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所在地:泉南市男里
最寄駅:南海本線「樽井」下車、さわやかバス「南方面回り」で
「男里中」下車、南へ約500M、雄信小学校前
(和泉33ヶ所第30番札所「長楽寺」から北へ約400M) |
男(おの)神社は延喜式神名帳に「男神社二座」と見え、1座は当社、1座は当社北方に鎮座する摂社浜の宮(浜の天神)に比定される。当社は元は浜の宮に祀られていたが、海に近く風浪に侵されるので、859年(貞観元年)現在地に社殿を建て、神武天皇を合祀したという。この浜の宮は神武天皇東征の時、流れ矢で負傷した彦五瀬命が傷の痛みに絶えかねて雄たけびしたという雄水門(おのみなと)の旧跡とされている。
当社に対する公武の崇敬は厚く、1464年(寛正5年)には後土御門天皇の奉幣があり、文明年間(1469~87年)には足利義政が社殿を修理、1638年(寛永15年)には後水尾上皇が奉幣、1651年(慶安4年)には徳川氏が社殿を修補している。
『泉州志』には当社を『男森大明神 八幡天神春日』とあり、江戸時代前期、八幡神が合祀されていたことがあり、阪南市の波太神社も八幡宮と称し、当社と本社・分社の関係にあったと伝えている。
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[参考資料] 『現地説明版』 泉南中央ライオンズクラブ寄贈
『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 |
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男神社の鳥居。
神社の社叢は鬱蒼とした樹木に覆われており、参道は昼なお薄暗い。 |
男神社社殿の前にある鳥居。 |
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男神社拝殿。
本殿には彦五瀬命、神日本磐余彦命を祀り、
相殿には天児屋根命・熊野速玉神を祀る。 |
境内に建つ由緒を記した石碑。
上部に菊のご紋が刻まれている。
碑文には「古事記によれば、当社は神武天皇が天業恢弘の御途次、畏くも矢瘡を負わせ給うた皇兄彦五瀬命が、男々しくも男建ひ給うた男水門に斎祀られた由緒深い神社であります。」とある。
皇紀2645年は1985年(昭和60年)の建立。 |
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[2007年5月18日参拝] |
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