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所在地:守口市佐太中町7丁目
最寄駅:京阪「寝屋川市駅」下車、京阪バス「市内循環」OR「京阪
守口駅行き」で「仁和寺」下車、淀川の堤防に向かって約700M |
当地は菅原道真の領地であったところで、901年(昌泰4年)道真が太宰府に左遷され、赴任途中に当地でしばらく滞在したと伝えられる。道真は、宇多法皇の計らいで、自分の無実が証明されるかもしれないと、一縷の望みを持ち、ここで都からの沙汰を待ったが、一向にその沙汰もなく、筑紫へ下向することとなった。当地の地名である「佐太」はこの「沙汰」が訛ったといわれる。
道真は出立に際し、自身の木像と自画像を残し、この時楊枝を土に挿し、「わが身の無実の証拠として二葉の松となって生い栄えよ」と誓ったところ、程なく発芽し、見事な松の木に成長したと伝わる。(これと非常によく似た伝説が淀川の対岸の摂津市の三本松神社にも残されている。)
道真が太宰府でなくなってから50年後の天暦年中(947~57年)に、里人がその徳を慕い、道真が残していった木像を御神体として祀ったのが、当社の創建とのことである。
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[参考資料] |
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国道1号線バイパスに面して「一の鳥居」があり、拝殿に向かう参道の両側には石の灯篭が並んでいる
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南側にある門の前の桜は満開
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拝殿は1643年(慶安元年)当時の淀城主永井氏の再興による。
神社の方の話では数年前、拝殿の改修工事の際、天井裏の梁のところから慶安当時の寄進者の名前を書いた額が見つかったが、大名である永井氏と並ぶ文字の大きさで、商人である淀屋の名前が書かれてあり、その力の大きさが伺えるとのことであった。
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右側の手水鉢にも『願主 淀屋
右衛門』の名前が刻まれてる
1645年(慶安3年)の寄進。 |
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境内にある「菅公水鏡の池」。道真は当地に滞在の折、この池に自分の姿を写し、自画像を描いたといわれる。 |
境内摂社の戎社。
俗に「佐太の戎さん」と呼ばれているらしい。 |
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[2004年4月1日参拝] |
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