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所在地:大阪市北区曽根崎新地
最寄駅:JR東西線「北新地」下車、南へ曽根崎新地へ入ったところ。 |
蜆(しじみ)川は曽根崎川・梅田川・福島川とも呼ばれ、堂島川に掛かる大江橋の上流で堂島川から分かれ、湾曲して堂島の西端で堂島川に合流していた。貞享年間(1684〜88年)から元禄年間(1688〜1704年)にかけてに河村瑞賢がこの川を改修が行われ、堂島新地・曽根崎新地が開発された。
蜆川のいわれは、蜆貝がよくとれたからと言う説は江戸時代から普及していたが、1798年(寛政12年)刊行の『摂津名所図会』や1855年(安政2年)刊行の『摂津名所図会大成』では、元来この川が淀川の本流で、川幅を縮めて作ったところから「縮(ちぢめ)川」と呼ばれ、それが訛ったたとしている。
これらの新地の茶屋は蔵屋敷や商家の人々の集う色町として栄え、川に面して座敷があり、物売りの舟や夏には夕涼みの舟が漕ぎ出されたという。
近松門在衛門の心中物には「心中天の網島」の道行における橋尽くしをはじめ、蜆川と橋が舞台になっているものが多い。
1909年(明治42年)の北の大火後、瓦礫の捨て場となって一部が埋立てられ1924年(大正13年)残りも埋立てられて姿を消した。
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[参考資料] 『曽根崎川跡』 現地案内碑 大阪市
『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 |
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大阪市が建立した「曽根崎川跡解説碑」と地図の部分の拡大写真。
地図の真ん中の茶色の部分が曽根崎川(蜆川)跡で、現在は「新地本通」という名の道路になっていることが分かる。
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「曽根崎川跡解説碑」と並んで建てられている木谷蓬吟の「蜆橋銅版標」。「小春治兵衛の涙川‥‥」で始まり、大近松を称える名文が綴られている。
木谷蓬吟:近松研究家。本名は木谷正之助。1877年(明治10年)五世竹本弥太夫の2男として生まれる。 1950年(昭和25年)没。享年73歳。
著書に『大近松全集』『文楽今昔譚』『浄瑠璃研究書』 、『私の近松研究』、『人間近松門左衛門』『文楽史』、『道頓堀の三百年』等がある。 |
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『心中天網島』の舞台となった茶屋「河庄跡」の碑。
上の写真の木谷蓬吟の「蜆橋銅版標」の後ろに見える自販機の傍らに建てられていた。治兵衛と小春の道行は、茶屋河庄から始まり、蜆川にかかる橋を次々に渡り、心中場の網島まで続いた。 |
 |
 |
この新地本通には、大阪の町には珍しく電柱がなく、電線の類は地中に埋められ、町並みはすっきりとしている。
通りの各所にある分電盤を利用して、「わが北新地」のタイトルで、新地が舞台となった文楽や歌舞伎の名作などが紹介されている。 |
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「史蹟 蜆橋跡」の碑。御堂筋に面した滋賀銀行ビルの一角に埋め込まれている。
この蜆橋は、幕末の1863年(文久3年)6月「壬生浪士組(新撰組)」と大坂相撲の力士と乱闘事件の発端となった場所でもある。 |