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寺院めぐり
寺院めぐり あびこ観音
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吾彦山 大聖観音寺 所在地:大阪市住吉区我孫子4丁目
最寄駅:地下鉄御堂筋線「あびこ」下車、西へ約300M
吾彦山大聖観音寺は我国で最古の観世音菩薩の寺院で、その正式名より「あびこ観音」と呼ぶ方が通りがよい。もと真言宗で「吾彦山中坊不動院」と号した。あびこの名は、今から約1500年の昔、この地で勢力を持っていた依網吾彦(よさみのあびこ)一族に由来するといわれる。
 当山の縁起は、その頃のあびこの地は朝鮮との交易が盛んで、帰化人が多く住み、これを知った「百済の聖明王」から任那の牟婁の寺にあった身の丈1寸8分の小さな観音像が贈られ、546年(欽明7年)に阿比古浦の人々が小さな堂を建て、これを祀ったのを揺籃とする。
  600年(推古8年)聖徳太子がこの地に赴いた時、観音菩薩のお告げを受け、この地に「吾彦山観音寺」が建てられたと伝えられ、これを開基としている。本尊の聖観音は聖武天皇の勅願仏、護摩堂の不動明王は醍醐天皇の勅願仏と伝わる。
 時代が下がり、代々の皇室や源氏・平家の武将、楠木正成、足利将軍などの帰依があり、繁栄したが、応仁の乱の難を避けるため、本尊を高野山無動院に遷座している。
 1615年(元和元年)大阪夏の陣の折、真田幸村に追われた徳川家康はこの寺に逃げ込み、本堂の須弥壇に隠れ、難を逃れたとのことで、その後家康の寄進により、再建した。江戸時代には、徳川家の帰依もあり、境内に36の支院があったといわれ隆盛をきわめた。

[参考資料] 『あびこ山観音寺物語』 大聖観音寺奉賛会
あびこ観音山門 山門の後ろに見えているのは、樹齢800年を越える門の後ろに見えているのは、樹齢800年を越える楠の大木といわれる楠の大木で、お寺の歴史を感じさせる。
徳川家康の再建による堂宇は1881年(明治14年)の火災で多くの寺宝(楠木正成は甲冑を、豊臣秀吉陣袍を寄納したと伝わる)と共に焼失し、その後1890年(明治23年)に再建され現在に至っている。 あびこ観音本堂
あびこ観音境内の楠木 境内には大きな楠木が目立つ。この木も大阪市の保存樹に指定されている。
ご朱印
あびこ観音朱印
[2004年4月25日参拝]

寺院-070/TTL-185

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