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所所在地:大阪市住吉区苅田6丁目
最寄駅:地下鉄御堂筋線「あびこ」下車、市バス「苅田』下車、北へ
二つ目の辻右へすぐ |
当山の創建は江戸時代の初め1626年(寛永3年)であるが、その由緒は約1200年の昔(平安時代
の初め)、弘法大師が遣唐使として入唐した「大慈恩寺」で祈願の最中、如来が夢に現れ、『日本の多くの人々と縁を結ぶため、自分は鶴となり海を渡り、稲の穂を摂津依綱の里に落とすので、そこを穂落の社とするように』とのお告げがあった。弘法大師は帰朝後、嵯峨天皇に奏聞し、この地に大伽藍を建立し、如来を本尊として、安置したと伝わる。
弘法大師が帰国の折、大師は十二神将に、如来は金色の大蛇に守られ、無事摂津欠郡依羅の里に着岸し、そしてこの大蛇は依羅の池に没したという。
その後、816年(弘仁7年)弘法大師が高野山を開いた際、この如来を本尊に招来することを祈念したが、「高野山は女人結界故、自分の本懐とは異なるため、この地に留まりたい」と再び夢で告げられ、当地に残られたとのことである。以来、幾度もの戦災、盛衰を得て、古跡の地に建立されたのが当寺である。
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[参考資料] 『摂津国八十八ヶ所霊場案内記』 古寺顕彰会発行
『薬師寺ホームページ』 |
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山門の傍に「不許葷酒入門内」の石碑が建っているが、現在でもお寺には酒や臭いの強い野菜の持込は禁止されているのだろうか。 |
本尊の「薬師瑠璃光如来」がまつられている本堂には「瑠璃峯薬師寺」の大きな扁額が掲げられている。 |
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境内にある宝筐印塔。保存状態は非常に良く、文字ははっきりと見える。
1760年(宝暦10年)「瑠璃峯薬師尼律寺」2世住職沙弥龍敲が建てており、これによると創建当初は尼寺であったことが分かる。 |
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摂津八十八ヶ所霊場 |
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[2004年4月25日参拝] |
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