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所在地:豊中市服部元町1丁目
最寄駅:阪急宝塚線「服部」下車、東へ約500M |
当社の祭神は少彦名命(医薬の祖神)と菅原道真(学問の神)の2神を合祀する。
服部天神宮のパンフレットによると、この辺りは渡来人の秦氏が住居していたところとされ、服部の地名も「機織部(はたおりべ)」から成り立ったとしている。この秦氏一族が崇拝していたのが「少彦名命」とのことで、当社の創建はこの時代まで遡ることになる。
菅原道真が901年(延喜元年)大宰府に左遷される途中、この辺りで脚気に悩まされ、足が浮腫んで歩けなくなったとき、村人の勧めで、「少彦名命」を祀る服部の路傍の小祠に詣で、平癒を祈願したところ、持病の脚気が治り、無事に大宰府に着いたと伝えられる。
菅公の没後、各地に天神信仰が起ったが、当社も菅公の霊を合祀し、「服部天神宮」として社殿を造営したことから、全国に菅公脚気平癒の霊験が喧伝され、「脚気天神」「足の神様」として広く信仰を集めた。
特に、当地は大坂から池田、能勢、亀岡に通じる能勢街道の中間地点にあったことから、江戸時代の中期から末期にかけては、非常な賑わいを見せ、旅籠、料亭、茶店が軒を並べていたといわれる。
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[参考資料] 『足の神様・服部天神宮』由緒 服部天神宮パンフレット |
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国道176号線に面した神社の入口に建てられている鳥居。というよりも看板というべきか。 |
6境内を1歩中に入った所に建っている鳥居。
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拝殿の前には大きなテントが張られており、天候が悪い日でも安心して参拝できる。 |
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天神宮の拝殿と並んである豊中戎神社とその前に建てられている大きな絵馬。この神社は1951年(昭和26年)花屋敷にあったの繁昌稲荷旧社殿(室町時代の
建造)を移築。西宮神社より分霊を勧請して奉祀した。 |
菅原道真公の銅像。2001年(平成14年)祭神である菅原道真没後1100年を記念して造られた。 |
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「ぞうり堂」に奉納されているぞうりの数々。右側の写真のものはかなり古く、中には大正時代のものも見受けられた。これらのものはいずれもガラスケースの中に入れられており、光が反射して写真写りが悪い。 |
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川辺左大臣藤原魚名(藤原鎌足の曾孫)の墓。
菅公より更に100年程昔、同じように大宰府に赴く途中、この地で病気になり亡くなった。菅公はわが身を振り返り、魚名の霊をねんごろに弔ったと伝わる。 |
境内に建てられている鬼貫の句碑「賃とらで 象も田をかえす 動き哉」。(左から二つ目の碑)
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[2005年1月19日参拝] |
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