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所在地:大阪市都島区都島本通1丁目
最寄駅:地下鉄谷町線「都島」下車、都島通を西へ、約300m |
当社は旧沢上江(かすがえ)村の鎮守社で、 社伝に拠れば、当社の創起は後白河法皇が母恩寺に行幸の折、当地一帯が幾度も淀川の洪水に見舞われており、この惨状を哀れみ、勅命により、当地の鎮守としてとして寺の南方に創建を命じ、毛馬、友淵など8ヵ村農民の協力により建てられたという。
この時期を現地の案内板では「永暦元年(1160年)」とし、『日本歴史地名体系』では「仁安3年(1168年)」としている。
天照大神・応神天皇・宇賀御魂神など15神を祀るため、当初は十五社神社といったが、1943年(昭和18年)に現在の都島神社に改称された。
また、社記に拠れば、昔この付近(旧沢上江村)には榎木が繁茂、村人たちを悩ませる鬼女が住んでいた。この鬼女を北面の武士橘氏が退治して、榎並庄を開発したという。橘氏の子孫は、友淵に住んだ友末氏、貝脇(元旭区清水町)に住んだ山口氏の2氏に分かれ、ともに土豪として地域の発展に大きく貢献したという。
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[参考資料] 『現地案内板 都島区の主な史跡・旧跡』
『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 |
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都島神社西側の鳥居。 |
都島神社社殿。
1945年(昭和20年)に戦災に遭い、焼失。
現在の社殿は1949年(昭和24年)に再建した。 |
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境内に建つ石造三重宝篋印塔は笠部に三層を積重ねた珍しい形で、現地の案内碑では「各層の燈身部と相輪は後補であるが、全国的にも稀有で、関西最古の石造塔である。基礎部には鎌倉時代の『嘉元二甲辰六月二十九日(1304年) 願主■
沙弥■蓮 造立之』の刻銘があり、結衆による供養塔であろう」としている。
石塔は大阪府の文化財及び重要美術品に指定されている。 |
境内に植えられている楠木、
神社にある楠木といえば、自然のままに、大きく枝を伸ばしているのが、一般的であるが、当社のものは、剪定され、新芽の吹き出しが大変美しい。 |
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[2010年4月6日参拝] |
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