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所在地:大阪市中央区石町2丁目
最寄駅:京阪本線OR地下鉄谷町線「天満橋」下車、西へ約200m、エルおおさかの角を南へ入る、東側 |
大阪市中央区石町(こくまち)にある坐摩神社行宮(境外末社)は、 『現地案内板』によれば、1583年(天正11年)豊臣秀吉の大阪城築城に際し、城域に当たるため、現在地の大阪市中央区久太郎4丁目に遷座したが、それまでは当地が鎮座地であった。
社伝によれば、神功皇后が新羅より、帰還の折、この地に坐摩神を奉斎され、当地にあった石の上に休息したという。
地名の石町の由来はこの故事に基づいたとの説だが、これには異説もあり、『大阪の地名由来辞典』では、江戸時代に著された『摂津名所図会大成』にある「当地は古代において、国府が所在し、のちに「こくふ」から転じて「こく町」になったと言われている」との説も紹介しており、多くの文献はこの説を支持しているとのことである。
また、難波堀江の比定地される大川に近接するこの地は古代からの交通の要として、重要な場所であった。平安期には熊野詣でが盛んになり、熊野本宮に至る熊野街道沿いには熊野王子社が多く設けられたが、淀川を船で下り、最初に参詣する第一王子とも呼ばれる渡辺王子(窪津王子)社の元の鎮座地とも言われる。
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[参考資料] 『現地案内板』 坐摩神社
『大阪の地名由来辞典』 堀田暁生編 東京堂出版 |
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坐摩神社行宮は大阪府労働会館と道を挟んである。
この辺りはビジネス街でもあり、周りをビルに囲まれて、こじんまりと鎮座されている。 |
境内の奥まったところにある小祠には豐磐間戸神(トヨイワマト)と奇磐間戸神(クシイワマト)を祀る。 |
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小祠の前にある大きな石は神功皇后の鎮座石と伝えられる。
保護のために柵がしてあるが、心無い者のいたずらか、棒などを突っ込まれ、石は粉々に割れている。 |
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