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神社めぐり
神社めぐり 西宮神社
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西宮神社 所在地:西宮市社家町
最寄駅:阪神本線「西宮」下車、南西約300M
西宮神社は全国に約3500社ある「戎社」総本社とされ、商売繁盛の神として信仰を集めている。
創建の年代は明らかではないが、現社地に廣田神社の別宮南宮があり、「浜の南宮」と呼ばれていた。その境内の一角に戎社が祀られていたが、「エビス信仰」はもともと豊漁をもたらす神として漁民の間で信仰されてきたが、いつの時代からこの南宮に戎神が鎮座したのか時期については明らかではない。
 平安時代(12世紀中頃?)に著された『伊呂波字類抄』や1172年(承安2年)に行われた広田社歌合に廣田社末社に「エビス」の名が見えるとのことである。
 南宮境内で南宮と戎社が主客転倒するのは、1361年(延文6年)頃の市場祭文に記されており、豊漁の神から、市の神・商いの神としての信仰も獲得していた。
 室町時代以降、西宮の戎信仰は七福神信仰と相まって、全国に広がっていき、信仰の本拠地としての地位を固めていった。
  戦国時代には西宮が戦略上の要地であったため、戦火に巻き込まれることも多く、1577年(天正7年)織田信長荒木村重を攻めた時には当社も焼失している。
 1604年(慶長9年)には豊臣秀頼が社殿を寄進したが火災に遭ったため、1663年(寛文3年)には徳川家綱が復興造営している。このときの本殿(国宝)は1945年(昭和20年)の空襲で焼失し、1961年(昭和36年)に再建された。阪神大震災では本殿、表大門、大練塀などが破損するなどの被害を受けた。

[参考資料] 『えびす宮総本社 西宮神社由緒書』 西宮神社パンフレット
         『日本歴史地名体系』(兵庫県の地名編) 平凡社
西宮神社表大門 西宮神社南門
豊臣秀頼寄進と伝えられる表大門(左側)と国道43号線に面した南門(右側)。
毎年本えびすの1月10日午前6時に開門神事としてこの表大門が開かれ、本殿までの約200mの参道を1番乗りを目指して、福男競争が行われる。
神社を取巻く築地塀は室町時代に建造された土塀で、名古屋・熱田神宮の信長塀と京都・三十三間堂の太閤塀と共に日本3大練塀と称される。この西宮神社の塀が一番歴史が古いが新しく感じられるのは先の阪神大震災で壊れたのを修復したためと思われる。
福男競争のTV中継を見ていると、トップランナーグループの中でこの拝殿のところで転び、その奥の本殿までたどり着けない人が、毎年必ず出る。 西宮神社本殿


西宮神社
西宮神社
 境内末社の「大国主西神社」
大国主西神社は「延喜式」神名帳にある兎原郡の「大国主西神社」に比定される由緒ある神社。かなり早い時期に廣田神社・南宮に吸収されたと考えられ、西宮神社の前身とする説もある。 西宮戎信仰が全国広がった要因の1つに傀儡子による神札の販売に負うところが大きかったといわれる。
傀儡子の始祖を祀る「百太夫神社」では毎年1月5日には人形遣いの祭りが行われる。
片桐旦元奉納の梵鐘 奉納の酒樽
豊臣秀頼が社殿を再建の際、奉行の片桐旦元が奉納した鐘楼が納められている。慶長15年(1610年)の銘がある。
池の向こうに移築された岩倉具視の別邸が見える。
灘五郷を始め、名立たる蔵元が奉納したこも被りの酒樽。おなじみのブランドが並んでいる。

神社-069/TTL-452

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