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所在地:大阪市北区与力町
最寄駅:地下鉄南森町」下車、堺筋北へ、寺町通り『南森町イシカワビル』を東へ300M、左側にあり |
当山の縁起は弘法大師が高野山開創に当たり、しばしば浪速の地を訪れたが、浪速の繁栄と福慶を祈って、825年(天長2年)「如意珠院」を建立したのが開基で、その後大和・室生寺の堅恵大徳が入山し、寺号を「寶珠院(ほうしゅいん)」と改めた。
貞観年中(859〜876年)菅原道真は、弘法大師の聖跡である当山を深く追慕し、当寺の住職恵澄法印とは叡山で学友でもあったので交友深く、たびたび来詣があった。
901年(昌泰4年)大宰府に左遷の折にも立ち寄り、自念仏の十一面観世音菩薩や写経などを納めたとのことで、後小松天皇の御代、1396年(応永3年)当山の霊験が天朝に達し、大和・摂津の2郡寺領の宣下あり、『菅原山
天満宮寺』の勅号を賜った。
安土桃山時代の古地図には現在地より東、大川に面した位置にあり、広大な寺域として描かれていた。江戸時代に入り、大阪夏・冬の陣後の復興で市街地の整理のため、現在地に移されたが、その伽藍は近在にその比を見ずと称えられた。これらの堂塔伽藍も、1945年(昭和20年)の空襲で、土蔵だけを残し灰燼に帰したが1967年(昭和42年)再建し、今日に至っている。
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[参考資料] 『摂津国八十八ヶ所霊場案内記』 古寺顕彰会発行
『寶珠院縁起』 寶珠院パンフレット |
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モダンな高級住宅を感じさせる山門。
この通りにはお寺が多くあり、天満堀川〔昭和47年(1972年)に埋め立てられ、阪神高速となっている〕を境としてを東側を「天満東寺町」、西側を「天満西寺町」と呼ばれる。 |
一歩中に入ると、日本庭園が広がる。右手の本堂は1967年(昭和42年)再建で、「天満宮寺」の扁額がかかっている。
本堂の正面。 |
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境内の一角に「油掛大黒天」が安置され、胡麻油の香りが漂っている。 |
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[摂津八十八ヶ所霊場] |
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[2003年9月19日参拝] |
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