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地名の由来
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ちょっと寄り道
しじみ川旧跡へ
 堂 島 所在地:大阪市北区堂島1丁目 「堂島アバンザ」前庭
最寄駅:JR東西線「北新地」下車、南へ約200m
堂島の地名の起こりは、一説には堂島川と蜆川(現在は埋立てられ存在しない)に挟まれた中州の島に薬師堂が建てられていたが、海上を航行する船からこのお堂が良く見え、「薬師堂のある島」が「堂島」と呼ばれ、これが地名となったといわれる。
 堂島薬師堂は、推古天皇の御代には既に存在したとのことで、現地に案内板には推古朝の頃の史料に「東は玉造に四天王寺を作り、西の方州の中に御堂を建立」の記録があるという。また、1675年(延宝3年)に刊行された『蘆分船』には『聖徳太子が四天王寺建立時に、建材運搬船が暴風雨で難破し、中州に流れ着いた木材を使って、お堂を建てた」とあり、これが薬師堂の起源と言われる。
 戦後、毎日新聞社が増築した際、敷地内に祀られていた薬師堂を敷地東向いの社有地に移設されたが、その後、毎日新聞社屋跡に堂島アバンザを建設する際、奈良・薬師寺や地元要請もあり、かつてあった場所に戻された。
 現在、堂島薬師堂は、奈良薬師寺の管轄で月々の法要や年間のお祭りや各種の行事が執り行われている。
 薬師堂に祀られている地蔵尊にまつわる話として、ほんまかいなという話が『大阪伝承地誌集成』に記載されている。それには「薬師堂の前の通りはかってはどちらから入っても一度は突き当たり、他の辻には出られないため、「卍(まんじ)が辻」と呼ばれていた。薬師堂には本尊の薬師如来とともに、地蔵尊が祀られているが、この地蔵さんは「卍が辻」に逃げ込み、何度も助かった盗賊どもが、これは仏恩なりと感謝して造立した」とある。
泥棒組合(?)が家業の成功に感謝して仏像を奉納するとは、如何にも大阪らしい話だと思えば真実味を帯びてくる。

[参考資料] 『堂島薬師堂 由来』 現地案内板
         『大阪伝承地誌集成』 三善貞司著 清文堂
堂島薬師堂 かっての薬師堂は、日本的な建物だったといわれるが、現在のお堂の形はミラーガラス127枚を組み合わせた直径7mの球状のお堂である。
お堂の中には本尊の薬師瑠璃光如来(中央:室町時代作)のほか、弘法大師(右側)、地蔵菩薩(左側)が安置されている。 薬師堂内部
池の中の水かけ弁天像 薬師堂前の道
御堂の周囲には円形の池があり、「水かけ弁財天」が見守っている。 薬師堂の前の道はかっては「卍字(まんじ)辻」と呼ばれ、隣町との境の十字路は食違いになっていた。
旧桜橋跡 堂島薬師堂案内石碑
アバンザの前の道を西へ行くと、かっての蜆川に架かっていた「桜橋跡」の石碑が建っている。 「桜橋跡」の傍らに建っている「堂島薬師堂」の案内碑。

地名-011/TTL-710

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