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所在地:羽曳野市駒ヶ谷
最寄駅:近鉄南大阪線「駒ヶ谷」下車、駅前の坂道を約200M
公民館入口に大きな看板あり |
当社の縁起は、社伝によると「崇神天皇の頃、香取明神の神孫14世伊波別命(イハワケノミコトがこの地に住み、祖神である経津主命(フツヌシノミコト)を祀ったのを始まりとし、代々その一族が神社の管理にあった。平安時代の初めの頃には矢作忌寸(ヤハギイミキ)と称した。」とあり、その縁起は2000年前にもさかのぼる。
「延喜式」神名帳には安宿郡5座の筆頭に記され「杜本神社2座 並名神大、月次新嘗」とあり、月次祭、新嘗祭には官幣にあずかった。祭神は経津主神・経津主姫神という夫婦神である。
平安時代、皇室の崇敬が厚く、「三代実録」によれば、859年(貞観元年)正4位下を授かっている。
当社は隣接する金剛輪寺とあわせ神宮寺形式をとっていた。金剛輪寺は、聖徳太子の開基と伝わり、後醍醐天皇、後村上天皇の綸旨や楠正成の施行状などが残り(社蔵の「金剛輪寺文書」)、南朝の勅願所となり大変栄えたが、南北朝の合戦で兵火を受け衰退、更には天正年間(1573~92年)織田信長の高屋城攻めの折の兵火で社殿が焼失し、豊臣秀吉から社領を没収され神社は廃退した。
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[参考資料] 『現地説明板:河内ふるさとの道』 羽曳野市
『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 |
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杜本神社鳥居。
参道の周囲は竹林が鬱蒼と続いており、枯れた葉が絶え間なく降り注いでくる。
参道、鳥居、玉垣は近年整備されたようだ。 |
かって神宮寺であった金剛輪寺跡には観音堂が建てられていた。
金剛寺は明治初年の神仏分離令で廃寺となった。
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杜本神社拝殿。明治時代初期の建造
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杜本神社本殿。
現社殿は旧社殿が織田信長の高屋城攻めの時焼失したため、江戸時代に高津神社から移築したとあった。 |
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自然石に彫りこまれた「獣面人身像」。最近、明日香のキトラ古墳の壁面の剥ぎ取りで新聞紙上をにぎわしているのと同じような絵柄である。元は社殿の前に建てられていたが、現在では保存のため社殿の中庭に移されている。
誰が、何の目的で、いつ頃建てたのか不明だか、宮司さんのお話では、「この近郷は帰化人の子孫が多く住んでおり、多分江戸時代のころ、これらの人たちが先祖をしのんで建てたのではなかろうか。」とのことであった。 |
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境内末社は沢山あったが、その内の1つ「南木神社」(左側)。
その名の通り、楠を分解した名であり、神社の傍らには楠木正成が湊川の合戦で戦死したとき、河内に送られて来た首をひそかに隠したと伝わる五輪塔(大楠公首塚:右側の写真))がある。神社は楠木正行が父の姿を刻んで祀ったと伝わる。 |
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境内末社維日谷稚宮。
反正天皇・伊波別命・遠登売命を祀る。 |
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[2005年6月9日参拝] |
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