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霊場参拝
新西国三十三ヶ所 新西国三十三ヶ所
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上島鬼貫の墓へ
雲松山 鶴満寺 所在地:大阪市北区長柄東1丁目
最寄駅:地下鉄「天神橋6丁目」下車、都島通りを東へ約250M、
樋之口町交差点を北へ約100M、右側
当山は奈良時代、大和の地に慈覺大師により創建されたと伝えられ、伊勢、河内、更には摂津・西中島南方を経て、1753年(宝暦3年)現在の長柄の地に移ってきた。当時の浪花の豪商上田宗右衛門の発願により、京都の真如堂を模した七堂伽藍が竣工、名僧忍鎧上人を迎え、落慶供養が営まれ、以来、この地に法灯をかかげてきた。
 1885年(明治18年)の洪水で大被害を受けたのを契機に衰退の道を辿ったが、昭和に入って当時の住職の真徹大僧正が、墓地や一部の建物の移転により寺域を縮小するなど、財政再建に乗り出し、
1933年(昭和8年)には観音堂を再建した。
 先の大戦時の大阪大空襲では、近くの長柄国分寺は全焼したが、当寺は幸いにも被害を免れており、堂宇は当時のままで、現存してる。
境内には大岡越前守寄進の石灯篭(盗難防止のため非公開とのことであった)や俳人上島鬼貫の墓がある。

[参考資料] 『鶴満寺の沿革』 鶴満寺パンフレット
鶴満寺本堂 本堂には自覚大師の作と伝わる本尊「阿弥陀如来」が安置されている。
お寺の前には、広い道路が通っているが、この道路拡張の際、建屋を浮かせ移動させる方法がとられたとのことである。
八角塔形楼閣付き観音堂は1932年(昭和7年)に改築された。
観音堂には霊元天皇皇子勝宮の安産祈願のため、奉納された「子安観音」が安置されている。

霊元天皇:第112代天皇
誕生:1654年(承応3年)、崩御:1732年(享保17年)
在位期間:1663年(寛文3年)〜1687年(貞享4年)
鶴満寺観音堂
重要文化財の銅鐘 鐘楼には重要文化財の銅鐘がある。
この銅鐘は長州(山口県)の普済禅寺の什具であったが、その後地中に埋没していたところを堤防改修の際、掘起され、毛利公より寄進を受けたもの。
朝鮮よりの招来品で、高麗時代の初期のものであり、「太平十年二月」(1030年)の鋳造の銘がある。
ご朱印
新西国33ヶ所霊場
鶴満寺朱印
[2004年5月29日参拝]

寺院-071/TTL-196

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