兵衛宗佐の屋敷跡。
現地の解説板によると、足立氏の屋敷跡は今も完全な形で残っており、広壮な周壕と石垣で囲まれた敷地は、東西約110m、南北約85m、面積9400uの大規模な城郭的色合いの強いもので、石奉行の力が伺われる屋敷である。

史跡-014/TTL-129

1つ前に戻る このページの上に戻る 表紙に戻る

Copyrightc2015.Yoshi Planning.All rights reserved. 写真及び文章の無断使用は禁止します。